七
裁きは、館の広間で開かれた。
昨日と同じ顔ぶれだった。違うのは、卿の前の机に、二枚の紙が増えていたことだ。夜明けに書き上がった、古語と村の言葉の、読み聞かせの書式だった。
卿は、ほとんど眠っていないはずの顔で、真壁に目で合図した。真壁は立ち上がった。
「顧問として、卿に申し上げます。裁くのは卿です。私は、論点を三つに分けて申し上げるだけです」
エーベルが鼻を鳴らした。ホルツは昨日と同じく、床を見ていた。マティスは、ユストの隣で、両手を膝の上で握りしめていた。
「一つめ。銀十二枚の貸し借りがあったこと。これは、マティスさんも認めています。借りたものは、返さなければならない。証文の、この部分は有効です」
ユストが村の言葉に移した。マティスが頷いた。それは最初から、彼の言い分でもあった。
「二つめ。聖マルタンの日までに全額を返す、という期日。これも、マティスさんは聞いて知っていた。ですから、返せなかった四枚ぶんについて、マティスさんには責めがあります」
マティスの顔が曇った。けれど、首は振らなかった。
「三つめ。返せなかったときに、畑三枚の所有を移す、という条。ここについて、マティスさんが聞いたのは『エーベルが畑をもつ』という言葉でした。そしてこの土地で『もつ』は、九十七年前の領主の記録にあるとおり、所有ではなく、手を入れて穫り入れることを指す。マティスさんが合意したのは、この意味においてです」
真壁は、一呼吸おいた。
「人は、自分が合意したことに縛られます。合意していないことには、縛られない。紙に何が書いてあっても」
「詭弁だ」エーベルが言った。「拇印を捺したのだ」
「拇印は、聞いたことに捺されています」
卿が手を上げた。広間が静まった。
「ベルトラムどの。王都の法務官として、何か申すことはあるか」
法務官は立ち上がった。昨夜と同じ外套で、袖口の繕いが朝の光に浮いていた。
「法務官府の見解を申し上げる立場にはありません。私はこの裁きの、立会人にすぎない」
彼は、古語の証文に目を落とした。
「ただ、昨日見聞きしたことを、私は王都にそのまま報告します。証文は王都の書式集第十四番によって書かれていたこと。それが、古語を読めぬ者との取引に用いられたこと。担保の条が、俗語で『もつ』と伝えられたこと。その語の意味が、この領の古い記録に残っていたこと」
エーベルの顔から、血の気が引いた。
卿は長いあいだ、机の上の羊皮紙を見ていた。それから、低い声で言った。
「裁きを申し渡す」
広間の誰もが、背を伸ばした。
「一つ。マティスは、銀十二枚をエーベルに返す。すでに渡した八枚のほか、残る四枚を、来年の聖マルタンの日までに返す」
ユストが訳した。マティスは、目を閉じて頷いた。
「二つ。その四枚が返るまで、エーベルは、川下の畑三枚のうち一枚を、もつ」
広間がざわめいた。ユストが振り返って卿を見た。卿は頷き、言葉を足した。
「この地の言葉の、もつ、だ。来年の麦を、その一枚から穫り入れてよい。ただし穫り入れは、四枚ぶんに達するまで。余れば、マティスに返す。畑は、マティスのものだ」
ユストの声が、村の言葉でそれを伝えた。もつ、という語のところで、ローデ村の男たちが顔を見合わせた。それから、ゆっくりと笑った。昨日のホルツのときとは違う笑い方だった。
マティスは、両手で顔を覆った。
真壁は、卿の横顔を見た。打ち合わせにない一条だった。マティスが返し、エーベルも取る。マティスは一年、いちばんよい畑の一枚から、麦を手放す。全員が少しずつ損をする裁きを、卿は自分で組み立てていた。
「三つ」と卿は続けた。「ローデ村で、エーベルから同じく金を借りた家は、すべての証文を、聖マルタンの日までに代官所に持参せよ。この書式によって」
卿は、机の上の二枚の紙を持ち上げた。
「村の立会人の前で、借主の解する言葉で、もう一度読み聞かせる。借主が聞いて合意した中身を記し、正文に綴じる。それが済むまで、わしの領内で、これらの証文による畑の取り上げは、一切認めぬ」
エーベルが立ち上がった。
「閣下。それは、王国の法に」
「王都に訴え出るがよい」卿は遮った。「法務官どのが、ここにおられる。何を見たかは、王都にそのまま伝えてくださるそうだ」
「……管理人どのが、黙っておられますまい」
エーベルは、そう言ってから、自分が何を口にしたのかに気づいたようだった。唇を噛んだ。卿は、何も聞かなかった顔をしていた。
「四つ」
最後の一条で、卿の声が少し低くなった。
「代書人ホルツ。おまえを罰しはせぬ。おまえが誰に言われたのかも、問わぬ」
灰色の男が、初めて顔を上げた。
「その代わり、ローデ村の証文の読み直しは、おまえがやれ。この書式で。村の立会人の前で、わしの書記が横で聞く。おまえが二十二年、この辺りで筆を持ってきた腕で、今度は正しく読め」
ホルツは、しばらく口を開けたまま、卿を見ていた。
それから、震える手で額を押さえ、深く頭を下げた。何も言わなかった。言えなかったのだと、真壁は思った。
*
裁きの最後に、マティスの新しい取り決めが、その場で読み聞かされた。
読んだのはユストで、立会人はローデ村の男の一人だった。夜明けにできたばかりの書式の、最初の一枚だった。
ユストが一条ずつ読み、立会人が聞き、マティスが聞いた。二条目の「もつ」のところで、マティスが手を上げて、何か訊いた。
「何と」と真壁が訊いた。
「来年、エーベルの者が穫り入れに来たとき、穫り入れの数は誰が数えるのか、と」
ユストは卿を見た。卿は真壁を見た。真壁は、一秒だけ考えた。
「村の立会人と、エーベルの者と、二人で数える。数えた数を、二人で印をつけて、代官所に届ける」
ユストが訳した。マティスは頷いた。立会人も頷いた。
ユストは書式の下の欄に、その問いと答えを書き入れた。
——借主、問う。穫り入れの数は誰が数うるや。答う。村の立会人とエーベルの者と、二人にて数え、印して届くべし。
それから、マティスが拇印を捺し、立会人が印を描いた。斧の絵だった。
ベルトラムが、その紙を手に取った。表の古語を読み、裏の村の言葉を、読めないまま眺めた。下の欄の、問いと答えのところで、指が止まった。
「借主が、自分で問うた」と、法務官はひとり言のように言った。「証文に、借主の問いが残っている」
真壁は、それには答えなかった。
広間を出るとき、卿が真壁の横に並んだ。
「顧問どの。二つめの条は、わしの思いつきだ。差し出がましかったか」
「いいえ。私には書けませんでした」
卿は、窓の外の、ローデ村のほうを見た。
「わしも、狩り場を質に入れた身だ」
短い沈黙があった。
「畑を取られる者の顔が、もう他人事に見えんのだ」




