第二十八節.義を見てせざるは
「それで、その霊力とやらはどうすれば戻すことができるのだ?」
――それ自体は御剣神社に戻れば簡単に行うことができます。しかし……。
「どうした?」
――そういった過去がある以上、私に力を戻そうとしても今の宮司様や躑躅崎家の方が了承するとは思えません。仮に無断でそれを行ってしまった場合、どれほどの咎を受けることとなってしまうか……。
「それがどうした? よいか、当時の宮司がそれほどまでにお前の力に固執していたということは、それは野槌に対して極めて有効であることの証左に他ならぬ。……私は鷹丸をここで見殺しにするつもりなど毛頭ない。余命一日と告げられた鷹丸を救う手立てが刃も通らぬ妖の退治にあるというならば、その妖に対抗しうる有効な手段をみすみす使わぬ手は無いはずだ」
――ですが……
「ふん、咎など私がいくらでも受けてやる。もしも家にまで影響が及ぶようであれば父上に頼んで絶縁してもらえば良いだけのこと。その上で“あのような痴れ者の行動など当家には一切関係ない”と相手方に伝えてもらえばそこまで大きな被害が及ぶこともなかろう」
「翠扇様?!」
淡々と語る茜の言葉に肝を潰した藤一郎は思わず声を上げた。
「咎を受けるだの絶縁してもらうだの、一体何を話しておられるのですか?!」
「何、他愛もない話だ。それよりも姫宮、どうやら妖の正体は力を得た野槌に違いないらしい。しかもその化け野槌は我らが振るう刃では退治が難しいようだ」
「ええ、それは漏れ聞こえた話で察しはついております。それよりも――」
「だがこの太刀が本来の力を取り戻せればその霊験をもって化け野槌めを退治することが可能やもしれぬ。姫宮、私はこれから御剣神社に向かい太刀の霊力を取り戻してくる。お前は私が戻り次第その太刀を使って化け野槌めを退治してくれ」
そこまで話すと茜は太刀を布で覆い直し、すっくと立ち上がった。
「お待ちください姫様! この姫宮、未だ事情が飲み込めません! 咎だの絶縁だのとは一体何のお話なのですか?!」
そう言うと藤一郎も慌てて立ち上がり、今にも駆け出しそうな茜を制止する。
「……それは太刀との会話上この件に対する私の意気込みを大げさに語っただけにすぎんわ。よいか? 霊力を戻すこと自体はたいした手間もなく行えるらしいのだが、それを神社の宮司に一言も無いまま勝手に行うことは相手の立場上あまり面白い話ではないらしい。とは言え今は宮司におもねって仰々しい儀式などに時間を割いておる余裕などなかろうが? この際宮司の自尊心など知ったことではない、文句ならば鷹丸の呪いが解けた後にまとめて聞いてやればよいのだ」
茜は意地悪そうな笑みを浮かべながら答える。その姿を見た藤一郎は急激に脱力すると同時に安堵の表情を浮かべた。
「そ、そうでしたか。いや、そうとは知らず失礼いたしました。しかしそれならば翠扇様のお手を煩わせずともこの私が神社まで行ってまいりましょう」
藤一郎は太刀の包みに手を伸ばすが茜はその手を避けるように太刀を引き寄せた。
「大バカ者。たった今大見得を切った手前、他人に任せてしまっては私の立つ瀬が無いではないか。それにお前にはこの太刀を使って化け野槌を退治するという大切な仕事が残っておろう。私が戻ってくるまでに入念に作戦でも練っておれ」
「しかし翠扇様お一人では……」
「翠扇様、今は都の少将様がいて境内に入れないのではないですか? 面倒ごとは嫌だと仰ってましたがどうするおつもりなのですか?」
憂慮する藤一郎の言葉を継ぎ、慈螺が心配そうに聞いた。藤一郎もすかさず「おお、そうだそうだ」と相槌を打った。
「そんなもの、忍び込むに決まっておろう」
「え?」
茜の返答に一同が絶句する。しかしそんな周囲の様子など気に留めることもなく茜は言葉を続けた。
「なぁに、神社仏閣に忍び込むのは慣れておる。昨日見たところ公家が来ているというのに警備は随分と手薄なようだし、集落の裏手から見つからぬように忍び込んで事を済ませたらすぐに戻ってくるわ」
「しかし……そんなにうまくいくでしょうか?」
自信満々に語る茜とは対照的に藤一郎が不安げに言葉を漏らすと、声にこそ出さぬものの他の者も訝し気に表情を歪める。すぐに茜が「私を信用できんのか?」と一同を睨みつけるが、藤一郎は「いえ、決してそのような……」と言葉を濁した。
