第七節.商談
手代の男は汚い物でも触るような手付きで結び目をほどいていたが、その中身があらわになるや否や途端に目の色を変えた。
「これを買い取っていただきたい」
兄弟の視線が茜に集中する。茜は手代の男を見据えたまま微動だにしなかった。
「ひめ……翠扇様、その、本当によろしいのですか?」
「構わん」
心配する富士重を余所に茜は言い切った。手代の男は包みから取り出した衣を一点一点丹念に、それこそ縫い目の具合や描かれた模様の一つ一つまで穴のあくほど睨み付けると「……少々お待ちいただけますか」そう言って店の中ほどにある帳場へと小走りに向かっていった。帳場格子の内側では身なりの良い厳つい顔をした男が手元の帳面を凝視しながらしきりにそろばんを叩いている。手代の男がその厳つい顔の男に何やら話しかけると、男はそろばんを叩く手を止め切れ長の目を茜のほうへと向けた。
厳つい顔の男は手代の男を連れて茜達の前へとやってくると若干口角を上げながら落ち着いた声で茜に話しかける。
「いらっしゃいませ。この店の番頭を仰せつかっております勘兵衛と申します。……なるほど、中々の品をお持ちいただいたようで。――失礼ですがどちらでこれを?」
「これは中州守様のお屋敷で働いていた姉上が病によって国元へ帰ることを余儀なくされた際、ご息女の茜様よりいただいたものだ。姉上は姫様から特別のお引き立てをいただいていたようで、少しでも療養費の足しにしてほしいと直々に下さったそうだ。流石は東光寺家の姫様、なんとお優しい心遣いであろうか……私はこの話を思い出すたびに姫様の優れた人柄に畏敬の念を禁じえぬ」
「……なるほど。しかしそのような大切な品を本当に手放してしまってよろしいのですか?」
「構わん、姫様もそのつもりでこの品を下さったはずだ。それに今の私達には高価な衣よりも姉上の薬代のほうが必要なのだ」
「左様ですか……事情は分かりました。そういうことでしたら、こちら、お姉様の薬代として一式二貫文でお引き取りさせていただきましょう」
「にっ?!」
驚いた鷹丸が思わず声を上げた。それだけあれば農耕に使える良い牛が二頭も買える。この綺麗な布切れに本当にそんな価値があるのだろうか? 鷹丸は目の前に置かれた衣が急に尊いもののように思えてきた。ところが当の茜の返事は淡白なものだった。
「それは残念だ。兄様方、別の店に行きましょう」
鷹丸は再び驚いた。二貫文もあれば路銀に困ることはまずありえない。それどころか道中それなりの贅沢もできるはずだ。
「行くって……売らなくていいんですか?」
「物の価値も分からぬ者に姉上の大切な衣を譲るわけにはいかぬからな」
当惑する鷹丸を尻目に茜は嘲笑うように番頭へと目を向けた。
「……それは残念でございます。しかしこの近辺でこれだけの金額を提示できる店は恐らくウチだけ。お嬢さんもそこらへんを見越してウチにこの品物を持ち込んだんじゃありませんか?」
心中を言い当てられたのか茜は勘兵衛から顔を背けた。
「別の店に持っていったところで二束三文で買いたたかれるのが関の山です。そんなことに時間を浪費している暇があるなら早くお薬を手に入れてお姉様を安心させてあげるほうが大事ではないですかな?」
「なぁに、いくら病床に臥しているとはいえ今日明日の命というわけではない。それにこの町が駄目でも他の町にも大きな店はあろう? 贖える薬の量が増やせるなら多少の労苦は厭わんつもりだ。――さぁ、兄様方、荷物を包みなおして次の町に参りましょう」
そう言って茜が暖簾を潜ろうとした矢先、「お待ちください」と番頭が声をかけた。往来に出した茜の顔がニヤリと歪む。
「あなたのような孝行な娘さんにわざわざ隣町までご足労をかけるのは私としても気が引けます。ここで立ち話もなんですから、どうぞお上がりになりませんか? 茶など用意させましょう」
そう言うと勘兵衛は近くにいた丁稚の少年を呼び止め、茶を持ってくるように伝えた。
店内に上がった茜達は帳場の前まで案内された。周囲の目を気にする三兄弟の意識とは別に、店内の客の視線は手代が持つ美しい花緑青の袿へと向けられていた。
「さて、」
全員が畳の上に腰を下ろし一人一人に熱いお茶が運ばれると、勘兵衛は軽い咳払いの後に切り出した。
「もちろんこの品の良さは私も存じております。しかしお嬢さん、物には相場というものがございます。仮にこの品を私共が三貫文で引き取った場合、当然私共としては利益を上げるために少々上乗せして、そうですな、例えば三貫五百文として売りに出すこととしましょう。するとどうなりますかな? いくら物が良いと分かっていてもそれだけの大金をポンと出してくれるお客様はそう多くはございませんな。どれだけ良い品物であろうと売れない以上は無価値も同じ。そうなると私もこの店の番頭として立つ瀬がございません」
鷹丸と茄蔵はなるほどなといった様子で何度もうなずいていた。しかし茜は何の関心も無さそうに、出されたお茶を少量すすると「どうかな?」と喋り始める。
「まず、三貫文であっても私はその衣を売るつもりはない。その衣の価値がその程度でないことくらい呉服屋の番頭であるお前ならば分かっているはずだ。それにこの町は塩田様のお膝元であろう? 地方の村とは違い買い手が付かないなどということは考えづらいがな」
「――なるほど、随分と肝の据わったお嬢さんだ。……分かりました。その衣にお嬢さんの度胸を上乗せして五貫文お出ししましょう。さすがにこれ以上の譲歩はできませんよ」
いつしにか勘兵衛の顔からは接客用の笑みが消え、その強面に沈む両眼は冷たい光を湛えながらまるで相手を圧し潰すかのような迫力をもって目の前の少女を見据えていた。三兄弟は焼き物の人形のように硬直したまま事の成り行きを見守っている。勘兵衛の脇に控える手代の男も軽々な援護射撃を行うこともなく、キッと口を締めたまま二人の駆け引きの行く末を注視しているようだった。
――五貫文、十分じゃねぇか……
鷹丸は無意識に唾を飲み込んだ。
――当初の二貫文を五貫文まで吊り上げたんだ、十分すぎる成果だ。折角相手も譲歩してくれているのにこれ以上の欲を出して話が決裂しちまったら元も子もねぇ……。屋敷のお姫様に物の価値を分かれってのも酷な話だが、番頭さんもこれ以上の譲歩は無いと言ってるじゃねぇか……姫様!
