帰らない理由
仕事が終わり、泰生は最後の挨拶もなく、いつも通りマダム達に捕まる前にそそくさと退勤していった。
本当に誰にも知られたくないんだ。
やっぱり変なやつ。
そう思いながら、実希も会社を後にした。
泰生から指定されたカラオケ屋に向かう。
『着いた』
メールを送り顔を上げると、既に受付を済ませた泰生が目の前にいた。
「本当に来てくれた」
「は?」
「もしかしたら来ないかと思って」
「何で」
「実希ちゃん鬼じゃん」
は? 鬼?
やっぱり帰ろうかな。最後の最後まで、何で余計なことを言わずにいられないの?
イラつきながら、踵を返そうとしたとき。
泰生に腕を掴まれ阻止された。
「ごめんって。怒んなって」
軽く謝る泰生に呆れながら、人目もあるため一旦部屋に向かう。
楽しくなかったら、適当に理由をつけて帰ろう。
実希はそれだけ、自分の中でルールを決めた。
室内に入り、泰生とはテーブルを挟んで反対側に座る実希。
泰生はマイクとリモコンを、いそいそと用意する。
「じゃあ、実希ちゃん歌ってよ」
そう言いながら、泰生はリモコンを実希の前に置く。
「え、私最初なの。嫌だよ」
「えぇー」
「そっちが誘ったんだから、あんたから歌いなよ」
リモコンを泰生の方に向ける。
「何でだよ、実希ちゃんの歌聴いてみたかったのに」
文句を言いながらも、素直にリモコンを操作し始める泰生。
最初に入れたのは、実希たちの共通点であるアーティストの曲だ。
この曲はほとんどがラップだからか、上手く歌える人に会ったことがない。
難易度高っ……
そう思いながら、曲が始まるのを待つ。
しかし、第一声を聞いた瞬間、実希は驚いて泰生の方を見る。
上手い。ものすごく、上手い。
この曲をかっこよく、そして世界観を壊さずに歌えることに感動していた。
もっと聴きたい。
実希は、泰生の歌声にすっかり夢中になっていた――




