第二十九節.公家と妾とお武家様
与平の家を飛び出した藤一郎と茄蔵は村の外に向かうべく棚田の坂道を駆け下りていた。しかし、いやしくも公家の従者たる者が地方の女子相手に狼藉を働くなど、何たる恥知らずな行いであろうか。藤一郎は義憤に顔を歪めつつも村の三叉路へと急いだ。
やがて坂を下るにつれて何かを言い争うような男女の声が藤一郎の耳へと届く。木々の隙間から下のほうへと目を向けると、御剣神社に向かう道の途中で白い狩衣に烏帽子姿の男が嫌がる娘の手首を掴み上げ今にもどこかへ連れ去ろうとしているようであった。藤一郎が注意深く目を凝らすと、驚いたことに双方とも見覚えのある顔である。
――あの仰々しく左右に佩いた太刀、確か少将様が踊念仏に興じていた際に供をしていた従者か? ……それにあの娘は三野のご隠居様のお気に入りとかいう、確か……白妙とか言ったか。
夏の青葉に溶け込むような萌葱色の小袖に下げ髪姿の白妙は、悲痛な表情で首を振りながら必死に何かを訴えているようであった。
「おーい、そこのお方! ちょっと待ってくれー!」
右手を振り上げながら声を上げる藤一郎。縁は訝しげな表情を浮かべながら木々に覆われた斜面へと顔を向ける。藤一郎と茄蔵は坂道から外れるなり急な下り傾斜となっている藪の中に踏み入ると、木々を縫うように斜面を駆け下り最短距離で二人の前へと姿を現した。
「あなた方は、確か中州国の……」
突然山林から飛び出してきた大男二人に、縁は白妙の手を掴んだまま驚いたようにつぶやいた。藤一郎は荒れた呼吸のまま一礼をすると、満面の笑みを浮かべながら縁に語りかけた。
「いやいや、突然お呼ひ止めしてしまい申し訳ない。私は中州守様に仕える姫宮藤一郎と申す者、この者は……私の家臣である茄蔵と申します」
「……それで、東光寺家の家中の方がどういった用向きでしょうか?」
縁が素っ気なく答えると、白妙はその瞬間に掴まれた手を払いのける。そして藤一郎のそばへと駆け寄るなりその左腕にすがりついた。鼻孔をくすぐる甘い香りと共に着物越しに伝わる柔らかな感触が藤一郎の表情を一時強張らせる。
「いや、その、何だ……。我ら帰郷の途上、少々訳あってこの上の村に宿を借りておったのですがな。うん、先程村の衆から村の外で何やら諍い事が起きているという話を聞きまして、その、聞き流しておってもよかったのですがさりとて一宿一飯の恩義がある身、ならば我らに任せておけと、まぁそんなことで様子を見にきたと、こういう次第なわけですわ」
「それは百姓相手に義理堅いことです。しかしこれは貴殿には関わり合いの無いこと。その女をこちらにお引き渡しください」
縁が詰め寄ると白妙は尚も強く藤一郎の衣を掴んだ。
「まぁまぁまぁ、従者殿そう慌てずに。もちろん我らには関係のないことかもしれませぬが、しかし、ほれこの通り、これほどまでに怯えておる女子を目にしてしまっては行きがかり上見て見ぬフリなどできますまい。どうしても引き渡せと申すのであれば相応の理由を聞かせていただかないことには、何とも……」
藤一郎は薄ら笑いを浮かべながらもさも困ったように頭を掻いた。その様子を見た縁は不快そうに「ふん」と鼻を鳴らすと蔑むような目で藤一郎を見た。
「これは右近衛府の少将であられる躑躅崎様からのご命令だ。貴殿もつまらん対抗心から意地を張っていると主である中州守殿にまで迷惑が及ぶことになりますぞ?」
「そんな、対抗心など滅相もない。少将様からのご命令とあれば是非も無き事。ですが、」
そこまで口にすると藤一郎は縁の前へと踏み寄り威圧するように相手を見下ろした。
「何度も言わせんじゃねぇよ使い走りの青瓢箪が。虎の威を借るのも結構だが、嫌がる女を無理強いして連れて行く相応の理由ってヤツを教えてくれや」
