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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第四十節.末妹

 落ち葉を巻き上げながら猛然と転がり始めたツチガミサマは、走る慈螺を追うように藤一郎たちのほうへと迫ってきた。このまま漫然と立ち尽くしていては慈螺の到着を待たずして全員がツチガミサマにひき殺されかねないだろう。


「少将様、二手に分かれて避けましょう! 慈螺ぁ! 危なくなったら岩陰に隠れろぉ! 茄坊はこっちだ!」


「姫宮殿、慈螺殿は何処(いずこ)に……?」


「説明は後ほど!」

 

 藤一郎は声を張るなりツチガミサマの頭側に向かって走り出した。すぐに後を追う茄蔵。朋麻呂が二人とは反対方向に走り出すと、ツチガミサマはその進路を藤一郎たちの進行方向へと傾けつつ勢いそのままに転がり続けた。


「ほらほら、早く逃げないとひき殺されてしまいますよ。あはははは」


 岩壁の上で笑う白妙の言葉も届かぬまま、藤一郎たちは何とかツチガミサマの追跡から逃れようと懸命に走り続けた。転がるツチガミサマは岩陰にうずくまる慈螺には見向きもせず、やがて藤一郎たちのもとへと迫りくる。林まで逃げ込むには時間が足らず、身を隠せそうな段差や岩場も無い。白妙のように壁を駆け上がる(すべ)を持たぬ藤一郎たちは、その岩壁とツチガミサマに挟まれ絶体絶命の危機に陥っていた。


「茄坊!」


 走りながら藤一郎が岩壁の一点に指をさす。その壁面には奥に続く穴こそないものの、二人が逃げ込めそうな窪みが浅く口を開いていた。


 二人が意を決して窪みに飛び込んだ直後、鈍い音と共にツチガミサマの巨体が岩壁へと衝突する。己の無事を確認すると共にすぐさま壁に背を押し付けながら前方の様子をうかがう二人。暗がりの中、漏れ込む明かりが映し出したのは視界いっぱいに広がるツチガミサマの黒い剛毛であった。


「はぁ、はぁ、助かったぁ……」


「畜生め、さすがに生きた心地がしねぇや……しかし参ったなこりゃ、野郎がそこに張り付いてる限り身動きがとれねぞ」


「蹴っ飛ばしたら動いてくれねぇかな?」


「おい、やめとけ。もう大丈夫だと思うが、万が一でも呪い殺されちまったらシャレにもならねぇ」


「そっかぁ。そりゃぁ困ったなぁ……」



 薄暗闇の閉所で二人が途方に暮れていると、やがてツチガミサマのほうでも対処に困ったのか、「ゾリゾリ」と岩壁に体をこすり付けながらゆっくりと移動を始めたようであった。


「……諦めて動きだしたか?」


「よかったぁ、これで出られそうだ」


 茄蔵たちが安堵の言葉を漏らす間にも目の前を動く毛の壁は左へ左へと流れてゆく。この窪みの近くで戦う限り体当たりの呪いは何とか回避できそうだが、刃どころか五岳の霊力すら通用しないような(あやかし)相手にこれからどう戦ったらよいものか……。漏れ込む明かりが徐々に増してゆく中、藤一郎は必死に考えを巡らせていた。


「あ……」


 逃げ場を塞いでいたツチガミサマの巨体が消え、日の光が窪みの中を照らし出すと同時に茄蔵は間の抜けた声を漏らした。横に立つ藤一郎の顔が不快そうに歪む。


「畜生が、そうきやがったか……!」


 開けた視界の先に見えたものは、まるで二人をあざ笑うかのように舌を揺らすツチガミサマの大きな口腔であった。


 窪みに押し込まれたまま逃げ場のない二人。巨大な頭部が再び日の光を遮り、間もなく窪みの内側まで入り込もうと近づいたその時……突如その左頬がザックリと切り裂かれ、ツチガミサマは大きく身をよじらせた。


「姫宮殿、無事でおじゃるか?」


 外からの声に藤一郎たちが窪みを抜け出すと、そこには二刀を構えツチガミサマに対峙する朋麻呂の姿があった。


「助かりました少将様!」


「茄蔵様!」


 朋麻呂の近くにいた猫の慈螺が茄蔵に勢いよく飛びつく。


「慈螺も無事だったか。よかったなぁ」


 茄蔵は慈螺を抱き止めると満面の笑みを浮かべながらその頭を撫でた。一同が互いの無事を確認する中、ツチガミサマは長い体をくねらせると、薙ぎ払わんばかりの動きでその口を朋麻呂たちのほうへと向ける。見れば頬の傷は既に塞がり始めており、傷跡に燃え上がる炎の勢いも先程より随分と弱いように感じられた。


