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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第三十節.雅にして貴だが虚にあらず

「それでは、白妙殿は我らが責任を持って警護いたしますゆえ、これにて失礼させていただきます」


 藤一郎は顔を伏せたままそう言うと、白妙と茄蔵を促し早々にその場を立ち去ろうとした。


「……待たれよ」


 背後から朋麻呂の呼び止める声が聞こえ藤一郎は足を止める。


「何でございましょう?」


「ふむ。白妙殿、ご隠居殿から預かったとう言伝とやら。よければ麻呂にも聞かせてはくれんかの?」


「いえ、あの、それは……」


 白妙はうつむいたまま困ったように言葉を詰まらせる。すかさず藤一郎が会話に割って入った。


「少将様、人に聞かれては具合の悪い話もございましょう。どうかそこはご容赦いただけませんか」


「なぁに麻呂とご隠居殿の仲じゃ。話したところで白妙殿に迷惑などかかりますまい。ささ、遠慮のう話してたもう」


「……どうかお許しください」


「話せぬとな? それは困ったのう……もしや何やら良からぬ隠し事でもあるのではあるまいな?」


「少将様、どうか白妙殿の気持ちを汲んでいただきこの場はお許しください。この通りでございます」


 白妙を庇い深々と頭を下げる藤一郎に朋麻呂は冷ややかな目を向けていた。


 ――なぜ此奴(こやつ)はここまで白妙を庇いよるのか? 親しい女でもあるまいに、少将である麻呂に逆らえば(あるじ)共々どのようなお咎めを受けるか知らぬでもなかろう……待て、待て……そうか、中州国。先ごろの一件で邪魔立てをしおった(やから)というのは、もしや此奴(こやつ)らのことではあるまいか? 彼奴(あやつ)も剣術に長けた大男がどうとか言っておったしのう……どれ、ちと確認してみるでおじゃるか。


「そうまで拒まれては致し方あるまいのぉ。心残りではあるが、これ以上白妙殿を困らせるのはやめるといたそう。……代わりと言ってはなんじゃが、姫宮殿、其方(そなた)に聞きたいことがあるのじゃが、答えてくれるかの?」


「は、私に答えられることであれば何なりと」


「ふむ。……先ごろ中州国から姿を消した“導鏡”という僧に心当たりはおありか?」


 途端に藤一郎の顔が強張ってゆく。内々に処理したはずのあの一件をどうして都の公家が知っているのか? 藤一郎は上目遣いに朋麻呂を見た。


「……なぜそれを少将様が?」


 驚きと困惑、そして警戒の色を強く滲ませる藤一郎の瞳。朋麻呂はその瞳に我が意の確信を得ると不気味に頬を緩ませた。


「ほっほっほ、いと容易(たやす)き男よのぉ。やはり麻呂の妨害をしてくれたというのは其方(そなた)のことであったか。……なるほどなるほど。確かに田庭の毘沙門天が相手では彼奴(あやつ)には少々荷が重かったやもしれぬな」


 朋麻呂はうれしそうに両手の平を叩き合わせる。藤一郎はそんな朋麻呂の様子に構うこともなく、脳裏に湧き上がる疑問に答えを探し求めていた。


 ――畜生めワケが分からねぇ。なんで導鏡のことを知ってやがるんだ? しかも妨害ってのは一体何の……おい、まさか……この公家も導鏡の一味ってんじゃねぇだろうな?! いやそれだけじゃねぇ。今の口ぶりから察するに、もしかしてコイツがあの坊主を操って中州国に災いを引き起こしてた張本人なんじゃねぇのか?


 藤一郎は頭を上げ朋麻呂を直視する。


「少将様、なぜあのような真似を……」


「ほっほっほ、知れたこと。全ては帝の世の安泰のためでおじゃる。しかし都合よく屋敷を離れてくれた白妙を捕らえに出向いてみれば、これはとんだ土産物まで舞い込んできたものじゃ」


「安泰のため? 一体何の話でございますか」


「毘沙門さん、この人たちもしかして……」


 事の成り行きを見守っていた茄蔵が不安そうに語りかけた。


「茄坊、そのもしかしてだ。まさかあの一件に都の公家まで関わっていやがったとはな……翠扇様が知ったら腰を抜かすぜ、コイツは」


「翠扇? 仲間の名か? ……まぁよい。そのあたりの話は捕らえた後にでもじっくり聞かせてもらうといたそうか」


 朋麻呂の言葉が途切れるなり縁は左腰に佩いた太刀に手をかけると藤一郎との距離を徐々に縮めはじめる。二人の会話に困惑しながらも不安そうな目で藤一郎を見つめる白妙。藤一郎は一歩下がるなり大きく声を上げた。


「茄坊! 白妙殿を連れて下がってろ! 高貴なお方に刃を向けるのは本意じゃねぇがこの際仕方ねぇ」


「毘沙門さん、そんなことして大丈夫なんか?」


「なぁに、鷹坊のことが済むまで少々大人しくしてもらうだけだ。まさか都のお偉方相手に本気で斬りつけたりしやしねぇよ」


「だけんど……」


 茄蔵が心配そうに言葉を詰まらせる。


「さすがは音に聞く毘沙門天殿、武に拙い我らを憐れんでの優しいお心遣いじゃ。……ならばここは麻呂自らが直々にお手ほどきを賜るといたすかのぉ」


 朋麻呂は縁を片手で制すと、無造作に太刀を抜き放ち藤一郎の前へと進み出る。予想外の展開に動揺する藤一郎。切った張ったの世界とは無縁の生活を送る公家のこと、従者相手に衣の端でも斬り落としてやれば腰を抜かしておとなしくなるだろうと踏んでいただけに朋麻呂の突飛な行動は藤一郎に少なからぬ焦燥感を覚えさせた。


