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星降る夜に君は死ぬ  作者: 天代 朔
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第41話  過去からの脅迫電話

 夏休みという言葉が、今の直斗にはひどく空々しく響いていた。


 壊れかけのエアコンは低い唸り声を上げているばかりで、吐き出される風は生ぬるい。部屋には逃げ場のない熱気が淀み、窓を開ければ、狂ったような蝉時雨が波のように押し寄せてくる。


 机の上には手つかずの学校や塾の課題が積み上がっている。直斗は汗で肌に張り付くシーツの上に仰向けに倒れ込み、ただぼんやりと、歪んで見える天井の木目をなぞっていた。

 一学期の終業式を終え、夏休みに入ってからすでに一週間。だが直斗の時間は、あの夜――新校舎の屋上で星空を見上げたあの瞬間から、一秒たりとも進んでいなかった。

 空気だけが、じっとりと重く、動き続けている。

 

 推理と状況証拠を積み上げ、直斗がたどり着いた真犯人の名前は、亜季を除いて、まだ誰にも話していなかった。

 麻衣の妹とはいえ、いまだ何を考えているかつかみきれない不思議な中学二年生――その亜季でさえ、その名前を聞いた時はさすがに目を見開き、息を呑んで驚いていた。しかし、直斗の推理を聞き終えると、すべて納得したように「速攻で〆てやりましょう」などと物騒なことを言いだしたのだった。

 だが、直斗は、今はそれだけは絶対にやめてくれと、必死に亜季を抑え込んだ。


 犯人を告発するのにためらう原因はただ一つ。

 現在の手持ちのカードだけで、果たして武の冤罪を晴らし、真犯人を確実に追い詰められるかどうか、絶対の自信が持てなかったからだ。


 天体ノートに潜む違和感、双眼鏡のピントが示す物理的な矛盾、麻衣の態度が急変した理由、そして秘密基地に隠されていた“秘密”――それらを拾い集め、つなぎ合わせた末にようやく浮かび上がった推論だけで、果たして事足りるのか。

 おそらく、ここまで綿密な計画を立てて犯行をやり遂げた真犯人は、最初から一切の証拠を残さないように周到に動いていたはずだ。電話の発信記録や、凶器となった武のネクタイの入手経路など、細心の注意を払って痕跡を消しているに違いない。


 いっそ、すべてを警察に話すべきだろうか――?


 荒井と花村先生の不倫、麻衣の天体ノートの詩、秘密基地の謎。そして自分が導き出した真犯人の名前を。

 だが、直斗はすぐにその考えを打ち消した。山田刑事の、あの爬虫類のように冷たく、こちらを子ども扱いして小馬鹿にするような目を思い出したからだ。

 警察はすでに「尾崎武が犯人と断定」という、最も都合が良く世間が納得しやすいストーリーを完成させている。そこに単なる生意気な中学生が、「天体観測の矛盾」「麻衣のノート」などという回りくどい理屈と曖昧な証拠を持ち込んだところで、まともに取り合うはずがない。


 何もできない無力感に苛まれる日々が、さらに一週間続いた。

 八月を目前に控えたその日の夜は、一段と寝苦しかった。窓の外には風のそよぎすらない。世界中が分厚い水底に沈んでしまったかのような、ひどく息苦しい夜だった。


 午後十一時半を回ろうとした頃。

 机に突っ伏していた直斗の耳に、ふいに電子音が飛び込んできた。

 ベッドの上に放り投げてあったスマートフォンが発光している。薄暗い部屋の中で画面に目をやると、『七瀬亜季』という文字が浮かんでいた。

 こんな時間に? 直斗は気だるい体を起こし、通話ボタンをスライドさせた。


「……どうした、亜季?」

『よお滝沢。……俺だよ、荒井だ』


 鼓膜を震わせたのは、亜季の声ではなかった。

 少し低めの、大人の男の声。あの体育教師の声だ。

 だが、直斗は一瞬、耳を疑った。

 何だいまさら荒井が――? 花村先生との不倫の件は、もう済んだことになっているのではないのか?


「……荒井、先生……? なんで、あんたが亜季のスマホを……亜季は、どこにいるんだよ!」

『七瀬亜季は今、俺が預かっている』


 荒井の声は、ひどく平板で、いつものテンションの高さがなかった。感情の起伏がすっぽりと抜け落ちたような、一方的でひどく不気味なトーンだ。


『無事に帰したければ、お前が持っている証拠をすべて持って、いますぐ一人で新校舎の屋上へ来い。入る時はフェンスを越えて裏口の非常階段を使え。このことは誰にも言うな。言えばどうなるか分かるな? 必ず一人で来い』


 そこで通話は不自然に切れた。


 静寂が戻った部屋の中で、直斗はスマホを握りしめたまま一瞬頭が真っ白になった。どうしていいか分からず、意味もなくその場をぐるぐる歩き回る。


 ――罠だ。これは間違いなく罠だ。



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