↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/10

二

 森の入口で待っていたのは、想像していたより小柄な老人だった。

 七十は越えているだろう。背は曲がっているが、足は速い。真壁たちの姿を見るなり、挨拶より先に喋りはじめ、ユストが訳す間も待たずに歩き出した。

「ドルフと申します。村では、森のことはこの人に訊けと」

 ユストが早口で言い添えるあいだにも、老人の話は続いている。真壁に聞き取れたのは「靴」という一語だけだった。

「何と言っているんです」

「その靴では沢を渡れぬ、と。それから、帰りに自分の家へ寄れ、孫の古いのを貸す、と。それから」ユストは少し迷った。「都の人はなぜ皆、足もとを見ずに歩くのか、と」

 もっともだった。真壁の革靴は、すでに踵まで泥に埋まっている。

 老人のうしろを、十二、三の少年がついて歩いていた。孫だという。ドルフは三歩ごとに立ち止まり、何かを指さし、少年に向かって話した。客に説明しているのではない。孫に教えるついでに、客にも聞かせているのだった。

 最初に立ち止まったのは、腰ほどの高さの切り株の前だった。株の縁から、腕ほどの太さの幹が七、八本、束になって伸びている。

 老人はその一本を掌で叩き、長く喋った。少年が頷き、指を折って何かを数えた。

「これが『かえりぎ』でございます」とユストが言った。「伐っても株が生きていて、また生えてくる。帰ってくる木、でございましょう。伐ってから十二の冬を数えると、ちょうど薪によい太さになる。それより早く伐れば株が弱り、遅ければ太りすぎて、次の芽が出にくくなる。孫には、冬の数え方を教えているところです」

「十二年」

「この株は、ドルフの祖父の代から伐っているそうで」

 真壁は帳面に株の絵を描き、横に「十二年周期」と書いた。老人がそれを覗き込み、何か言って笑った。

「絵が下手だ、と」

「それは訳さなくて結構です」

 ユストが初めて、声を立てて笑った。

 次に老人が足を止めたのは、まっすぐな樫の大木の下だった。周りのかえりぎは去年伐られたばかりらしく、切り口がまだ白い。その中に、この一本だけが残されている。

 老人は今度は幹を叩かなかった。見上げて、短く言った。

「『のこしぎ』。これは伐らない木です」

「領主のものだから、ですか」

 ユストが訳すと、老人は首を振り、また長く喋った。少年に向かって、ひとつずつ指を立てながら。

「三つある、と申しております。一つ、いずれ梁になる木だから。家を建て直すとき、卿に願い出て一本いただく。二つ、実を落とすから。秋に豚を放す。三つ」

 ユストはそこで詰まった。老人に何か訊き返し、老人が答え、もう一度訊き返した。

「三つめは」

「……陰を、作るから、と。いえ、陰ではないのです。若い芽は、陽が強すぎても育たず、暗すぎても育たない。のこしぎが多すぎればかえりぎが痩せ、少なすぎれば株が焼ける。その、ちょうどよい具合のことを、村では一語で言うのですが」

「都の言葉には」

「ございません」

 老人はユストの困った顔を見て、気の毒そうに肩を叩き、少年に何か言った。少年が吹き出した。

「何と」

「坊さまは字は千も知っているのに、木の言葉は三つも知らん、と」

 沢の音が近くなった。

 流れに沿って、榛(はしばみ)の木が並んでいた。ここだけは下草も刈られていない。老人は沢の手前で立ち止まり、少年の肩に手を置いて、これまでとは違う声で話した。ゆっくりと、一語ずつ区切って。

 真壁にも、それが大事な話だということはわかった。

「『みずのき』でございます。沢の縁から、大人が両手を広げて十人ぶん。この内の木は、枯れても倒れても、手をつけない。ドルフの父親の代に一度、ここを伐った者がいて、次の春、沢が濁って下の村の水車が止まったそうです」

「それは、決まりとして書かれたものがありますか」

 ユストが訊ねた。老人は不思議そうな顔をし、自分のこめかみを指で叩き、それから孫の頭を同じように叩いた。

「ここに書いてある、と。それから、ここに書いているところだ、と」

 真壁は帳面を見下ろした。かえりぎ。のこしぎ。みずのき。三つの語の横に、自分の字で、十二年、三つの理由、両手十人ぶん、と書いてある。

 封土状には「木」の一語しかなかった。

「ユストさん。もう一度だけ訊いてもらえますか。かえりぎを『もってきた』というのは、どういうことなのか」

 ユストが訳した。老人は、なぜそんなことを訊くのかという顔をした。それから足もとの株にしゃがみ込み、伸びた幹の根元を一本ずつ指でなぞりながら、孫に教えるときと同じ丁寧さで話しはじめた。

 話は長かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。