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星降る夜に君が死んだ  作者: 天代 朔
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第39話  彼女が見ていたもの

 直斗はノートから顔を上げ、新校舎の向かい、グラウンドを挟んだ旧校舎へ視線を向けた。

 ここから入り口までは、直線でおよそ六十メートル。街灯の弱い光が、スチール扉をぼんやりと照らしている。

 直斗は首から下げていた双眼鏡を手に取った。指先に触れる、黒い樹脂の欠けた感触。さきほど部の備品箱から取り出したものだが、間違いなく前回の観測会で麻衣が使っていた、天文部の年代物の双眼鏡だ。


(あの日のこの時間、麻衣はこの双眼鏡で北川先生が首を絞められるところを目撃した……)


 犯人は背を向けていたため顔は見えなかった。

 麻衣は悲鳴を上げ、驚いて双眼鏡を落とした。

 それを拾ったのが直斗だ。


(俺が覗いたとき、旧校舎の廊下を武が走って逃げるのが見えた……)

 

 記憶をたどっていた直斗は、ふと事件直前の麻衣の言葉を思い出した。

 織姫と彦星を探していた直斗に向かって、彼女は双眼鏡を構えながらこう言ったのだ。

『一等星なんだからすぐ見つかるはず。ベガもアルタイルも、デネブも双眼鏡で見えるよ。それで夏の大三角形が完成だからね』


 ――あれ!?

 待てよ……。

 

 直斗ははっとして天文盤を手に取り、円盤を回した。

 六月二日、午後八時に目盛りを合わせる。そして、盤面が示す星の配置を見た瞬間、思わず息を呑んだ。


「おかしい……」


 盤面が示す東の空に、ベガ(織姫星)は辛うじて顔を出している。だが、アルタイル(彦星)とデネブは地平線の下に隠れており、まだ空に昇ってきていない。

 地球の自転と公転の影響で、星の見える位置や時間は季節によって驚くほど変化する。七月下旬の今ならはっきりと見える夏の大三角形だが、一ヶ月半前の六月上旬、しかも午後八時という早い時間帯では、まだ空に完成していないのだ。


 だとしたら麻衣はなぜ『アルタイルとデネブも見える』と言ってしまったのか――?


 直斗は急いでノートのページを遡った。まずは去年の観測記録――麻衣が二年生の時のページだ。六月の記録を見つけ出した直斗の目は、そこから動けなくなった。

 夏の大三角形のスケッチ。だが、記録されている日付は『六月二十八日』、時刻は午後八時過ぎだ。


 直斗の心臓が、警鐘のように激しく鳴り始める。


 続いて、今年の六月二日のページと見比べる。丁寧に星図は描かれているが、星の配置が去年の記録と「まったく同じ」だったのだ。

 これは明らかにおかしい。同じ時刻でも、一か月近くも日にちがズレていれば、星の位置は目に見えて変わるはずだからだ。


 つまり麻衣は、あの夜、事件のせいで星空の作図などほとんどできず、後になってから去年の自分の記録を写して今年のページを完成させたのだ。

 南東の空に描かれた夏の大三角形。

 アルタイルとベガ、デネブがきれいに線で結ばれ、その下には麻衣の筆跡で、あの織姫と彦星の伝説が書き込まれている。


 ――おそらく麻衣は、あの時いきなり俺から織姫と彦星、つまりアルタイルとベガの位置を聞かれて慌ててしまったのだ。そして「六月になれば夏の大三角形が見える」という曖昧な記憶だけを頼りに、とっさに取り繕って答えた。そのベースにあったのは、間違いなく去年の六月に記録したこのノートの記憶だろう。

 だからこそ、一ヶ月という日付のズレが生み出す決定的な星の位置の変化に思い至らなかったのだ。


 しかし、もしあの時、麻衣が実際に双眼鏡で夜空を探していたのなら、そんな間違いを犯すはずがない。まだ昇っていない星を「見える」などと言うわけがないのだ。

 見えない星を、見えたと言った。

 ということは、つまり――


 直斗は双眼鏡を構え、夜空を見上げた。無数の星が鋭い光の点となって視界に飛び込んでくる。ピントは無限遠に合っている。

 そのまま双眼鏡を下ろし、六十メートル先の旧校舎を覗き込んだ。


「あっ……!」


 思わず息が漏れた。

 レンズ越しの旧校舎はひどくぼやけていた。窓枠の形さえ判別できず、ただ闇のグラデーションが滲んでいるだけだ。

 当然だ。星に合わせたピントで、地上の建物に焦点が合うはずがない。ましてや周囲は外灯もない暗闇で、旧校舎から漏れる灯りだけが光源なのだ。

 この双眼鏡の状態で、誰かが北川先生の首を絞めている姿など、見えるわけがない。


 だが、あの日――


 麻衣が落とした双眼鏡を拾い上げ、旧校舎を覗いたわずかな時間で、直斗は、廊下を走る人物が武だとはっきり認識した。ほんの数秒とはいえ、顔も服の色も確実に識別できたのだ。


 なぜか――?


 答えは一つしかない。

 麻衣はあの時、星空なんて見ていなかった。最初から双眼鏡のピントを六十メートル先の旧校舎に合わせ、そこで「何か」が起きるのをじっと待っていたのだ。


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