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星降る夜に君は死ぬ  作者: 天代 朔
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第49話  絶望の縁で

 田中もまた、先ほどまでの冷酷な殺人鬼の顔から一転、まるで愛おしい教え子を労うような、とろけるような笑顔に戻っていた。拘束していたはずの腕の力を緩め、亜季の肩を優しく抱き寄せた。


「そうだな。君の警告通りだった。やっぱり亜季は賢いよ」

「でしょ? 先輩、意外と頭いいから、お姉ちゃんのノートの意味に絶対気づくって思ってたんだ」


 二人が顔を見合わせて、楽しげに微笑み合う。

 天地がひっくり返り、足元のコンクリートがドロドロに溶けて崩れ落ちていくような、凄まじい目眩が直斗を襲った。視界の端が明滅し、胃袋の底から冷たい吐き気がせり上がってくる。

 

「……え?」


 自分の口から出た音は、ひどく間抜けだった。声帯がうまく機能しない。


「……どうした亜季」


 ひび割れたような声が、ようやく喉から絞り出された。

 つまり亜季は、わざと俺にノートを見せ、真相に気付かせ、この屋上まで誘導したと言うのか。

 田中と共に、邪魔な俺の口を封じるために……。


「亜季、まさかお前……こいつと、グルだったのか……?」

「もう、先輩ってば今さらやっと気づいたんですか? そういうところは勘が鈍いなあ。言ったでしょ、私とお姉ちゃんは昔からすっごく仲が悪かったって」


 亜季は直斗の方を見向きもせず、田中のワイシャツの胸元を指で弄りながら、ひどく冷酷な響きで言い放った。


「お姉ちゃん、美人で、優等生で、いい子ちゃんで。いっつも私を見下しててさ。外でも学校でも『麻衣ちゃんはすごいね』『お姉ちゃんを見習いなさい』って、そればっかり。はっきり言って、いなくなってくれてせいせいしたんだよね」

「うそだろ……」

「それに、こんな素敵な先生と付き合えるなんて最高じゃん?」


 亜季は背伸びをして、田中の耳元で何かを囁くような仕草を見せた。その顔に浮かんでいたのは、姉を殺した男にすり寄る、狂気じみた恍惚の笑みだ。


「私も前から、先生のことすっごく好きだったんだ。だからお姉ちゃんが死んだあと先生に告白して、今度は私が付き合ってもらうことにしたの」


 田中は亜季の細い肩を抱き寄せながら、心の底から愉快そうに肩を揺らした。


「そういうことだ、滝沢。本当に悪いな。君のたった一人の味方は、私の可愛い共犯者というわけだ」


 目の前にいる二人は、人間の皮を被った別の生き物なのか。

 亜季は、姉を殺された悲しみから直斗に協力を持ちかけてきたのではなかったのか。あの涙も、怒りも、すべてはこの男のための演技だったというのか。


「亜季……お前、最初からすべて知ってて俺に近づいたのか」

「さすがにそういうわけじゃないですよ。でも、お姉ちゃんのこといろいろ調べるうちに、先輩のことにも興味を持って近づいてみたんです。まあ、ちょっとからかい半分もあって」


 悪びれもせず舌を出す亜季を引き継ぐように、田中が一歩前に出た。


「滝沢、尾崎は森で首を吊る直前、私に向かってこう口走ったんだ。『俺がここで死んでも、あいつなら何とかしてくれる。あいつはお前を絶対に許さないだろう』……とな」

「武が……俺のことを……」

「尾崎は最後まで名前を言わなかったが、私にはすぐに誰のことかピンときたよ。天体観測の部活動で、お前は不自然なまでに尾崎を擁護していただろう? あんなクズの不良を庇うのは、余程の親友だけだ。だから亜季に頼んで、それとなくお前の動きを探ってもらったんだ。私はとても用心深い性質でね」


 田中はくっくっと喉の奥で笑った。


「これもたとえは古いが、腐ったミカンは、箱全体がダメになる前に早く取り除いておくんだよ」

「ふざけるな……俺も武もミカンなんかじゃない、人間だぞ……!」

「人間だからこそ、だ。私のような優秀な人間が、君たちのような凡人の感情の巻き添えを食うわけにはいかない。しかし、それにしても、まさかお前がただの中学生の身でここまで真実にたどり着くとはな。そこは教師として素直に褒めてやる。成績表はオール5だよ」


 田中の言葉は、もちろん称賛ではなく、完全な見くびりだった。虫けらのあがきを観察するような、天上から地上を見下すような傲慢さ。


「ねえ、先生。もうそろそろ終わりにしよ?」


 亜季が退屈そうに言って、田中の袖を引いた。


「私、健気な妹の演技をするの、もう疲れちゃった。早くこいつ片付けて、二人でどっか行こうよ」

「そうだな。いつまでもこんな蒸し暑い屋上にいるのはご免だ。さて、滝沢。本当に悪いが、お前にはここで死んでもらうよ。この暗い屋上の縁から、硬い地面に向かって真っ逆さまに落ちていくんだ」


 田中はゆっくりと、足音を殺して直斗の方へ歩み寄った。


「ああ、心配するな。ちゃんと絶望からの飛び降り自殺に見えるように、角度も位置も計算して突き落としてやる。お前みたいな華奢な中学生なら難しくない」

「…………ふざけるな!」

「抵抗しても無駄だよ。私は真のエリートだからね。勉強だけでなく、実は柔道でも黒帯を持っているんだ。能ある鷹だから生徒の前では隠していたが、腕力ならあの荒井よりも強い。お前の首を絞めて気絶させ、ここから投げ捨てることなんて、わけないよ」

「いいよいいよ、先生! やっちゃえやっちゃえ!」


 亜季が手を叩いて無邪気に囃し立てる。異常な光景だった。人が一人殺されようとしているのに、まるでゲームのクリアを喜ぶような無邪気さだ。


「まかせておけ。これが終わったら亜季、お前をたっぷりかわいがってやるからな」

「ふふふ、いいね。真面目でつまんないお姉ちゃんより、私の方がずっといろんなことしてあげるんだから」


 田中が好色そうに目を細め、露悪的な笑みを深める。

 そして一歩、また一歩と田中が距離を詰めてくる。

 その足運びに隙はない。柔道の有段者という言葉はハッタリではないのだろう。重心が低く、いつでも飛びかかれる猛獣の姿勢だ。


 あまりの狂気に、直斗の足が本能的に後ろへ退いた。

 背後には五階建ての校舎の縁。そこから先は、光をすべて吸い込むような絶対的な暗闇だ。逃げ場はない。


 喉が渇ききり、心臓が肋骨を突き破りそうなほど激しく打ち鳴らされる。

 絶望の淵に立たされ、直斗の心が音を立てて折れそうになった。

 ここで死ぬのか。何もできずに、武や麻衣と同じように、この男のシナリオ通りに処理されてしまうのか。

 

 だが――


(――俺がここで死んでも、あいつなら何とかしてくれる)


 武の最期の声が、田中の言葉を通して脳裏に蘇った。

 そうだ。武は、俺を信じて死んでいったんだ。自分が殺人犯の汚名を着せられたまま死ぬことになっても、直斗が必ず真実を暴いてくれると信じて、一人で冷たいロープに首を通したのだ。

 麻衣も同じだ。誰にも言えない苦しみの中で、たった一人でこの悪魔の嘘に気づき、ノートという形で直斗に真実を託してくれた。


 いま、俺が諦めたら、死んでいった二人が絶対に許してくれない――!


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