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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第八節.小糸宿夜話

 夕闇が野山を染め始め坂道を上る一行の足に否応なくムチが入ったころ、最初に坂を上り切った鷹丸の目には切り拓かれた丘の下に碁盤目のように立ち並ぶ多数の家屋とそこを囲うように広がる広大な田畑とが映っていた。


「おーい、宿場が見えたぞー」


 鷹丸が振り向いて一行に呼びかけると茜は杖に預けていた体重を腰に乗せなおし、それまでの疲れを忘れたかのように一気に坂を駆け上がった。


「ふー、ふー、ようやく着いたか。このまま野宿にでもなったらどうしようかと思ったぞ」


 茜は大きく肩を上下させながらそばにあったブナの木にもたれかかると、そのままズルズルと地べたに腰を下ろした。


「翠扇様大丈夫ですか?」


 しばらくして追いついた富士重が茜を気遣った。


「ふん、この程度どうということもないわ。さっさと行って今宵の宿を探すぞ」


「それじゃあ俺がひとっ走り先に行って探しておいてやるよ」


 そう言うと鷹丸は緩やかな下り坂を勢いよく走って行った。茜は鷹丸の後ろ姿を目で追いながら呆れるようにため息をついた。


「あいつは体内に何か飼っているのか? 散々歩いて化け物相手に暴れて、なぜまだあんなに元気なのだ……?」


「そりゃあ鷹兄ぃは元気の塊みたいなもんだからなぁ」


 最後に追いついた茄蔵が汗をぬぐいながら笑って答える。確かにここまでの道のりは楽なものではなかった。塩田の町の先は三兄弟にしてみても未踏の地であり、次の宿場町までの街道状況など誰も知る由がなかった。それでも北に進めば中州守の屋敷に到着するという茜の言葉だけを頼りに一行はとにかく北へ北へと桜山街道を進み続けた。


 そもそも中州国は小さな山々が各地に点在する起伏の多い土地柄で、多くの人口密集地は山と山の間にある小さな谷や盆地のような場所に存在していた。そのため中州国を縦断する桜山街道はそのほとんどが多数の峠を(つな)ぐ山道の連続であり、それは都のはやり唄でも「天下の険は数あれど、飛脚殺しの桜山道」と唄われるほど険しいものであった。


 そんな疲弊した一行に更なる追い打ちをかけたのが山に住む小鬼の一団による襲撃である。小鬼とは中州国全域に生息する人型の生物で、人間の子供のような姿と赤黒い肌が特徴の狡猾で凶暴な生物である。小鬼達は山や森林を住処(すみか)としており人里にまで現れることは(まれ)ではあったが、時折徒党を組んでは近隣の村や田畑を襲ってくることもあった。個々の力はそれほど強くはないのだが道具を使う知能はあるらしく、集団で襲われ命を落とす者も決して少なくはなかった。


 町を出て一刻(約二時間)ほど過ぎたころ、一行は森林に囲まれた道の途中で小鬼の集団から襲撃を受けていた。ほとんどの街道はその領地に属する警備隊が定期的に巡回をしており、旅行中の旅人が何者かに襲われるということはそうそう無いことなのだが今回は運が悪かったようだ。


 錆びた刀やこん棒で武装した小鬼達が茜と富士重に迫る中、鷹丸と茄蔵が両者の間に割って入った。


「茄蔵、やられんなよ!」


「あいよ」


 猛り狂う小鬼達が奇声を上げながら二人に襲いかかる。しかし小鬼達の勢いもそこまでだった。自作の木刀“大折檻(だいせっかん)”を縦横無尽に振り回し、飛びかかろうとする相手を次々となぎ倒していく鷹丸。その隣では茄蔵の(いわお)のような拳で殴り飛ばされた小鬼が一匹また一匹と宙を舞っていく。