「おやめください少将様。いくら手加減を心がけようと、この姫宮の太刀は戦場(いくさば)の太刀。ふとした拍子に御身に傷をつけぬとも限りませんぞ!」


「それは恐ろしいこと。麻呂に傷など付けぬよう精々用心なさりませよ」


 朋麻呂が無邪気に笑ったその刹那。藤一郎は反射的に段ビラを引き抜くと、胴体を両断せんと薙ぎかかる太刀をその背で受け止めていた。脳裏を埋めつくす驚愕の感情が背筋を巡る血液を一気に冷え上げる。油断をしていたと言えばそれまでだが、居合にも似た朋麻呂の太刀筋に藤一郎は言語を絶する程の戦慄を感じ取っていた。


「少将様?!……」


 藤一郎の声に朋麻呂は笑みをもって答えると、太刀を引き戻し背後へと飛びのく。構えも知らずただダラリと刀身を下げるその姿は無防備というよりも何か底の知れない不気味さを感じさせた。


「侮るでないぞ毘沙門天殿。これでも麻呂は(みかど)をお守りする右近衛府の少将じゃ。あまり気を抜いておられますとその首が地へと落ちまするぞ」


 朋麻呂は不敵な笑みを浮かべながら右手に握る太刀の切っ先を藤一郎の顔に向けた。


「……少将様もお人が悪い。まさか文尊武卑のお公家様が(はかりごと)だけでなく刀にまで長けておられたとは、この姫宮、初耳ですぞ」


「ほっほっほ、名高き軍人(いくさびと)にお褒めいただけるとは面立(おもだ)たしいこと」


 切っ先をそのままに藤一郎との距離をじわじわと詰めてゆく朋麻呂。藤一郎は段ビラを正中線に沿って中段に構えると、落ち着いた様子で相手の出方をうかがっていた。


 ――何なんだ一体……いくら右近衛府の官人だろうが公家が剣術に通じてるなんざ聞いたことがねぇぞ。しかもさっきの踏み込みといい、太刀を向かい合わせてのこの胆力といい、ただの道楽ってわけでも無さそうだな……。


「いかがされた姫宮殿? 来ぬのであれば遠慮なく行かせてもらいますぞ」


 白粉顔(おしろいがお)に再び笑みが浮かぶ。朋麻呂は右手の太刀を引くなり疾風(はやて)のように藤一郎へと斬りかかった。目にも止まらぬ速さで刃が一文字に空を斬る。藤一郎は体を引いて朋麻呂の一撃をやり過ごしていた。相手に反撃の動きが無いと見るや朋麻呂は桜色の狩衣をはためかせながら更に踏み寄り今度は袈裟に斬りかかる。藤一郎が再び背後へと逃れると、茄蔵は白妙の手を引いてその場から大きく距離を置いた。


「ふん」


 朋麻呂は鼻を鳴らすと共に藤一郎の喉元をめがけて矢のような突きを放つ。その切っ先を体を反らしてやり過ごす藤一郎。即座に段ビラを振るい目の前の太刀を払いのけるが、弾かれた刃は残光を残しつつも弧を描き、再び藤一郎を捉え襲来する。


 いくら降りかかる火の粉とはいえ相手は朝廷に仕える貴人である。口ではどう吼えたところで一国の奉公人でしかない藤一郎が公家に危害を加えようものならば当然朝敵(ちょうてき)(朝廷に反逆する者)の(そし)りは免れない。その責任は言わずもがな主君である中州守にまで及ぶであろうし、そうなれば東光寺の家にどれだけの損害を与えるか知れたものではない。悪くすればお家の取り潰しすらあり得るだろう。


 どうにか傷付けずに朋麻呂を捕らえたいところではあるのだが、挑みかかって来る朋麻呂の実力は決して侮れるものではなく、気を抜こうものならばこちらが命を落としかねない。藤一郎は変幻自在に襲来する太刀にどうにか対処しながらも何か妙案は無いものかと苦慮していた。


 それにしても気になるのは朋麻呂の太刀(さば)きである。先程から見ていると扱いのほとんどを右手のみに頼り、両手で太刀を握ることが無い。確かに片手持ちのほうが太刀の軌道に幅を持たせられるのであろうが、両手で振るうことに比べると力不足の感は否めない。それに思いもよらぬ角度から飛び掛かる刃は脅威ではあるが、初動を捉えてさえしまえば防ぐことや払いのけることはそれほど難しいものではない。なるほど、舞うようなその華麗な太刀筋は確かに公家あたりが好みそうなモノではあるが、これでは相手の骨までは断ち切れまい。


 休みなく浴びせられる刃の雨を防ぎながらも藤一郎がその動きについて静かに分析を行っていると、やがて朋麻呂は太刀を振るう手を止め肩で息をしながら徐々に後退を始める。だがその顔からは不安や苛立ちといった負の感情を読み取ることはできず、むしろ口元には淡い笑みさえ浮かべているようであった。

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