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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第三十四節.花と棘

 場所は主馬前の小道へと戻り、正体を見破られた白妙はこれまでの恭謙な態度から一変し、背を反り腕組みをしながら凍てつくような視線を朋麻呂に向けていた。


阿闍梨(あじゃり)(高位の僧)様の仰っていた通りだね。“道楽好きの放漫者を装ってはいるが、その実、決して侮ってはならぬ相手”か……。恒例とやらの荘園視察を繰り上げて三野国にやってきたのも私を捕らえるためだったとはねぇ」


「あわよくば夜伽(よとぎ)(夜の共寝)の相手も、と思うておったが……誠に残念でおじゃった」


「なんでしたら今宵にでもお相手をいたしましょうか?」


 白妙は不敵に笑いながら上目遣いに朋麻呂を見た。


「それは重畳(ちょうじょう)。ならば早速にでも今宵の宿までご案内いたそうか」


「まぁ気のお早いこと。ですが少将様にこの身を預けるともなれば女性(にょしょう)として色々と支度もございますゆえ、今しばらくのご猶予をいただきとう存じますわ」


「ほっほっほ。麻呂のために身支度とな? なるほど、なるほど。それは時間もかかりましょうぞ」


 そこまで話すと朋麻呂はそれまでの穏やかな笑みを捨て、キッと表情を引き締める。


「……これ以上戯言(ざれごと)を言い()うてる暇はない。つまらぬ化かし合いもここまでにして、大人しく麻呂についてまいれ」


「先程から“嫌だ”と申しておりますが?」


其方(そなた)の意思など聞いてはおらぬ。あまり駄々をこねるようであれば少々痛い目を見ることになりまするぞ?」


 そう言って朋麻呂はゆっくりと白妙のほうへと近づいてゆく。白妙は逃げる様子も見せず、腕組みのまま薄ら笑いすら浮かべながら朋麻呂を見つめている。双方の間に立つ藤一郎と茄蔵は事の成り行きに理解が追いつかぬまま、ただ茫然と二人のやりとりを見守ることしかできずにいた。


「痛い目は御免こうむりたいですね……と言って、アンタに大人しく捕まるつもりもないけどね。期せずしてアンタが五岳の一振を持っていたって土産話も手に入ったことだし、アタシはここらでお(いとま)させてもらいますよ」


 白妙は帯に差してあった守り刀を引き抜くと、左手で逆手持ちに構えたまま朋麻呂を睨みつけた。


「ほっほっほ。そのような小刀一本を頼りに麻呂から逃げおおせるつもりか? 愚かなこと……」


 朋麻呂が嘲るような笑みを浮かべた直後、白妙が二度、三度と素早く右腕をしならせる。立て続けに放たれた三本の棒手裏剣が朋麻呂の顔と喉を狙い飛来するも、当人は落ち着いた様子で上体を捻ると事も無げにそれを回避する。そして四本目の棒手裏剣を構えたまま動きを止める白妙を前に、朋麻呂はゆっくりと体を戻しつつ再び笑みを見せた。


「おお怖や怖や。……して、お次は?」


 失意の色を見せることもなく朋麻呂を見つめる白妙。手にした棒手裏剣の端では風を受けた赤い端切れが静かに揺れていた。


「別に驚きゃしないよ。アンタの実力はそこのむさっ苦しいオッサンとやり合ってた時によーく見せてもらったからね。……しかしあれだけの剣技、都のお公家様が戯れで身に付けるには少々度が過ぎやしないかい?」


 若い娘にむさ苦しい呼ばわりをされ、少なからず不快感を顔に表す藤一郎。その脇では朋麻呂が愉快そうに笑っていた。


「ほほほ、まこと其方(そなた)の申す通りじゃ。屋敷でも時折御父様(おもうさま)よりお小言をいただいておる。“刀剣集めの道楽は良いとしても、殿上人(てんじょうびと)(帝の居所の一室に昇ることを許された者)たるお前が武家の真似事をするなど何事か”、とな。ほっほっほ。されどどのような身分に有ろうとも腰に太刀を佩く以上、剣術を修めてはならぬ道理もあるまい? これは麻呂の性分でおじゃる」


「性分? っふ。名門と名高い躑躅崎のお家にもとんだ異端児が生まれたものだね」


「そのように褒めるでない、面映(おもは)ゆいではないか」


 さらに朋麻呂が歩を進めると白妙は徐々に後退を始める。


「無駄な足掻きはやめるがよい。素直に投降し、こちらの問いに正直に答えてさえおれば責め苦を加えるつもりはないでおじゃる。望むならば麻呂が其方(そなた)の身の上を保護してやってもよいのじゃぞ」