 ――麻呂ちゃん、やっぱコイツすげぇわ。どういう仕組みか知らねぇけど、もう送り火に対する抵抗力を身に付けちまってるらしいぜ。


「なんと……其方(そなた)の霊力を(もっ)てしても通用せぬと申すのか?」


 ――いやいやいやいや、天下の霊刀を軽く見てもらっちゃ困るぜ麻呂ちゃん、俺の力がこの程度のワケねぇだろうがよ。つまるところ振るう人間の力量がまだまだ足りてねぇってことだ。


「……言ってくれるのぉ。ではその非力な麻呂がこの(あやし)を退治するにはどうすれば良いと考える?」


 ――ん~……分かんね。コイツ、見た目に反して相当な力の持ち主だわ。今の麻呂ちゃんの実力じゃ退治なんて無理だと思うぜ。


「つれないヤツめ……」


「少将様、斑尾殿は何と?」


 にじり寄るツチガミサマから後退しながらも、会話の節目を見計らい藤一郎がたずねた。


「……強敵ではあるが皆の力を合わせれば勝てぬ相手ではない。兎にも角にも全員で相手を攪乱(かくらん)しつつ、隙を狙って攻めながら弱点を探る他あるまい」


「なるほど、承知いたしました! 茄坊、遅れをとるなよ」


「合点だ!」


 ――麻呂ちゃん、俺、そんなこと言ってねぇけど……?


「では皆の者、散るでおじゃる!」


 朋麻呂の声に三人と一匹が駆けだそうとした瞬間、ツチガミサマはその口内より耳を覆いたくなるような大音響を発した。それはおおよそ生物の鳴き声とは言い難く、戦場に轟く法螺貝(ほらがい)の音色に酷似したモノであった。


 侮蔑の嘲笑かはたまた怒りの咆哮か? 突然の奇声に警戒する一同。異変はその直後に訪れた。


「これは……?!」


 突如襲いかかる強烈なめまいと頭痛に朋麻呂は表情を歪めた。苦痛に耐えつつ周囲を見回すと、他の者も苦悶の声を上げながら頭を押さえ立ちすくんでいるようであった。これもツチガミサマの力の一端なのか? 朋麻呂は痛みに視界を乱されながらも必死にツチガミサマの動向を捉えようとする。ツチガミサマは声を発したまま頭を揺らし、ゆっくりと朋麻呂のそばへとにじり寄っていた。



 岩壁の上から朋麻呂たちが苦しむ様子を眺めていた白妙は、おもむろに懐へと手を入れるなり中から銀細工で装飾された赤い宝石の首飾りを取り出した。


 ――阿闍梨様からお借りした石がもう赤色を失い始めている……連中が死ぬまでこの“anti-ar(霊異)cane pro(からの)tection(守護)”とやらの力がもつのかどうか……かと言ってこのまま立ち去っちまったらあの衒学(げんがく)坊主(円海(えんかい))の二の舞になりそうだしね……悪あがきせず、このまま楽になってくれるとありがたいんだけど……。


 首飾りを握りしめた白妙は若干の焦りを覚えつつもツチガミサマと朋麻呂たちの様子に注意を向けていた。そんな折、白妙は視界の端に動くモノの存在を認識する。咄嗟に目を向けてみると“それ”は岩壁の上を続く林の中を移動しており、丁度朋麻呂たちの直上あたりを目指しているようであった。


 ――……人、か?


