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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第三十二節.潜入! 隣の御御社

 時は遡り……与平の家を出た茜と富士重は太刀の霊力を取り戻すべく御剣神社へと向かっていた。見晴らしの良い道を避けあえて藪や茂みの中へと身を投じていた二人であったが、当然、その道のりは決して容易なものではなかった。


 視界の悪さはもちろんのこと枯れ葉が堆積した足元はフカフカと頼りなく、窪地を踏み抜くたびに足首をくじきそうになった。笹藪を漕ぐ手はいつしか傷だらけとなり、低木に絡みつく蛇の威嚇を受けながらそれでも草木(そうもく)に身を潜めながら慎重に慎重を重ねた挙句に、進むべき方角さえ覚束なくなるといった有様である。


 しかし苦労の甲斐あってかどうにか住民に気づかれることもなく集落の裏手側に回り込んだ茜と富士重は、眼下に見える本殿を目指し急な斜面を木伝いに下ってゆく。


 雅やかな春日造(かすがづくり)の本殿は茜の背丈を越えるほどの頑丈そうな板垣で四方を囲われており、その周辺には白く美しい玉砂利が敷き詰められていた。森林の中に映える朱色の本殿と白い地面の対比はそれを見る二人の心に何か神聖な思いを想起させる。境内と森の境には手入れがされた(さかき)の生垣が植えられており、それが神域と俗界を隔てる玉垣の役割を担っているようであった。


 幸いにも周辺に人影は見当たらず、坂を下りきった二人は榊の玉垣を難無く越えて本殿背面側の板垣まで辿り着く。茜は呼吸を落ち着けながら板壁を背にしゃがみ込むと、富士重から布包みの太刀を受け取りその柄を握った。


「本殿らしい場所まで辿り着いたぞ。懐かしの我が家に戻ってきた気分はどうだ?」


 ――ありがとうございます。ここでは中の様子までは分かりませんが、雰囲気だけはあの頃のままでございます。


「それで、これからどうすればよいのだ?」


 ――当時のままであれば拝殿の脇に宮司様のお住まいがあるはずです。お手数ですがそちらに向かっていただけますか?


「宮司の住まい? まさかそこに忍び込めとでも言うのか?」


 ――申し訳ありません……私の霊力は人目につかぬよう宮司様のお住まいの一室に封じられているのです。どうかそこまで私をお連れください。


 簡単に言ってくれるが宮司の住まいともなれば警備の目もそれなりに厳しかろう。その上、もしかすると朋麻呂もそこに宿を借りているのではあるまいか? 神社に着きさえすれば容易に事が進むと信じていた茜は軽い苛立ちを感じていた。とはいえここで不満を漏らしていたところで太刀に霊力とやらが戻るわけでもなし。茜は太刀を簡単に包み直すと、富士重に渡すことなく立ち上がった。


「宮司の住まいに忍び込むぞ」


 それだけ言うと茜は足音を忍ばせながら板壁に沿って左方向へと歩き始めた。富士重は詮索する様子もなく「分かりました」とだけ答え茜の後を追う。抜き足差し足と板垣の角までやってきた茜はその陰から僅かに顔を覗かせた。


 先に見える拝殿は本殿を覆い隠すように横に広く造られており、その大きさ故にここから集落内の様子を窺うことはできそうもない。その左手側には僅かに距離を置きながらも拝殿と並ぶように立てられたやや建築様式の異なる建物が見て取れるが、あれが宮司の住まいとやらなのだろうか?


 茜は一旦顔を引っ込めると今度は反対側の角へと向かってゆき、先程と同じように板塀の陰から拝殿のほうを覗き見た。こちらは拝殿背面に向かって右手側となるのだが、そばには住居らしき建物は見当たらないようである。やはり先程の建物で間違いなさそうだと確信すると、茜は再び反対側の角へと戻っていった。


 人影の無いことを確認しつつ板垣に沿って角を曲がると、腰を低く落としたまま小走りに目的の建物へと向かう茜と富士重。ひらけた進路上には数本の石灯篭が立つばかりで身を隠せそうな場所は見当たらない。いざとなれば榊の生垣に飛び込み森の中へと逃げるしかなさそうだが、そうなってしまえば再び境内に戻ることは容易ではなかろう。息の詰まるような焦燥感を抱きながらそれでも何とか建物の前まで接近する二人。見れば建物の壁面に付けられている板張りの蔀戸(しとみど)(はね上げて開閉する戸)は全て開かれているようで、内部への侵入は容易そうであった。茜たちは閉じられている障子戸が住人の気まぐれにより開放されぬことを祈りつつ尚も足を早めた。


「……一体どの部屋を目指せばよいのだ?」


 何とか濡れ縁の下にしゃがみ込んだ茜は、再び太刀の柄を握り小さくつぶやいた。


 ――こちらからですと中央の障子を開けた先が広めの座敷になっているはずです。中に入って左手奥にある襖戸を開いてください。戸も窓もない板張りの小さな部屋へと繋がっております。