 間もなくして戦意を失った小鬼達は森の中へと逃げ帰ってしまったが、周囲を警戒する鷹丸と茄蔵の足元には(うめ)き声を上げながら這いまわる多数の小鬼達が残されていた。


 その見事な働きぶりに茜は二人に(ねぎら)いの言葉をかけるが、鷹丸と茄蔵は戦果を誇ることもなく照れ臭そうに謙遜するばかりであった。それでも鷹丸は戦闘の興奮が冷めないのか、その後も時折木刀を構えては誰もいない虚空を一心に切りつけているようだった。




 ――あれだけの技量と度胸があるなら百姓にしておくのは惜しい逸材かもしれんな。


 夕暮れ時の宿場町に溶け込んでいく鷹丸の姿を見つめながら、茜はふとそんなことを考えていた。



 茜達が小糸宿(こいとじゅく)と呼ばれるその宿場町に到着したとき、近辺に鷹丸の姿は見当たらなかった。薄暮にもかかわらず通りにはそれなりの人が往来していたが旅人らしい人の姿はまばらであった。それでも街道沿いに軒を連ねる旅籠屋や居酒屋には早々に灯がともり、その屋内から漏れ出す明かりに引き付けられるかのように往来の人影が一人また一人と店の中へと姿を消していく。


 あてもなく宿場町を歩いていた三人だったが、突然近くの旅籠屋から鷹丸が姿を見せると大きく手招きをしながら一行を呼び寄せた。


「おーい、こっちこっち」


「どうした鷹丸、その旅籠に何かあったのか?」


 茜が不審そうに鷹丸のほうへと近寄る。


「へへ、翠扇様みたいにうまくはいかなかったけどよ、それでも一泊メシ付きで一人四十文のところを、なんと三十六文でいいって言ってもらったぜ」


 鷹丸は得意そうに言うとその鼻の下に指をこすりつけた。


「姿が見えぬと思ったら値下げ交渉をしておったのか。ふふふ、なかなか面白いやつだ」


 微笑む茜に続いて富士重が「鷹丸もやるものだな」と関心したように言うと、追って茄蔵が「さすが鷹兄ぃだ」と鷹丸を持ち上げる。


 皆に褒められ上機嫌になった鷹丸は、まるで店の丁稚のように三人を店内へと案内した。そこはそれほど上等とは呼べぬような平旅籠ではあったが、案内された部屋には畳が敷き詰められ室内も掃除が行き届いているようだった。部屋の中央には(おもむき)のある松の絵の屏風(びょうぶ)が置かれており、どうやらここは二部屋として使われていたようだったが、旅籠の女中が屏風の位置をずらそうとするのを富士重が呼び止め、茜のことを考えてそのままで良いと告げた。


「翠扇様、この札を持っていけば近くの湯屋で風呂に入れるそうですよ」


 鷹丸は女中から渡された人数分の木の札と手ぬぐいを茜に差し出した。札には“湯屋札 鶴亀屋”と焼き印が押されており、手ぬぐいにもやはり藍色で屋号が染め付けられている。茜は札と手ぬぐいを一つずつ受け取った。


「ほう、これは気が利いているな」

 

「俺は荷物の番をしているからみんなで行ってくるといい」


 富士重はそう言って部屋の壁に寄りかかるように腰を下ろした。


「そうか? よし、じゃぁ茄蔵、翠扇様、ひとっ風呂行きますか」


「あいよ。俺ぁ湯屋なんて初めてだよ」


「俺もだよ。あぁ、兄貴の手ぬぐいと湯屋札はここに置いておくぞ。茄蔵、札を無くすなよ」


「分かってるよ。そうだ鷹兄ぃ、湯屋って――」「あぁ? そんなわけねぇだろ――」


 二人が慌ただしく廊下を去っていくと部屋には茜と富士重だけが残されていた。


「全く、騒がしい連中だな……」


「ははは、お恥ずかしい限りです」


「いや、……これはこれで悪くない」


 小声でつぶやく茜に富士重が「何ですか?」と聞き返す。


「――ふん、何でもないわ」そう言って茜は顔をそむけた。


 直後に廊下の先から鷹丸の呼び声が響き、茜はやれやれといった様子で部屋を出ていった。


 窓の無い室内は一足先に夜を迎え入れたように暗く沈み込み、開け放たれた(ふすま)から差し込む僅かな光と部屋に置かれた燭の頼りない明かりだけが富士重の姿をうっすらと描き出している。