 予期せぬ来訪者の存在に白妙はすぐさま身を屈めると、断崖に向かって走る相手の動向を注意深く見守った。



「……見つけました」


 元服前の武家男子を思わせるその来訪者は、小さくつぶやくなり腰に佩いた太刀を抜き放つと、何のためらいも見せぬまま岩壁の上から身を躍らせた。一つ結びにした長い髪が宙を泳ぎ、逆手に握った太刀の切っ先は真下に見据えるツチガミサマへと向けられていた。


 大地に引き寄せられるままツチガミサマの背へと下り立った来訪者は、勢いそのままに手にする濡れ羽色の刃を突き立てた。途端に生物の絶叫のような声を上げたツチガミサマは、慌てた様子でその口を背に乗る来訪者へと向ける。


「百八十年ぶりの再会といったところでしょうか? もっとも、あなたは私のことなど知りもしないのでしょうが……」


 来訪者は両手に力を込めると、突き刺した太刀を横にねじった。


 唐突に不快な頭痛から解放され視界もハッキリと定まった一同は、当惑した面持ちのまま、それでも視線だけは即座にツチガミサマへと向けていた。目に映るのは背後に頭を向けるツチガミサマと、その背に乗る見知った一人の人物であった。


「中州の……?」

「姫様?!」

「姫さん!」

「姫、様?」


 一斉に驚きの声を上げる一同。茜はその声に応える様子も見せず突き刺した太刀をジッと見つめていた。間を置いてツチガミサマが茜へと噛みかかる。


「危ねぇ!」


 すぐさま藤一郎が斬りかかろうとするもツチガミサマの口は茜の直前で動きを止めると、そのまま力無く地面へと倒れ落ちてしまった。訳も分からず唖然とする一同を前に、茜は何事もなかったかのようにその背から太刀を引き抜くと、軽快な動きでツチガミサマから飛び降りた。


「皆様、ご無事ですか?」


 太刀を握ったまま、集まる一同に柔らかな笑顔を向ける茜。驚きのあまり困惑する一同の中にあって、藤一郎がにわかに声を上げた。


「何が何やら分かりませんが、とにかく助かりました姫様! ですが早くそこから離れてください! この(あやかし)、そう簡単に倒れるようなヤツではありません。すぐにまた襲い掛かってまいりますぞ!」


「いえ、もうツチガミサマは動きません」


 どこか悲し気な笑みを浮かべながら背後のツチガミサマに視線を送る茜。それでもツチガミサマのそばから茜を離そうと説得する藤一郎の背後で不意に慈螺がつぶやいた。


「……姫様、ですか?」


 その言葉に藤一郎と茄蔵が顔を向ける。茜も慈螺を見た。


「どうした慈螺ぁ、そんなに難しそうな顔して?」


「分かりません……分かりませんが、何か、何か変なんです。姫様に間違いないはずなのに、でも……」


「なんだ? さっきの大声で頭でもやられたのか?」


 藤一郎たちが訝し気に慈螺を見る横で、朋麻呂もまた言い知れぬ表情を浮かべたまま茜を、そしてその手に持つ太刀を見つめていた。


 ――不意打ちとはいえ一刀の下にあの(あやかし)を? それに、あの黒色の太刀……。


 朋麻呂には心当たりがあった。行方知れずとなって久しい御剣神社のご神体。躑躅崎家がその監視を担う門外不出の秘宝にして東雲を滅ぼしかねない災厄の権化。まさか、目の前の少女が握るあの太刀こそが焦がれるほどに探し求めていたそのモノだというのか? 


 朋麻呂の疑念に答えるかのように斑尾の声が心中に響く。


 ――おいおいおいおい、こりゃとんだ珍客のお出ましだぜ……麻呂ちゃんが散々会いたがっていた末妹(まつまい)に、まさかこんな場所で巡り合えるとはなぁ……。


 その言葉に朋麻呂の表情は強張り、太刀を握る手が冷ややかな汗で湿ってゆく。


「……恐らく、本当に(ほふ)ってしまったのであろうな」


「は? 少将様、今なんと?」


 ささやくように声を漏らした朋麻呂に、藤一郎は聞き逃した言葉の反復を求めた。朋麻呂はそれに応ずる様子も見せず、視線を茜に向けるなり普段の調子で語りかけた。


「今、発しておるその言葉は中州の姫自身によるものか? はたまた哀れな姫君の体を支配した霊刀の意思によるものか?」


 茜は朋麻呂に目を合わせるがその表情からは何等の心情も読み解くことはできない。朋麻呂は語調を変えることなく言葉を続けた。


「いずれにせよ、念願叶いこうして其方(そなた)に巡り合えたことは僥倖(ぎょうこう)と言うべきでおじゃろうか。……先人の記録に(いわ)く、五岳の一峰に名を連ねながら手にする者の心を食らう魔性の妖刀。人妖問わず数多(あまた)の魂を貪り続ける泉下(せんか)の怪物……魂食(たまは)み黒姫」

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