第三十六節.今やらねばいつ倒す 我がやらねば誰がやる
「なりません少将様!」
縁の制する声が聞こえぬかのように朋麻呂は扇子で顔を扇ぎながら藤一郎を見つめていた。訝し気な表情で振り返る藤一郎は、ためらいながらも朋麻呂の問いに答える。
「……まだ予備はございますが、それが何か?」
「並みの刃ではかなわずとも斑尾の霊験をもってすれば妖めを退治てやることも可能やもしれぬ。その洞穴とやらに麻呂を案内するがよい」
「少将様!」
再び縁が声を上げる。朋麻呂は顔を扇ぐ手を止めると涼しげな顔で縁を見た。
「其方は神社に戻り影からの報告を待っておれ。麻呂はこの者たちと共に先人が成し得なかった偉功を成就させてくるでおじゃる」
「いけません少将様! 少将様に万が一のことでもあっては……!」
「心配無用じゃ、宮中に麻呂の後釜などいくらでもおろう。むしろそういった輩にしてみれば麻呂が酔狂の果てに命を落としてくれるなど願ってもないことでおじゃろうて」
「な、何ということを申されますか! そもそもお家の方々にはどう説明したらよろしいのですか?! 少将様がお亡くなりになったと知れば内大臣様(父親)や中納言様(兄)がどれほど悲しまれることか……私の首一つで済むような問題であれば構いませんが、事はそんなに簡単な話ではございませんよ!」
「お前が責任を感じる必要はないでおじゃる。ここで麻呂が犬死しようともそれは麻呂が自分で選んだ道。御父様方には申し訳ないが、名家に生まれた不出来な次男坊と諦めていただくしかしょうがないでおじゃろう」
「そのようなご無体な……」
「……ときに縁よ、先程から聞いておれば其方は麻呂がここで死ぬことがさも当然であるかのように語っておるようじゃが、それはちと不敬が過ぎるのではおじゃらぬか?」
「そのようなことはございません! 私は少将様の身を案じればこそ、このようなことを訴えているのでございます! 聞けばその妖は見たり触れたりするだけで人を殺めてしまうそうではありませんか。いくら少将様の剣術が自他共に認めるものであろうと、いくら五岳の一峰をその手に収めておいでであろうと、公家であらせられる少将様が自ら危険な場に飛び込まれる必要はないはずでございます! 此度の件に限らず少しは御身の重要さをご理解くださいませ!」
いつしか縁は顔を真っ赤に染め上げると、自らの立場も忘れ熱弁を振るっていた。その勢いに押されてか朋麻呂もややきまりが悪そうに縁から目を背ける。
「なんじゃ、今日は随分と手厳しいのぉ……そう熱くならずとも少し落ち着くがよい。そうじゃ、麻呂が少々扇いでしんぜよう」
そう言いながら朋麻呂は手に持つ扇子で縁を扇ぎ始める。だがその行為は縁の熱を下げるどころか、より一層彼を苛立たせることとなってしまった。
「少将様、少しは真面目にお聞きください!」
「……いつも心配をかけるな、縁。其方らが麻呂の身を案じてくれていることは常々承知しておる」
朋麻呂は扇子を扇ぐ手を止めると静かに語り出した。突然の変化に縁が面食らっている中、朋麻呂は言葉を続けた。
「麻呂が大人しく宮中勤めに励んでさえおれば此度のような無用な心労を其方らにかける謂われもないのであろうな……」
「いえ、我らのことなどどうでも良いのです。それよりも少将様――」
「幼少のみぎりより我が身を省みず奉公してくれておる其方に対し、麻呂は報いることもできず気まぐれに労苦を与えてばかりじゃ……未熟な主と言外に心を痛めつつも、その未熟さ故か其方の忠心に報いる術を見出せぬ」
臣下を思いやる朋麻呂の独白に先程までの煮え立つような苛立ちはまたたく間に熱を失い、言葉に詰まった縁はただただ当惑するばかりであった。
「縁よ、麻呂は至らぬ主でおじゃる。家督も継げぬ不遇な主でおじゃる。従う者たちに過分な苦労を強いる非情な主でおじゃる……そんな麻呂に不平不満を言い立てることもなく、ただ一心に尽くしてくれる其方には月並みの謝辞ごときではとてもこの思いを伝えきれぬ……」
