第44話 彼女の詩
「わかった! ここにある!」
直斗はあわててリュックから麻衣の天体ノートを取り出し、パラパラとページをめくって見せた。
田中は亜季の首を絞め上げていた腕の力を少し緩め、目を細める。
「この距離じゃ中身はよく見えないな。本物かどうかわからないね」
「本物だよ。ダミーなんて用意する時間はなかった」
「ならば、それを証明するためにそこに書いてある、麻衣の最後のメッセージを読み上げなさい。第二回の観測会があった六月二日のページだったかな?」
六月二日――麻衣が最後に走り書きした、あの七夕伝説のことだ。なぜか田中はそこまで知っているのだ。
直斗は田中が床に置いたLEDランタンの薄明かりを頼りに、ページを開いた。暗いが、かろうじて文字は読める。
「さあ、早く。ただし、あまり大きな声は出さないように」
まるで授業中、教師にあてられて教科書を朗読する生徒のように、直斗は麻衣の文章をそのまま読み上げた。
『夏の夜、天の川を隔てて輝くアルタイルとベガは、密かに互いを愛し合っていた。だが、孤独な天帝もまたアルタイルを想っており、その愛はやがて深い嫉妬へと変わった。
天帝は二人を結ぶかささぎ橋を壊し、永遠に引き離そうとした。アルタイルはベガを守るため、デネブを囮にして、やむなく天帝の光を密かに消した。
ベガはその罪を疑った。それでも彼を庇うために、偽りの星図を描いてみんなの目を欺こうとした。
しかし天帝は本当は孤独ではなく、そばに寄り添う伴星があったのだ。その存在が真実を照らし出し、アルタイルの嘘は露わになった。
ベガは深く傷つき、北の空に座すデネブとともに、静かに別れを告げた。
「さよなら、愛した星よ。もう二度と、光は交わらない」
こうして三つの星は夏の大三角となり、互いを見つめながらも決して触れ合えぬ、悲しい永遠の恋として夜空に残った――』
「まったく、くだらない」
田中の顔から、笑顔がスッと消えた。
「聞いてるこっちが恥ずかしくなる。大人ぶってもしょせんは中学生、幼稚な乙女のポエムだな」
「そうですか? 本当は、この麻衣の最後のメッセージの意味、先生には痛いほどわかってますよね?」
直斗は間髪を入れずに言い返した。
「最初にこれを読んだとき、俺もただ麻衣が星図に合わせて自作の詩を書いたのだと思った。麻衣は生前、この天体ノートだけは絶対に他人に見せたがらなかったから――個人的なポエムを勝手に読むのは悪い気がして、最初は読み飛ばしていた。……でも、彼女が本当に隠したかったのは、そんな他愛のないものじゃなかった」
「……どういうことかな?」
「先生も知っているはずだ。アルタイル、ベガ、デネブの『夏の大三角』は、事件のあった六月二日の夜八時の時点では、まだ空に昇っていないん。つまりこの六月の星図は、事件からしばらく経った後に、麻衣が去年の同じ月の記録を参考にして書いたものだ。それに気づけば、この最後の詩は単なる詩ではない、ある意味を帯びてくる」
田中は直斗の話を聞きながら、馬鹿にしたように「ふん……」と鼻で笑った。
直斗は構わず言葉を続ける。
「そもそも、なぜ麻衣は六月の記録にわざわざ七夕の伝説を書き込んだのか。普通は七月だ、七夕は。それに、内容も実際の伝説とは大きく違う。織姫と彦星は年に一度は会えるはずなのに、この詩では『永遠に離れ離れ』になっている。二人を引き裂いた天帝は、カササギの橋を『壊した』のではなく、本来は『架けた』はずだ。極め付けは、本来の伝説にデネブなんて一切登場しない」
「だからなんだというんだ。いつまでくだらない話を続けるんだ」
直斗の指摘に、田中は次第にいらだちを隠せなくなってきている。
だが、本番はここからだ。
「これ以上、説明する必要はあるか? この星がそれぞれ誰の名を示しているか。織姫は『麻衣』、天帝である北極星のポラリスは『北』川先生。デネブは白鳥の『尾』、『尾』崎武。――そして彦星は、田中良『彦』。お前だ!!」
直斗は、田中をまっすぐに指さして叫んだ。
一気に感情が爆発し、声は激しい怒りで震えていた。
「よりによって、なんで麻衣はお前みたいなやつを好きになってしまったんだ……。あいつは母親の再婚で実の父親がいなくて、ずっと寂しさを抱えていた。お前は教師という立場を利用して、その心の隙間に付け込んだんだろ。このクズ野郎!」
「おい、ちょっと待ってくれ――」
田中は、先ほどまでの穏やかな笑みを再び顔に貼り付けて言った。
「滝沢、それは誤解だな。まあいい、認めよう。私と麻衣は本気で愛し合っていた。お互い心の底からね。だから、私たちの関係を引き裂こうとする者は絶対に許せなかった。それは事実だ」
「許せないだと? ふざけるな! 教師と生徒のいびつな関係を北川先生が知ったら、黙っているわけがないだろう! 先生はお前たちを正そうとしただけだ。お前が許せなかったのは『二人の仲を引き裂かれること』じゃない。自分の保身のためだ。もし関係が公になれば、お前は教師としても社会人としても完全に終わる。だから、そうなる前に北川先生の口を塞いだ――殺したんだ。違うか?」
「殺した? おいおい、ノートのくだらないポエムを読んだだけで、そこまで断定して言い切れるのかい、君は?」
「ああ、もちろんだ。詩だけじゃない、証拠がある。『双眼鏡のピント』だ」
「ほう?」
「あの日、麻衣は星空なんて見ていなかった。最初から、六十メートルも離れた旧校舎にピントをぴったり合わせていた。それは、お前が前もって麻衣に『午後八時に旧校舎で北川先生と話し合うから、心配なら双眼鏡で見守っていてほしい』と頼んでおいたからだ。だから麻衣は、お前を心配するあまり、絶対に見逃さないよう用心して最初から旧校舎にピントを固定して待っていたんだ。それ以外に、最初から旧校舎にピントが合っていた理由が説明できない。だが、予めお前が頼んでいたと考えれば、すべて辻褄が合う」
「……へえ、なかなか面白い推理だね。是非続きを聞きたいな」
田中はニヤニヤと薄気味悪い笑みを深め、まるでミステリー小説の続きをせがむ読者のように言った。
「だが、それはお前の卑劣な罠だった。お前は八時ちょうどに話し合うふりをして、実際はそれより前に旧校舎へ北川先生を呼び出し、すでに首を絞めて殺害していたんだ」
直斗は田中の視線を正面から受け止め、沸き上がる怒りをいったん腹の底に沈めると、低く静かな声で答えた。
「そして、お前は何食わぬ顔で屋上の観測会に現れた。それが午後七時四十分ごろだ。麻衣は、話し合いをしているはずのお前が予定より早く来たので、内心不思議に思ったに違いない。だが、後輩の世話に追われて、すぐには双眼鏡を覗き込めなかった。……そして運命の午後八時。お前との約束通り、麻衣が双眼鏡で旧校舎を覗き込むと、そこにはすでに倒れている北川先生の姿と、立ち尽くす武の姿があったんだ」
「滝沢、なぜそこまで言い切れる?」
「俺も麻衣が落とした双眼鏡で、その武の姿を見たからだ。幼馴染の麻衣が、あのピントの合った双眼鏡で武を見間違えるわけがない!」
直斗の怒りの叫びが、熱帯夜の屋上に響く。
田中はわずかに眉を動かしただけで、ただ黙っている。




