22.どうしてだと思う?
執務室のドアをノックして応答を待ち、返事を聞くや否や勢いよく部屋に飛び込んだ。
「だだだだだ、大問題です!!ユリウスさんっ!」
「やぁ、リコ。ドロセアと仲良くなれたようだね」
慌てふためく私とは対照的に、デスクの上の書類から顔をあげたユリウスさんは、私とぎゅっと手を繋いでいるドロセアさんの姿を見て、いつものように穏やかに微笑んだ。
「ふんっ、仲良くなんてしておりませんわ!これは適した使用人がいなかったから、仕方なくリコにエスコートさせただけですの!!」
「プライドの高い君が『身の程知らずの庶民』と仕方なく手を繋ぐとは思わなかったよ」
ユリウスさん!さっき、大人げなくて反省してた人のセリフじゃないと思います!!
すごく優しそうな笑顔だけど、二人の間に流れる空気はバチバチと音を立てている気がする…。
「ああ、あの…その話じゃなくて…!!!」
いっその事、そっと退室して自分の部屋に戻りたかったけど、今はそれどころじゃない。
先ほどドロシーさんから聞いた噂のことを必死に話すと、ユリウスさんは事もなげにコクリと頷いた。
「あぁ、その噂なら問題ないよ」
「ご存知でしたか…」
さすが公爵家。情報はもう掴んでいたようだ。
それなら噂を消すよう、すでに手を打っているのかもしれない。
(なんだ、私の杞憂…)
「僕が流したから」
「………へっ!?」
予想だにしなかった返答に私が息を呑んで固まっていると、「恋人が平民だとは言ってはないけど」とユリウスさんが爽やかに付け加える。
根も葉も無い噂かと思えば、種を撒いたのはまさかの張本人!?
(え!?誰かが私を勘違いして広めた噂じゃなかったの?もしくは、ユリウスさんには本当に恋人がいる…?
いやいや、タイミング的にも立場的にも、どう考えても私の事を指しているような…)
「な、何でそんな事を…?」
少し乾いた唇でそう問いかけると、ユリウスさんはゆったりとした優雅な動作でデスクを離れ、私の目の前まで歩いてきた。
「どうしてだと思う?」
逃げる間もなく、私の髪をひとすくいして唇を落とす。いつもの甘い声、だけど思ったより真剣な瞳がじっと私を捉えた。
(あ、これは…やばい。なんかやばい…っ!!!)
完全に追い詰められ、まるで捕食されるような感覚に包まれた私は、一瞬で語彙力を失い――
「えーと……な、なんででしょうね……ははは…」
乾いた声で笑いながら、必死で視線を逸らすのだった。
「退路完封…ユリウスお兄様の恐ろしいところですわ…!!」
ドロシーさんのそんな呟きは、側で控える侍女だけが聞いていたとか。
◇
――とある侯爵家の一室。
「いきなり婚約を破棄するって、どういう意味だよ!?ヴェロニカ!!」
「あらぁ、そのままの意味ですわよ?
だって、わたくし達が婚約して10年が経ちますのに、未だ婚姻が果たされないのは、結婚する気が無いという貴方の意思表示なのでしょう?」
男性の怒号を気にした様子もなく、女性は優雅に紅茶を持ち上げる。緊迫した空気に反して、紅茶からは温かな湯気が立ち上っていた。
「なっ!?それは君がいつまでも結婚の話をはぐらかして進めなかっただけで…!!」
「んもぅ、大きな声を出さないでくださいませ。
10年掛けても、わたくしをその気に出来なかったのは貴方でしょう?貴方はわたくしに愛されるように自分を磨く努力をしなかった、というだけですわ。
――それとも…」
カチャリとも音を立てず、女性がカップをソーサーに戻す。
紫水晶のような瞳がひたりと男性を捉えた。
「わたくしのお父様の決定に異議を唱えますの?宰相である、グリムワルド侯爵に」
出された侯爵の名前に、男性の顔色が途端に悪くなる。
「くっ…。
ッとにかく、この様な一方的な破棄は認めない!この件は持ち帰らせてもらう…!!」
グッと拳を握りしめたまま、男性は吐き捨てるように言い捨て、足早に部屋を出て行った。
女性はその背を見送る様子もなく、壁付けの豪奢な鏡の前に、軽やかに踊るような足取りで歩み寄る。
そしてご機嫌に鼻歌を歌いながら、自身を輝かせる魅力の一つである、そのローズピンクの豊かな髪の毛をサラリと流した。
「あぁ…これでようやく貴方の花嫁になれますわ…。愛しのユリウス様…!」
ヴェロニカの現婚約者、クランクアップ!
おつかれっしたー!!