そんな鷹丸の必死の思いを踏みにじるかのように茜は薄笑いを浮かべた。
「まだぼろ儲けを夢見ているのか? それとも本当にその目は節穴か? 五貫文が限界だというのなら私は諦めて帰るまでだ。分かっていると思うがこれだけの品は滅多に出会えるものではないぞ。都の公家共が食うに困って質入れでもしない限りお目にかかれぬ代物だ。もっともそんなことはまず起きぬだろうがな。――私はつまらん駆け引きは嫌いだ。これ以上長居するつもりもない。……この逸品、見逃すかどうかは番頭さん、あなた次第だ」
「厳しいことを仰るお嬢さんだ。よほどその品に自信をお持ちのようですが――」
勘兵衛の言葉を遮るように茜が再び話し出す。
「領主の塩田様には今年十三になる小梅様というご息女がおられたはず。この衣は元々東光寺の姫様のもの。背丈がさほど変わらぬ小梅様ならば仕立て直しの手間もなくきっとお似合いになるであろうな。蝶よ花よの塩田様がこの品を見れば何とおっしゃるか……番頭さん、塩田様は一体いくらで買い上げてくださるのでしょうな?」
勘兵衛は目の前の小さな娘に心の内を見透かされている思いがした。
――気の強いだけの田舎娘と思っていたが、なかなかどうして底の知れない娘だ。この品の価値どころか売り込み先まで見抜かれているとはな……どこの誰かは知らんが、確かにこれ以上の駆け引きは無駄なようだ。
勘兵衛は久しく流すことのなかった冷や汗を額に感じていた。
「いやはやお見それいたしました。――ふふふ、お若いのに大したご見識だ。うちの者達にお嬢さんの爪の垢でも煎じて飲ませたいですな。……十二貫文出しましょう、これが私共に出せる本当の限界です。なんとか引き取らせていただけませんかな?」
茜は軽く鼻を鳴らすと先程までの威圧感が消えた勘兵衛の瞳をじっと見定めた。
「――分かった、それで手を打とう。ただし十一貫文分は同等の金でいただきたい」
「結構です。すぐに手配いたしましょう」
場を圧迫していた重苦しい空気は急激に比重を失い、名状しがたい緊張感から解放された三兄弟は安堵からか大きくため息をついた。勘兵衛が手代の男に声をかけると男はそそくさと店の奥へと姿を消してゆき、それからしばらくすると漆塗りの黒い盆を持ちながら茜達の前に戻ってきた。
「お確かめください」そう言って差し出された盆の上には環状の紐に通した一文銭の束が四つと、中身の詰まった小さ目の巾着袋が乗っていた。茜が巾着袋を持ち上げ中を覗き込むと黄金色を放つ大小不揃いな粒がぎっしりと詰まっている。
茜は「あの袿も砂金に化ければこの程度か」と漏らしながら袋の口を締めると、まるで豆を詰めたお手玉のように何度も宙へと放り上げた。それから番頭に砂金の重量を目の前で計測させると、今度は銭の束を掴み「これは兄上達が持っていてください」と言いながら二束を富士重に、残りを鷹丸と茄蔵に手渡した。
店を出た一行は再び往来を北に向かって歩き出した。そんな中、興奮冷めやらない様子の鷹丸は茜が持つ小さな巾着袋に注目していた。
「すげぇな、ひめ、いや翠扇様! 俺、砂金なんて初めて見たよ」
「あの品の価値を考えればもっと値を釣り上げてもよかったのだが、向こうにも商売があろう。買い取ってくれる番頭の顔も立ててやらんといかんしな……まぁ、これだけあれば屋敷までの路銀としては十分であろう――ほれ」
茜は砂金の入った袋を富士重に向かって無造作に放り投げた。
「っと……翠扇様?」
「それもそなたが持っておれ。華奢な私には重くてかなわぬ」
「はぁ…しかし、よいのですか? 銭だけでなくこんな高価な物まで私ごときが――」
「さぁ先を急ぐぞ。さっさと宿場まで行かんと日が暮れてしまう」
そう言って歩く茜の顔には年相応の無邪気な笑顔が浮かんでいた。