静かに語る朋麻呂を前に、失われていた熱量はその質を変えながら縁の心中にて徐々に息を吹き返す。熱は五体を駆け巡り押さえ難い興奮を伴いながら目頭へと達すると、涙腺を弛緩させ縁の眼に歓喜の涙を滲ませる。
「少将様……」
「麻呂とて多くの公家同様に都に腰を据え、大きな諍い事に巻き込まれぬようその職責を全うすることができればどれほど幸せでおじゃろうか……。しかし縁よ、麻呂は知ってしまったのじゃ。今はまだその悪行を知る者こそ多からぬが、動乱の陰に身を潜め東雲に害をなさんとする悪僧の存在を」
朋麻呂は手に持った扇子を勢いよく閉じると、それを強く握りながら縁を見つめた。
「……こうしておる間にも澄恒の悪だくみは東雲中に広がる一方でおじゃる。諸国の未来を憂うこの訴えが宮中で一笑に付されておる以上、今、麻呂が動かねば誰があの悪僧の無法を止められようか? ……なればこそ帝の平安なる世のため、ひいては東雲に生きる其方ら臣民のため、麻呂はこの身を賭してでも澄恒を誅せねばならぬのじゃ」
縁は黙したまま目を伏せる。歓喜が故の涙はいつしか主人の高い志に感化された崇敬の涙へと変わっていた。
「少将様の東雲を憂う深いお心……この縁も重々承知しております」
「ならばひるがえって現状に目を向けてみるがよい。今こうして村落に仇なす妖一匹を誅しえぬ者が、どうして東雲に仇なす巨悪を誅することができようか? 心配など無用じゃ、天命は麻呂にこのような場所で倒れることを許しておらぬ。もしも麻呂が倒れることがあるならば、それは澄恒めと刺し違え東雲に懸かる暗雲を晴らした時でおじゃろう」
感極まる縁に朋麻呂は優しい笑みを向けながら語り続ける。
「縁よ、其方はすぐに神社へと戻り影からの情報が入り次第、麻呂に代わって白妙の行方を追うのじゃ。……麻呂の留守中にこのような重要な役目を託せる者は其方を置いて他にはおらぬ。この願い、聞き届けてはもらえぬか?」
「少将様のご命令をどうして断れましょうか! 分を弁えず出過ぎた心配をしてしまい申し訳ございません……白妙の件はこの縁にどうかお任せください。必ずやあの女狐めの居所を突き止めてみせましょう!」
言うが早いか縁は斑尾を鞘ごと朋麻呂に差し出すと、晴れ晴れとした顔で御剣神社に向かい走り去っていった。朋麻呂はその様子を満足そうにうなずくと、再び扇子で顔を扇ぎながら藤一郎のほうへと顔を向けた。
「さて、小うるさい連れも消えたことじゃ。早う妖の巣穴へと向かうといたすか」
先に立って坂道を上り始める朋麻呂に藤一郎もすぐさま後を追った。悠然と歩く朋麻呂の背を見ながら藤一郎は思わず小さな笑い声を漏らす。その声に朋麻呂が振り返った。
「なんじゃ笑みなど浮かべおって?」
「これは失礼いたしました。……いえ、何やら似ておられるなぁと思いまして」
「似ておる? 誰に似ておると申すのじゃ?」
「姫様にでございます」
「姫? まさか中州守殿のご息女のことでおじゃるか? 何を言い出すかと思えば……あのような慎み深く儚げな姫君と麻呂のどこが似ておると申すのじゃ。……このようなときに戯言を申すでないわ」
「申し訳ございません」
そう言って頭を下げながらも藤一郎の顔から笑みが消えることはなかった。朋麻呂が気にせず先を歩き始めると藤一郎は思い出したように朋麻呂のそばへと駆け寄った。
「気が回らず失礼いたしました。少将様、よろしければ太刀をお持ちいたしましょう」
藤一郎は片膝をつくと朋麻呂が持つ斑尾に向けて両手を差し出した。
「気遣いは無用じゃ。それにこの太刀は縁以外の者に預けるつもりはないでおじゃる」
そう言うと朋麻呂は藤一郎をその場に残し一人村へと向かってゆく。藤一郎は膝を上げると、棚田に映えぬ桜色の狩衣を揺らし黙々と坂を上る朋麻呂に目を向けた。
――やっぱり、どこか似てんだよなぁ……
心の中でそうつぶやくと、藤一郎は表情を引き締め朋麻呂の後を追った。