なんとか茜を止める術はないものかと藤一郎が苦慮していると、酩酊のそばに控えていた富士重がどこか憂いを含ませた面持ちで声を上げた。
「それでは私を供にお連れください」
「供といっても神社はここから目と鼻の先だぞ。そう心配するな、稚児でもあるまいに……」
突然の申し出に呆れた様子で言葉を返す茜。それでも富士重は諦めることなく訴えかけた。
「鷹丸は私の大切な弟です。その弟が死の淵を彷徨っている最中にただ待っているだけなど私にはとても耐えられません。どうか私にも翠扇様のお手伝いをさせてください」
頭を下げ懇願する富士重を前に茜は困ったように考え込んだ。太刀に霊力を戻したことが発覚したとしてもそれは自分が独断で行ったことだと言い張れば他の者にまで嫌疑がかけられることはあるまい。しかし、もし神社に忍び込んだ際に誰かに見咎められ、そこに同行者がいたことが知られてしまえばその者にまで咎が及ぶ恐れがある。とはいえ弟を心配する兄の思いを無下に退けるのもいかがなものか……。
茜が悩まし気に唸り声を上げていると、富士重はここぞとばかりに畳みかけた。
「恐れながら、この件については何よりもまず霊力を取り戻した太刀を藤一郎様にお届けすることこそが第一と考えます。ならば忍び込んだ先で万が一問題が発生したとしても一人より二人のほうが打てる手の幅が広がり、結果として太刀を持ち帰れる可能性も高まるかと存じます。翠扇様のお邪魔はいたしません、ですからどうかこの私を供としてお連れください」
なるほど、確かに一理ある。茜は富士重の話に納得しつつもやはり軽々に判断は下せなかった。もしも神社の人間に見つかるようなことでもあれば富士重にまで咎が及んでしまう……。
外の棚田を一際強い青田風が吹き抜け隙間だらけの屋内にも砂埃が舞い上がる。囲炉裏の炎が大きく揺らぐ中、退呪の祈祷の声だけが大河の流れのように滔々と続いてゆく。一同は無言のまま茜の返答を待っていた。
「……分かった。ならばすぐに出発するぞ」
ややあって茜は富士重の同行を許した。なぁに見つからなければよいだけの話だ。仮に見つかったところでその時はその時、何とでもごまかせるだろう。富士重の懇請に押された茜は捨て鉢気味にそう考えていた。
残る者たちに簡単な別れを告げ茜と富士重は与平の家を後にすると、山沿いに神社の裏手へと近づくべく村の奥へと走っていった。藤一郎たちは二人を家の外まで見送ると、土間に戻るなり今後の方針について検討を始める。するとそこへ野良作業に出ていた主の与平が暗い表情を浮かべながら屋内へと入ってきた。
「どうかしたのか?」
その様子に気付いた藤一郎が声をかけると、与平は「へぇ……」と言い辛そうに答えながら一瞬サチのほうに目を向けるも、すぐに顔を上げ藤一郎を見た。
「田で草取りをしてましたら下のほうから何かを争うような声が聞こえてきまして……はて、誰だろうかと思ってあぜ道のほうまで出てみましたら、村に続く道のそばでお公家様のお付きのような方と若い女が何事か言い争っているようなんでごぜぇます。俺ぁ何だか嫌な予感がして、急いでお武家様にお伝えしようと家まで戻ってきんでさぁ」
「少将様の従者が? それで、その女というのは見知った者なのか?」
「いえいえ、こんな農村はおろか町中でもお目にかかれねぇような美しい女子でございました。お付きの方は声を荒げながらも随分とうれしそうなご様子でしたが、あの女子、何か酷い目に合ってなければ良いのですが……」
途端に藤一郎は険しい表情を浮かべると、与平を押し退けて家の外へと出ようとした。
「姫宮様どちらへ?」
慌てて慈螺が呼び止めると与平は初めて見る椿姫の姿に驚いていたようだが、疑問の声を上げる間もなく藤一郎が戸口から言葉を返した。
「様子を見てくる」
「いけません、こんな時に! それに翠扇様も公家様との関りを嫌っておられたではありませんか」
「心配はいらん、ちと話してみるだけだ……それに、そうだ公家側の人間をこちらで引き留めておければ翠扇様たちの仕事も多少はやり易くなるではないか」
「それはそうかもしれませんが……茄蔵様」
慈螺は助けを乞うように茄蔵を見た。ところが当の本人も藤一郎の後を追って今にも家を出ようとしているようだった。
「毘沙門さん早く行ってみよう。俺ぁ心配だで」
「おう、そうだな」
そう言うと二人は慈螺を置いて棚田のほうへと走っていった。




