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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第三十五節.それを愚行と貴人は笑う

 草生(くさむ)す難路に足をとられつつもどうにか無事に毒霧を回避した朋麻呂は、三叉路を少し過ぎた辺りでその足を止め湫野宿へと続く道の先に目を凝らした。しかしどれほど注意深く見回そうとも目の前の原野に人影らしきものは認められず、天に上ったかはたまた地に潜ったか、白妙は僅かな痕跡すら残すことなく、まるで煙のようにその姿をくらましていた。朋麻呂は湧き上がる苦々しい思いを押し殺しながら人気(ひとけ)のない原野を静かに見つめていた。


 後を追ってきた縁たちも立ち尽くす朋麻呂の姿に気づき無言のまま足を止める。そして無駄とは感じつつも白妙の姿を探して周囲に目を走らせた。


「……さすがは澄恒の手飼いよのぉ。人を欺く(すべ)だけに留まらず、逃げ足についても一級品じゃ。ほほほほ」


 突然の笑い声に一同が困惑していると朋麻呂はゆっくりと後ろを振り向き縁に目を向ける。


「取り逃がしたことは悔やまれるが、いずれ影から何らかの報が届くでおじゃろう」


 そう言うと朋麻呂は縁をそばに呼び寄せ斑尾を手渡すと、もう一振りの太刀も自身の鞘へと収めた。


「さて……心得違いとはいえ、其方(そなた)たちには随分と迷惑をかけてしまいましたな」


「いえ、(わたくし)のほうこそ成り行きとはいえ少将様に(やいば)を向けるなど武家としてあるまじき行為。如何様(いかよう)にもご処分を受ける覚悟にございます」


 藤一郎はすぐにその場で膝をつくと深々と頭を下げた。


「ほほほ、よいよい。田庭の……否、今は中州の毘沙門天でおじゃりましたな。ともあれ、かねてより其方(そなた)とは一度手合わせを願いたいと思っておったところじゃ。それに此度(こたび)のことは互いの思い違いによる過失が大きく、何らかの悪心に根ざしたものではない。ここは双方とも一度認識を改め、これまでの事は水に流してしまうが最良と思われるが、いかがでおじゃろうか?」


「はっ! 数々の非礼にも関わらず寛大なご処分、少将様のお心遣いに感謝いたします」


「うむうむ。さぁさ、いつまでもそう頭を下げておらずに、其方(そなた)らと澄恒の間に一体何があったのか、麻呂に詳しく教えてはくれぬか?」


 藤一郎は遠慮がちに顔を上げると、二月(ふたつき)ほど前に中州国であった導鏡との一部始終を朋麻呂に語り始めた。




 茄蔵が補足を加えつつ藤一郎が一通り説明を終えると、朋麻呂は懐から扇子を取り出し優雅に顔をあおぎ始める。そして意味ありげな沈黙の後にやや笑みを見せながら口を開いた。


「なるほどのぉ……澄恒が中州国から消えたのはそういった(いわ)れでおじゃったか。いやはや、あの妖術使いに一泡吹かせるとは流石に毘沙門天殿でおじゃりますな」


「いえ、私の力だけでは到底及ぶものではありませんでした。そこに控える茄蔵をはじめ、多くの者の尽力の結果にございます」


 藤一郎は後ろに控える茄蔵に視線を送る。朋麻呂はその様子を不思議そうに見つめていた。


「放っておいた密偵から“やけに腕の立つ大男に調査を妨害された”と報告を受けていたものでのぉ……試しに鎌をかけてみたところ動揺する素振りが見て取れたゆえ、てっきり其方(そなた)のことかと早合点してしもうたわ。げに恥ずかしき話におじゃりまするな」


「私のほうこそ少将様があの悪僧を影で操る黒幕などと決めつけてしまい、面目次第もございません……」


 双方が己の勘違いに恥じ入っていると、主馬へと続く坂の上から何者かが小走りに駆け寄って来る。それに気づいた茄蔵は何者かを指さしながら藤一郎に告げた。


「あれ? 毘沙門さん慈螺が来たみてぇだ」


 茄蔵に言われ藤一郎が坂道へと目を向けると、確かに椿姫姿の慈螺が小袖を振り振りこちらに向かってくる様子がうかがえる。茄蔵が「おーい」と手を振り声をかけると慈螺も走りながら手を振りそれに答えた。




「どうしたんだ慈螺? まさか鷹兄ぃに何かあったのか?」


 息を切らせながら駆け寄る慈螺に茄蔵が訊ねた。


「いえ……はぁ、はぁ……茄蔵様たちの戻りが遅いもので……はぁ、はぁ……様子を見にきたところです……はぁはぁ」


「そっかぁ、そいつは心配かけて悪かったなぁ」


「……姫宮殿、こちらの美しい娘御はお連れの方でおじゃるか?」


 髪を乱したまま苦し気に肩を上下させる慈螺を見ながら朋麻呂が言う。


「娘? ……あ、いえ、はい。……その、共に旅をしております慈螺と申します」


「ほう、慈螺……良い名じゃのぉ」


 そう言うと朋麻呂は扇子で口元を隠しながら興味深そうに慈螺の姿を見つめていた。


「毘沙門さん、そろそろ鷹兄ぃのトコへ戻らねぇと」


 茄蔵の言葉に藤一郎は思い出したように「おお、そうだな」と答えると、再び朋麻呂に頭を下げる。


「少将様、我らもあの女の捕縛にお力添えしたいところではありますが、実は供の者が上の村で重病に倒れており、すぐにでも対処に戻らねばなりません」


「なんと……それはとんだところを足止めをしてしまいましたな。白妙のことは麻呂たちに任せて早う患者のもとに戻られるがよかろう」


「ご助力叶わず誠に申し訳ありません。それでは我らはこれにて失礼いたします」


「よいよい、しかしこのような場所で病に倒れてしまうとは医者も無く難儀でおじゃろう。神社に戻れば少量なりと薬の蓄えもあるはず、あとで使いの者に届けさせようぞ。して、供の者はどういった病状なのでおじゃるか?」