「そこに行けばよいのか?」


 ――当時のままであればその小部屋の床板を剥すと地中へと続く垂直な穴が見つかるはずです。あとはハシゴ伝いにその穴を下りてゆけば目的となる部屋へと到着いたします。


「地中の隠し部屋か。随分と手が込んでいるな……」


 ――お手間をかけ申し訳ありません。


 茜は「そういう意味ではない」と言いいかけるが咄嗟にその言葉を飲み込んだ。地下に穴を掘ってまで余人の目から隠しておかねばならぬ以上、この太刀の霊力とやらはきっと相当なものなのだろう。とは言え、大きすぎる力はそれを行使する者に必ずしも望むモノを与えてくれるとは限らぬのが世の常。当時の公家さえも恐れたその力、本当に扱うことができるのであろうか? 茜は太刀を強く握りながら思案に暮れていた。


「……今は他に手が無いのだ」


 茜は湧き上がる疑問を押さえ付けるように言うと、横に控える富士重のほうへと顔を向けた。


「ついてこい富士重。警戒を怠るなよ」


「承知しました」


 縁の下から抜け出した二人は身を潜めたまま屋内の音に耳を澄ませた。障子戸の先からは物音は聞き取れないようだが、誰もいないのか、それともここからでは音を聞き取れぬだけなのか? 意を決して上へとあがろうとする茜を止め、代わりに富士重が濡れ縁へとあがる。無言で中央の障子戸を指さす富士重に茜は静かにうなずいた。


 僅かに障子戸を開き中の様子を覗き込む富士重。やがて茜のほうを振り返ると黙したままうなずき、ゆっくりと戸の間隔を広げてゆく。それから滑るように座敷へとに入った富士重は正面と左側の壁にある襖戸の前でしばらく聞き耳を立てると、再び障子戸の前へと戻り縁から顔を覗かせている茜にうなずきかけながら手招きをした。


 茜が座敷に入るなり静かに障子戸を閉めると、富士重は声を殺して状況を伝える。


「近くには誰もいないようです」


「それは好都合だ。さっさと仕事を終わらせて鷹丸のもとに戻るぞ」


 小声で答えた茜は座敷の隅にある小さな手提げ行灯(あんどん)(持ち手の付いた室内照明器具)に目を留めると、すぐそばに置かれていた火打ち道具を手に取り素早く火をおこした。


 障子戸から見て左の壁には霧の海に浮かぶ趣深い山岳の風景が描かれた四枚の襖戸が並んでいる。茜は一番右側にある襖の正面に立つと、火を入れた行灯を畳に置きゆっくりと戸を開いた。襖戸の先は明かり取りの窓一つない暗い小部屋となっており、部屋の中央を境にして(よし)で編まれた(すだれ)が天井から吊られ、小さな部屋を更に二分する形となっていた。


 太刀の言っていた通り部屋の床は板張りとなっており、簾の右手側の区画には何もない空虚な空間が広がっているだけであったが、茜が一番左の襖戸を開けて反対側の区画を覗いてみると、そこには壺や掛け軸などといった骨董類が積み重なるように保管されているようであった。茜はそのまま襖を閉めると行灯を手に取り右の区画へと入っていった。


「ここの床板を外すと下に穴が開いているらしいのだが……」


 茜が独り言のようにつぶやきながら行灯の明かりで床を照らしてみると、なるほど、部屋の奥、丁度簾の手前辺りの床板が四角く等間隔に切り揃えられており、いかにも“この下に何か隠していますよ”といった具合に不自然な違和感を放っていた。


「……丸分かりではないか」


 茜は呆れたように溜め息を漏らすと富士重と共にその部分の床板を一枚一枚外してゆく。案の定、床下には漆喰で塗り固められた小さな空間が存在しており、その中央には木で作られた四角い蓋のようなものが置かれていた。富士重がその蓋をどけてみると、そこには一辺が三尺(約90センチメートル)程の四角い穴が口を開いており、穴の一面には下におりるためであろうコの字形をした鉄の取手が暗い穴底に向かって幾つも打ち付けられているようであった。


「間違いなさそうだな」


 茜が行灯を穴に近づけて中の様子を窺おうとするも、光量が足らずとても底までは見通せそうになかった。


「私が先に下りてみましょう」


 そう言って富士重は茜の持つ行灯に手を伸ばした。


「いや、太刀の話ではこの下に目的の部屋があるらしい。お前はここに残り何かあれば穴の中に合図を送ってくれ」


「ですが……」


「なに心配はいらん。それよりもしっかりと見張っておれよ」


 心配する富士重をよそに茜は包みを開き太刀を背負うと、行灯を腰に括り付け穴の底へと下りていった。

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