「その厚意はうれしいけど、アタシが素直に従うとでも?」


「従えぬか?」


 白妙は黙り込んだまま答えない。にじり寄る朋麻呂と後ずさる白妙。両者の距離は依然として隔たれたままであった。


 白妙は思う。相手は公家とは言え手練れの剣士。その上、手にする得物は天下を制するとまで謳われた五岳の斑尾ときている。小刀の扱いに多少の心得がある程度では真正面からやりあったところで到底勝ちの目は薄いだろう。おまけにその朋麻呂を相手に勝るとも劣らない立ち回りを見せたあの“むさ苦しい男”までもが加勢するような事態となれば状況は絶望的だ。


 とは言え、どれほど腕が立とうとも所詮相手は武人の集まり。戦闘を避け逃走だけを考えるならば容易に逃げおおせることも可能であろう。しかしこれまでの行動が朋麻呂に筒抜けであった以上、近くに熟練の透波が潜んでいることは想像に難くない。そうなると例えこの場から逃げおおせたところで知らぬ間に後を追われ、その後の行動を公家共に知らされかねないだろう。


 仮に遁術とんじゅつ(敵から隠れたり逃走するための術)を駆使して振り切ろうとしたところで同業者が相手では手の内を見透かされ通用しない可能性も高かろう。まずは朋麻呂たちを足止めした上で隠れている透波を見つけ出し、こちらに都合の良い場所まで誘い込んだ後に始末せねばなるまい。


 無言のまま後ずさりを続ける白妙。


 その時、手にした手裏剣の端切れが静かに朋麻呂のほうへと流れ始める。白妙は好機とばかりに手裏剣を朋麻呂に投げつけると、すかさず懐中から奇妙な小袋を取り出す。難なく手裏剣をかわした朋麻呂が往生際の悪いヤツめと呆れ顔を見せた瞬間、白妙は手にした袋を弧を描くように振り、中に入っていた白い粉末を辺り一面に撒き散らした。


 ――何じゃ、逃走用の煙幕か? いや……


 とっさに距離を取りながらも飛散する粉末に注意を向ける朋麻呂。煙のように舞い広がる白い粉塵は地面に落ちることなく中空を漂い、微風に流されるままに朋麻呂たちのほうへと迫り寄った。斑尾が言う。


 ――下がりな麻呂ちゃん、ありゃ猛毒だぜ。


 やはり毒か。咄嗟に狩衣の袖で目の下を覆いながら朋麻呂は叫んだ。


「離れろ、毒じゃ!」


 一同が慌ててその場を後退するなか、白妙は小袋をもう一つ取り出すとダメ押しとばかりに方々へと毒粉を振り撒いた。


「お生憎様。アタシにはまだ大事な用事があるんでね、ここらで退かせてもらいますよ」


 そう言い残すと白妙は湫野宿へと続く道を脱兎のごとく走り出した。


「姑息な真似を……追え! 見失うでないぞ!」


 朋麻呂が声を上げると先程まで白妙が居た辺りの木の上から一塊(ひとかたまり)の影が落ちてくる。驚く藤一郎と茄蔵をよそに寒村の農夫然としたその男は朋麻呂たちのほうに顔を向けることもなく白妙を追って走り出していた。


「少将様、あの男は?」


 気休めに口元を覆いながら藤一郎が問いかけた。


「白妙を見張っていた麻呂の影じゃ。……そのようなことよりも、気をつけなされよ姫宮殿。忍びの毒は僅かでも吸い込めば命に関わりまするぞ」


 忌々し気に語りながら周囲に目を向ける朋麻呂。既に毒霧の先には白妙たちの姿もなく、右を向けば木々の生い茂る丘が棚田へと続き、左を向けば広大な草むらに膝ほどまで伸びる雑草と低木とがひしめき合っている。


「少将様?!」


 驚く縁をよそに朋麻呂は草むらの中へと駆けだしていた。すぐに縁もその後を追うと藤一郎と茄蔵もそれに続いた。


「この期に及んで彼奴(あやつ)を逃すわけにはゆかぬ」


 朋麻呂は草を蹴りながら一人呟くと、目に見えぬ死神を避けるように道を大きく迂回しながら主馬との三叉路へと向かった。

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