第六節.四人の兄妹
村娘に扮した茜は「さぁこれで文句はあるまい」とばかりに出発を迫るが、いくら月明りがあるとはいえ夜道の移動は危険すぎる。どうにか思い留まるよう兄弟は嘆願するが癇癪を起こした茜は権威を背景に猛然と食ってかかる。しかし「ここで姫君が倒れてしまっては一体誰が母上様をお救いできるというのですか!」という富士重の捨て身の訴えが功を奏し、色々と悶着はありながらも最終的に出発は明日の朝まで持ち越されることとなった。
◇
一夜明け、兄弟達は必要最小限の荷物をボロ布に包み込むと空手同然に家を後にした。かさばりそうな荷物といえば茄蔵が背負っている茜の衣類と、鷹丸が持ってきた愛用の木刀くらいのものだった。
「本当にこんなんで大丈夫なんかなぁ……」茄蔵は心配そうに我が家を振り返った。
「そもそも持っていける物自体ねぇだろーが」鷹丸がつっけんどんに言い捨てる。
「まぁ、なんとかなるだろう。……というか、何とかしないとな」
富士重は心許なさそうに巾着袋に入った銭を数えた。多少の蓄えはあったものの、この先どれだけの出費がかかるのかは流石に予想もつかない。富士重は大きなため息を漏らした。
「なんだ富士重、路銀の心配か?」
その様子を見ていた茜が意地悪そうな薄笑いを浮かべながら富士重に寄り添う。富士重は慌てて巾着袋を懐にしまった。
「あ、いえ、何でもありません」
「隠すな隠すな。――まぁ銭のことは私にまかせておけ」
「え? はぁ……」
確かに中州守の長女という威光を持ってすれば路銀に困るようなことはないかもしれない。それどころか、富士重には想像も及ばないような豪奢な旅も夢ではないのだろう。だが昨晩の話では、どこに導鏡の手の者が潜んでいるか分からないため茜は身分を隠して旅をすると言っていた。それはこの先東光寺家の威光に頼ることができないことを意味する。……一体どこの善人が見ず知らずの村娘に路銀を用立ててくれるというのか? 富士重の不安は募るばかりであった。
「富士兄ぃ、それでどこに向かうんだぁ?」
少し遠出でもするくらいの調子で茄蔵が言う。すかさず鷹丸が駆け寄り「とりあえず街道に出るため隣町に向かうって昨日言っただろ、ちゃんと話聞いとけよお前は」と冗談気味に茄蔵の背中を叩いた。
「そうだっけか?」
茄蔵は大して気にする様子も無くあっけらかんと答える。
昨晩、今後どうやって屋敷を目指すかを全員で話し合っていた際、この地域の領主である塩田の名を聞いた茜は「そうか、ここは塩田殿の領地であったか!」と嬉しそうに声を上げた。
茜が言うにはここは中州守である東光寺義景の屋敷から南方に位置する場所だそうで、塩田の屋敷がある町を通る桜山街道を北に向かって進んでいけばやがて東光寺の屋敷に到着するとのことだった。そのため、朝になったらまずは西にある塩田の屋敷を目指し、そこから桜山街道を北上して最初に行き当たった宿場町で今夜の宿を探そうということで話が決まっていた。
四人は村を出る前に小助の家に立ち寄った。素性を明かしたくないという茜の希望により小助には「天女様がこの地に降り立った目的を果たすべく我ら三兄弟が旅の供を仰せつかりました。これより我ら兄弟は村を離れ、その崇高な使命の下、命を賭して天女様をお守りする所存でございます」と伝えた。
それを聞いた小助は感極まったように富士重の手を握ると、「そうかそうか、それは何とも立派なことだ! お前達はこの村の誉れだ!」と何度も何度もうなずいてみせた。
「残していく家や田畑のことは心配せず心置きなくお役目に身を捧げてくるがいい。お前達の偉業は必ずや子々孫々の代まで語り継いでいくぞ」と、まるで客死を前提とした小助の口ぶりに、「必ず生きて戻りますから」と何度も念を押しつつ一行は小助の家をあとにした。
「長老様にウソついてよかったのかなぁ……」
後ろめたさを感じる茄蔵のつぶやきに、茜は「ウソではないだろう。私の崇高な目的のためにお前達が供をするのは事実だからな」と、あまり慰めにもならない言葉を投げかけた。
昨日とは打って変わって春らしい朗らかな日差しが野道を行く四人に降り注ぐ。軽い足取りで先頭を歩く鷹丸はこれから始まる未知の旅に胸を躍らせていた。昨晩は高圧的な茜の態度につい反抗心が先走ってしまったが、冷静に考えてみれば一国の姫様を護衛しながら中州守のもとへ送り届けるという、刀一本で冒険旅行を夢見ていた鷹丸にとっては申し分のない展開である。ゆえに口にこそ出さないものの兄弟の中で鷹丸だけはこの旅に乗り気であった。