「それは……」


 藤一郎は返答に詰まると茄蔵と慈螺のほうを向き、先に与平の家に戻っているように告げた。


「……実は、供の鷹丸はとある事情によりそこの村で祀られている神様から祟りを受けてしまいまして……今は旅に同行している老僧から祈祷を受け何とか命を繋ぎ止めてはおりますが、もう幾ばくかの猶予も無い状況でございます」


「主馬に祀られておる神とな? まさか、ツチガミサマとやらのことではあるまいな?」


 朋麻呂の言葉に藤一郎は驚いたように顔を上げた。


「ご存じでいらっしゃいましたか」


「されど、その(あやかし)ならば御剣神社の宮司が山の洞へ封じたと伝え聞いておる。まさかその封が解けてしまったとでも申すのか?」


「それなのですが――」


 藤一郎は鷹丸が(あやかし)から呪いを受けるまでの顛末を朋麻呂に語った。そして不知沼で拾い上げた太刀のことは伏せたままに、今は薬草摘みに出ている茜と富士重の戻りを待っているところであり、二人が戻り次第、自分たちは(あやかし)を討伐するため再び洞穴へと向かうつもりだと伝えた。


「そうでおじゃったか……しかしその(あやかし)には人の振るう(やいば)は通じぬはずであろう? 百八十年前に其奴(そやつ)が暴れ回っていた際にもそれが原因で退治を諦めざるをえなかったと書物にも記されておったぞ。……姫宮殿、一体どう対処なさるおつもりじゃ?」


「確かに(あやかし)を太刀で斬り伏せるのは難しいかもしれません。ですが、だからといって供の者を見殺しにすることなど、私には到底できかねます」


「……それは、確固たる勝算も無く情に駆られるまま(あやかし)に立ち向かうおつもり、ということでおじゃるか?」


 藤一郎は目を伏せたまま答えない。その様子を見た朋麻呂はにわかに顔を扇ぎ始めると嘲るような笑い声を上げた。


「ほっほっほっほっほ、これは滑稽な。武勇の誉れ高き毘沙門天殿の言葉とはとても思えませぬな……主君の為ならばいざ知らず、よもや山河の凡石の為に命をなげうつことが美徳とでもお考えか?」

 

「恐れながら、鷹丸は今はまだ未熟な身なれど、やがては国中にその名を轟かせうる器を持った男と私は確信しております。この場で見捨ててしまうにはあまりにも――」


「同じことよ。不確かな可能性だけを根拠に今、確固たる力を持つ者が未だ力を持ち得ぬ者の為に命を投げ捨てる不合理がどこにあろうか?」


 藤一郎の言葉を遮り朋麻呂は強い口調でまくしたてる。藤一郎は再び黙り込んでしまった。


「情に流され無駄に命を散らすは愚者のなすこと。やみくもに自己犠牲の美酒に酔うもまた同様ぞ。……麻呂はまたもや思い違いをしておったのかもしれぬのぉ。音に聞く毘沙門天の武功とは非情なまでの勝利への渇望より生み出された結果と思うておったが……姫宮殿、其方(そなた)はとんだ見込み違いの男であったと申すのか?」


 藤一郎は顔を上げると悲し気な目で朋麻呂を見上げる。


「おっしゃる通りにございます。世評や風評などはとかく尾ヒレが付きやすいもの。少将様のお耳にまで届いておられた戦場(いくさば)における武勲については多くの同輩や優秀な家臣たちの力添えがあってのこと、到底(わたくし)一人の力で成し得たものではございません。……田庭の毘沙門天などと称されてはおりましたが、その正体は武神とはとんだ名ばかり。国も主君も救うことができず、僅かな臣下と共に田庭国を逃げ去ることしかできなかった痴れ者なのでございます。……(わたくし)の事は愚者、痴者とお見捨て置き、ウワサは所詮ウワサでしかなかったとどうかお忘れください」


 藤一郎は静かに立ち上がり一礼をすると朋麻呂の前から立ち去ろうとした。直後に朋麻呂の笑い声が響く。


「ほっほっほ、これは愉快。そうか、やはり麻呂の見込み違いでおじゃったか。こうも心得違いが続きますると麻呂の理知もその程が知れるでおじゃりますな。ほっほっほ」


 藤一郎は振り返ることもなく再び頭を下げると坂道に向かい走り始めた。


「待たれよ姫宮殿。どうやら麻呂は其方(そなた)の剣技だけではなく、その人柄にまで惹かれ始めているようじゃ。……その老法師殿が作られたというお守りはまだ残っておるのかのぉ?」


 朋麻呂の言葉に足を止める藤一郎。控えていた縁の顔は見る見るうちに曇り始めていた。

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