凄みの効いた声で縁に言い放つ藤一郎。しかし縁はその威圧的な態度に怯む様子も無く、鋭い視線で藤一郎を見据えたままどこまでも落ち着いた調子で「分もわきまえぬ下種め、言葉を慎むがいい」と答え、一向にその場を譲る気配を見せない。睨み合う視線が火花を散らす中、隠れていた白妙が突如声を上げた。
「姫宮様、茄蔵様。わたくしはご隠居様から言葉を託され、あなた方を追ってここまでやってきたのでございます。ところがようやく主馬を目前に臨み、そこの坂道を上ろうとした矢先に突然そちらの方がわたくしを捕らえようとしてきまして……」そう言って白妙は縁を指さした。
「情婦風情が」
縁は吐き捨てるように言葉を漏らすと冷たい目で白妙を睨んだ。
「なるほどな、討鬼様のお屋敷からわざわざ俺たちを訪ねてきてくれたってんならもう無関係とはいかねぇよな。おい青瓢箪、こりゃぁ益々この人を引き渡すワケにはいかなくなっちまったぜ」
「……中州の者よ少将様に歯向かうつもりか? 女の手前調子に乗っておるとこの場だけでは収まらぬ――」
そう言いかけるなり縁は慌てた様子で藤一郎たちに頭を下げる。突然の行動に藤一郎は呆気にとられた。
「あー待て待て縁よ、一体何を騒いでおるのじゃ?」
背後からの声に藤一郎が振り返ると、いつの間にやって来たのかそこには白馬に跨る朋麻呂の姿があった。驚いた藤一郎は咄嗟に茄蔵たちを手で御しつつ道端に移動すると、朋麻呂に向かって恭しく頭を下げた。
「申し訳ございません。女を連行している最中、突然現れたこの男共が女を庇い立ていたしまして」
縁が答えると朋麻呂は「ほぅ」とさも驚いたように声を上げ、ポクリ、ポクリと馬を操り藤一郎たちの前まで移動した。
「其方、見覚えのある顔じゃな。……そうじゃ、中州の姫君に付き従っておった姫宮殿じゃな?」
なぜ公家が自分の名を? 藤一郎は動揺しながらも「お知り置きいただきまして光栄に存じます」と更に頭を下げた。
「ほっほっほ、そう改まらずともよい。麻呂にはすぐに人の名を覚えてしまう悪癖があってのぉ。魑魅魍魎が跋扈する宮中に身を置いておると自然と身に付く処世術でおじゃりますな。……それに」
朋麻呂が馬から降りようとするとすかさず縁がその横に身を屈め進んで足場となる。朋麻呂は縁の背を踏み地に立つと、藤一郎のそばに立ちその顔を覗き込むように身をよじらせた。
「今は中州守殿に仕えておるご様子じゃが、田庭国の毘沙門天の名は以前より聞き及んでおりますぞ」
藤一郎は無言のまま答えない。朋麻呂は「ふむ」と一声漏らすと再び身を起こし藤一郎から離れた。
「それはそれとして、はてさて、姫宮殿はなぜ縁の邪魔をなさるのかのぉ?」
「はっ。我ら故あって村外にて女性が狼藉を受けているという話を聞き、すわ一大事とここまで駆けつけた次第にございます。さて、いざ現場に到着してみますと確かに一組の男女が言い争っている様子。早速そこの縁殿に訳を問うてみたところ、これは少将様のご命令ゆえ理由は明かせないとのこと。やむなく女の言い分を聞いてみれば、どうやらこの女性、討鬼家のご隠居様より言伝を預かっており、帰郷の途にあった我らを追いかけてきたとのこと。そういった理由を知った以上おいそれと見過ごすワケにもゆかず、どうしたものかと思案に暮れていたところでございます」
「なるほどなるほど、そうでおじゃったか。実は先ほど供の者が討鬼家の白妙殿らしき女を近くで見かけたと言っておりましてな。このような山野に女性が身一つでは危なかろうと思い、すぐに保護するようこの者に命じたのでおじゃる。姫宮殿にはいらぬ心配をかけてしまったようでおじゃりますな」
「……なるほど、そうでございましたか。それは知らぬこととはいえ大変失礼をいたしました」
藤一郎が詫びの言葉を述べると朋麻呂は「よいよい」と笑いながら答えた。