 ――さて、皆が戻るまでどうしたものか。


 富士重は壁際に置かれた荷物に目を落としながら、瀬川村に残してきた田畑の様子を思い浮かべていた。



 半刻(約一時間)ほどすると茜達は部屋に戻ってきたが、まだ水気の残る髪の下にほんのりと紅色に染まった肌を見せる茜とは対照的に、鷹丸と茄蔵は何やらすっかり湯冷めをしたような様子だった。鷹丸と茜が「翠扇様の風呂は長すぎる」「お前達はカラスと一緒だ」と言い合うさまをなだめすかし、富士重も湯屋に向かうべく宿をあとにした。


 外はすっかり日も落ち、軒先に掲げた提灯の明かりが人通りも薄れた街道に点々と浮かんでいる。富士重は旅籠の女中から借りた手提げ提灯で道を照らしながら三軒ほど先にある湯屋を目指した。天には十三夜の月が妙に明るく輝き、提灯の明かりに頼らずとも街道全体を薄明るく照らしてくれている。富士重は春の夜気(やき)に胸元を閉めながら満天の星空を見上げた。


 ――明日も良い天気になりそうだ。


 そう思っていた矢先、富士重は街道から右手に伸びる道の先に不規則な動きをする小さな明かりがあることに気がついた。人魂のように浮遊するその明かりは右へ行っては左に移り、戻ってみてはまた左へとゆっくり動いている。


 不審に思った富士重が明かりのほうに向かってみると、ほどなくして月光に照らされる女の後ろ姿が目に入る。無造作に白地の小袖を着流しているその女は手提げ提灯の(ほの)明かりで木橋の(たもと)辺りを照らし歩いており、流れ落ちる蜜色の長髪を押さえながら草むらを覗き込むようにして何かを探しているようだった。薄明りに照らされた白小袖には幾重にも広がる藍色の葉から無数に顔を出す白椿が描かれており、柳のようにたおやかな後ろ姿と相まってどこか近寄りがたい幽玄な雰囲気を感じさせる。


 なんだ提灯の明かりだったかと安堵しながらも、娘さんが夜分に一人歩きとは不用心だなと感じながら富士重は来た道を戻ろうとした。ところが娘のほうでも富士重の気配に気付いたらしく、不意に後ろを振り返るなり悲哀を含んだ(はかな)げな声で呼びかける。 


「あの、もし……」


 呼び止められる声に振り返った刹那、富士重は意図せず息を呑んだ。暗がりの中で僅かな明かりに照らし出されたその顔は、小袖に描かれている椿が恥じてつぼみに戻ってしまうのではないかと思われるほどの美しさを誇っていたからだ。年のころは富士重と同程度に思えるが、まだ幼さを残すその顔には清楚な少女の印象と同時に無意識に男性を引き寄せてしまうような遊女にも似た妖艶さを秘めていた。


 富士重がその美しさに当てられたまま返事も忘れて立ち尽くしていると、娘は富士重のほうに歩み寄りながら言葉を続ける。


「突然お呼び止めして申し訳ありません。実は先程この辺りで大切な髪飾りを落としてしまいまして、ずっと探しているのですが私一人ではなかなか見つけられなくて……もしお急ぎでないようでしたら一緒に探していただけると助かるのですが」


「……あ、ええ、それはお困りでしょう。私でよければお手伝いしますよ」


「ありがとうございます。この暗闇で本当に難儀しておりました。どうかこちらへ……」


 そう言うと娘は蠱惑的(こわくてき)な笑みを投げかけながら富士重を見つめていた。

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