↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/11

六

 ハルデン卿は、最後まで口を挟まずに聞いた。

 五十がらみの、肩の厚い男だった。若いころは軍にいたという。館の広間は広いわりに調度が少なく、壁には、絵を外した跡が四角く白く残っていた。

 ユストは立ったまま、裁定を読み上げた。本文を古語で。それから都の言葉で。欄外の注も、省かなかった。「後の書記に願う」のところで声が少し揺れたが、止まりはしなかった。

 読み終えると、広間は静かになった。

「その紙は、わしの書庫にあったのだな」

「はい」

「わしの曾祖父の印か」

「高祖父さまでございます」

 卿は封土状と裁定を、机の上に並べて置いた。長いこと見ていた。

「顧問どの。あなたの見立てでは、わしの負けか」

「勝ち負けを申し上げる立場にはありません」と真壁は言った。「ただ、数字を一つ、ご覧いただきたいんです」

 帳面を開いた。一戸に六たな。四十二戸。枯れ枝で賄えるのは、焚きつけの束が十ばかり。

「卿は、枯れ枝と茸と木の実は村に許すと仰せでした。寛大なお申し出だと思います。ですが、これでは村は冬を越せません」

「薪は、枝を拾えば足りるものだと思っていた」

 言い訳の調子ではなかった。知らなかったことを、知らなかったと言っているだけだった。

「私も、三日前までそう思っていました」

 卿は初めて、真壁の顔をまともに見た。それから足もとに目を落とした。

「その靴は」

「借りものです。森を歩くのに」

「……なるほど」

 卿は立ち上がった。

「ユスト。馬は要らん。長靴を出させろ」

   *

 ドルフは、領主が歩いて来るのを見ても、たいして驚かなかった。

 帽子を取り、型どおりに頭を下げ、それから、真壁のときと同じことをした。卿の足もとを見て、何か言ったのだ。

 ユストが固まった。

「訳せ」と卿が言った。

「……よい靴だ、と。都の人とは違う、と申しております」

 卿は鼻を鳴らした。笑ったのかもしれなかった。

「十四年、行軍したからな」

 老人は歩き出した。孫がついていく。その後ろを、領主と、書記と、顧問が歩いた。

 最初の株の前で、ドルフは立ち止まった。真壁に見せたのと同じ株だった。幹を掌で叩き、孫にではなく、今度は卿に向かって話した。言葉は相変わらず村のものだったが、速さは半分になっていた。

 卿は、ユストが訳す前に手を上げた。

「待て。少しはわかる。子どものころ、乳母がこの村の女だった」

 老人が、ほう、という顔をした。

「十二の冬、と言ったか」

「はい。伐ってから十二の冬で、薪によい太さになると」

 卿は株にしゃがみ込んだ。厚い手で、切り口の古い層を撫でた。幹の束の根元には、いまの幹より前に伐られた跡が、瘤のように幾重にも盛り上がっている。

「これは、何度伐った跡だ」

 ユストが訊ね、老人が答え、孫が指を折った。

「八度か、九度と。ドルフの祖父の、その父の代に、最初の斧を入れた株だそうで」

「百年か」

 卿は呟いた。

「裁定と、同じころだな」

 誰も何も言わなかった。卿は株の縁に手を置いたまま、しばらく動かなかった。

「わしは、木というものは、放っておけば生えているものだと思っていた」

 ユストが、訳すべきかどうか迷う顔をした。卿が顎で促した。老人は訳を聞き、声を上げて笑い、長く喋った。

「何と申した」

「……麦も、放っておけば生えていると思っておいでか、と」

 ユストの声は消え入りそうだった。卿は今度は、はっきりと笑った。

「言うわ」

 それから一行は、のこしぎの樫を見上げ、沢の縁まで下りた。みずのきの前で、老人はまた声を変え、ゆっくりと話した。水車が止まった春の話だった。

 卿は沢の向こう岸を見ていた。

「下の村の水車は、わしの水車だ」

「はい」

「粉挽きの上がりは、わしの歳入の三分の一になる」

 真壁は口を開きかけて、やめた。言う必要がなかった。卿は自分で勘定をしていた。

 帰りの坂で、卿は真壁に並んだ。

「顧問どの。わしには負担金がある。王都は、春までに銀を納めよと言ってきている。ベルクの商人は、炭を千俵と言った」

「存じています」

「この森を、あの爺のやり方で回したら、千俵は出るか」

「わかりません。それを数えられるのは、私ではなくドルフさんです」

 卿は前を行く老人の、曲がった背中を見た。

「半分も出まいな」

「たぶん」

「半分で、商人が首を縦に振ると思うか」

「それも、わかりません。ただ」

 真壁は、ぬかるみを跨いだ。もう、足もとを見ずに跨げるようになっていた。

「ベルクの森は、炉の周りから禿げはじめているそうです。あちらは千俵を、一度だけ欲しいわけではないでしょう」

 卿は答えなかった。

 森の出口で、老人が振り返り、卿に何か言った。短かった。卿はユストを見ずに頷き、同じくらい短く、村の言葉で答えた。発音はひどかったらしく、孫が吹き出し、祖父に頭をはたかれた。

「何と」

 真壁が小声で訊くと、ユストは、この数日で初めて見る顔をしていた。

「帰りに寄れ、粥がある、と」

「卿は」

「寄る、と」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。