そんな向こう見ずな弟の後を追う富士重は昨日から腑に落ちぬ思いに悩まされ続けていた。当初茜の話を聞いたときには、それは導鏡という僧侶を何としても悪人に仕立て上げたいだけの思い込みでは? とも考えたが、事実、茜は別人格に意識を奪われたまま山中に置き去りにされていたのだ。
仮に茜の見立てが正しかったとして、“鬱陶しい小娘に何か弱みを嗅ぎ付けられる前に自分と中州守のそばから遠ざけたい”、そう考える導鏡の心情は分かるにしても、なぜ三降山に放置する必要があったのか? 一人では帰れそうもない場所に茜を追いやり、あわよくば獣や化け物にでも始末されれば好都合と考えていたのか? いや、話を聞けば導鏡という僧は中州守からも一目置かれており日々の相談事すら持ちかけられるほどの人物。それだけ優れた知恵を持つ者がそんな行き当たりばったりな行動にでるとはとても思えない。
それに茜が天から下りてきたというのも気になる。茜は導鏡の妖術と断じているが、他人を空に浮かべて移動できるほどの力を持っているならばなぜ駕籠を使ってここまで運ぶ必要がある? ……山中での転落による事故死を装うため? いや、茜は怪我一つどころか痛みさえも訴えてはいない。ならばその落下は身体に負担がかからぬほど緩やかに行われたと考えるのが妥当だろう。
富士重はすぐ横を歩く茜に目を向けた。
「姫君――」
「だから姫はやめい! 今の私はお前達の妹の翠扇だと昨日決めたであろうが」
「そうなのですが……では、あの、翠扇、様」
「様? お前は自分の妹を“様”付けで……まぁよい、なんだ?」
「――いえ、何でもありません」
「あん? おかしなやつだな。用も無いなら声をかけるな」
「申し訳ありません……」
こんな話を持ち出したところで茜には返答のしようもないだろう。それどころか彼女の気性を考えれば「バカ者! そんなこと私に分かるわけがなかろう!」と機嫌を損ねかねない。富士重は異物が喉に刺さったような不快感を拭いきれないまま一路西へと歩き続けた。
そんな兄達の胸中など知る由もない茄蔵は一行の最後をのんびりと歩いていく。柔らかな春風に誘われるまま、ふと天を見上げると澱みのない澄みやかな青空に細長い白雲が連なって流れている。鷹丸の急き立てる声を聞きながら茄蔵はまだ見ぬ中州守の屋敷へと思いを馳せていた。
◇
日も正午に近づいたころ、一行は塩田の屋敷がある隣町へと到着していた。
縦横に町中を走る小道を抜け桜山街道と思しき大通りに到着すると、三兄弟は立ち並ぶ豪壮な木造建築の数々とそこに掲げられた大小様々な看板に圧倒されていた。
「やっぱし俺達の村とは違うなぁ……人も建物もいっぱいだぁ」
「そうだなぁ……さすが塩田様のお膝元だけあっていつ来てもすげぇや……」
茄蔵と鷹丸が物珍しそうに右へ左へと首を回しながら歩いていると、突然往来の中央で茜が足を止める。不審に思った富士重が声をかけると、茜は「ここでよいか」と言うなり目の前にある藍色の暖簾を潜り店の中へと入っていってしまった。突然の行動に呆気にとられながらも、三兄弟は茜の後を追って暖簾を潜った。
店に入るとすぐ先が小上がりとなっており、広い店内には一面に畳が敷き詰められている。見れば店員と思しき者があちらこちらで反物を広げ、身なりの良さげな女性客達と商談をしているようだった。あまりに場違いな雰囲気を感じながらも兄弟が店内を見回していると、店の脇から茜と同い年くらいの少年が小走りに寄ってきた。
「どういった御用でしょうか?」土色の筒袖を着た少年が言った。
驚いた三人が丁稚らしいその少年を見つめながら言葉を詰まらせていると、近くにいた茜が「少々見てもらいたいものがあるのだが、店の人を呼んでもらえんか?」と少年に頼んだ。少年は茜のほうを見ると、僅かにためらったのち「へい」と言って勢いよく店の奥へと消えていった。ややあって、富士重達の前に中肉で優しそうな顔つきの男が現れ畳の上へと座り込んだ。
「いらっしゃいませ。何やら見てもらいたい品があるとのことですが?」
男は笑顔を浮かべながら流れるように四人を見回すと、富士重に代表者の目星を付けて話しかけた。この店の手代らしいその男は物腰こそ丁寧ではあったが、一行の色あせてくたくたとなった服装を見る目には明らかに蔑みの色が浮かんでいた。兄弟がうろたえる中、茜は臆する様子もなく口を開いた。
「茄蔵兄様、荷物を」
「――兄様? あ、あぁ、今下ろすよ」
茜の兄様発言に不意を突かれた茄蔵は、少し戸惑いながらも背負っていた包みを畳の上に下ろした。




