第二十六節.大煩い
脱兎よろしく洞穴から抜け出した藤一郎たちは転がるように山道を下り与平の家へと駆け込んだ。
「じいさん! 鷹坊が、鷹坊のヤツが呪いにやられちまった!」
土間に入るや否や鷹丸を背負った藤一郎が大声を上げながら家の中を見回すがそこに酩酊の姿はなかった。
「どうした姫宮? 鷹丸の身に何かあったのか?!」
奥でサチと話していた茜が驚いたように立ち上がる。すぐに板の間に下ろされた鷹丸を覗き込むがその全身は異常に黒ずみ、最早呼吸をしているのかどうかも定かではなかった。
「翠扇様、じいさんはどこに?!」
「今は富士重と共に患者のもとを回っているはずだが……」
「クソッ! 探してきます!」
そう言うなり藤一郎は家を飛び出していく。慈螺も「私も行ってきます!」と言い残し藤一郎の後を追った。茜は突然の事態に混乱しつつも、思い出したように鷹丸のそばへとしゃがみ込んだ。
「おい! 鷹丸しっかりせんか! 鷹丸! 鷹丸!」
苦悶の表情を浮かべたまま鷹丸は答えない。すぐにサチが布団を用意し二人は鷹丸をその上へと移動させた。
――どうして鷹丸だけが……? 護り石が利かなかったのか?
茜は鷹丸の腰に目をやるとそこに括りつけられている巾着袋に手を伸ばした。しっとりと濡れている袋を開き、中から護り石を取り出した茜はその表面に書かれていたはずの文字が滲んで消えてしまっていることに愕然とした。
しばらくすると藤一郎が酩酊を背負って駆け戻ってきた。酩酊は「あまり年寄りを手荒に扱うものではない」とぼやいていたが、寝かされた鷹丸の姿を見た途端に表情を一変させる。
「奥方殿、囲炉裏に勢いよく火を焚きつけてくれ! それと姫宮殿、富士重に急いで護摩木を用意するよう伝えるのじゃ!」
鷹丸のそばに座るなりその容態をつぶさに観察する酩酊。藤一郎は「分かった!」と言うなり一同に背を向けると、薪を取りにきたサチを押しのけて外へと飛び出していった。
「恐ろしい速さで症状が悪化しておる……野槌に近づきすぎたためか? いや、ただの野槌にこれほどの力があるとは思えん。それにしても護り石を持ちながらなぜこのようなことに……」
険しい表情で鷹丸の顔を覗き込みながら酩酊がつぶやく。茜は酩酊に声をかけると鷹丸の持っていた護り石を手渡した。
「なんと……そう簡単には落ちぬような墨を用いたのだが。これでは仏の加護も届かぬ……」
酩酊は石を握りしめながら悲しそうに鷹丸を見つめていた。
「鷹兄ぃ!」
しばらくして藤一郎から事情を聞いた茄蔵が与平の家へと駆けつけてきた。血相を変えた茄蔵は草履を履くのも忘れたのか裸足のままで鷹丸のそばへと駆け寄った。
「鷹兄ぃ! しっかりしてくれよ鷹兄ぃ! 法師様、早く鷹兄ぃを助けてやってくれよ!」
懇願する茄蔵に目を向けることもなく酩酊は悲し気な表情のまま鷹丸を見つめていたが、やがておもむろに合掌をすると静かに目を閉じ経を唱え始めた。誦経の最中、息を切らせながら慈螺も家に戻ってきたが、悲嘆にくれる茄蔵の姿を認めるなり無言のままそのそばへと寄り添った。
「……慈螺よ、洞穴の中で何があったのじゃ? 野槌は見つけたのか?」
誦経に区切りをつけ酩酊は慈螺に問いかける。慈螺は茄蔵の様子を気にしつつも洞穴の中であったことを事細かに語った。
「洞穴の奥の空洞で巨大な妖に遭遇したと? その途端に鷹丸は倒れてしまったのじゃな?」
「はい。暗くて姿は確認できませんでしたが、感覚的には先日の大ムカデよりも大きかったのではないかと思います」
「ふむ……それで洞穴の中におったのはその巨大な妖だけじゃったのか?」
「はい、他に妖らしき気配は感じ取れませんでした。……やはりアレが野槌だったのでしょうか?」
「分からん。しかしそのような巨大な野槌など古今東西聞いたためしがないわい……とは言えこの呪いは野槌の仕業に間違いはなさそうじゃが……」
慈螺は茄蔵の顔を横目に気にしながらもためらいがちに口を開いた。
「……治り、ますよね? 鷹丸」
薪をくべるサチの手が止まる。耐え難い沈黙が一同を包み込んだ。
「つまらんことを聞くな! 鷹丸がこのようなことで死ぬタマか、治るに決まっておるわ!」
茜が声を荒げ慈螺を叱りつける。その直後に護摩木を抱えた富士重が土間へと駆け込んできた。
「法師様、お言いつけのモノをお持ちしました!」
そう言って富士重は護摩木の束を囲炉裏の前に放り出すと横になった鷹丸のそばへと走り寄った。
「鷹丸……!」
鷹丸の顔を見るなり富士重が無念そうに言葉を詰まらせる。酩酊は無言のまま囲炉裏の前へと席を移すと、床に散らばった護摩木を拾い上げつつその一つ一つに目を通し始めた。
藤一郎は富士重が戻ってしばらく後に大量の護摩木を抱えて家へと戻ってきた。家に入るまでは鷹丸も酩酊の祈祷によってすぐに快復するに違いないと信じていた藤一郎だったが、淡々と護摩木に筆を走らせる酩酊をよそに悲痛な面持ちで鷹丸を囲む一同を目の当たりにした瞬間、言いしえぬ不安が脳裏を走り抜けた。
「おぅ、じいさん。俺も何とかって言う木っ端を山ほど作ってきたぜ。……それで鷹坊はどのくらいで治りそうなんだい?」
不揃いな護摩木を抱えたまま酩酊の背後に近寄る藤一郎。平静を装いながらもその言葉は聞く者にぎこちなさを感じさせた。
「忙しいのは分かるがよ……ちょっと位教えてくれたってバチは当たらねぇんじゃねぇか? なぁ?」
返事を返さぬ酩酊を前に藤一郎はおどけた様子で富士重たちに目を移した。しかし誰一人として藤一郎に視線を返す者はいない。藤一郎は言葉を継げないまま立ち尽くしたが、やがて抱えていた護摩木を土間に放り捨てると怒りをあらわに声を上げた。
「おいじいさん! 俺ぁ鷹坊はいつ治るんだって聞いてんだよ!」
藤一郎の怒声に酩酊は筆を持つ手を止める。
「……妖の力は想像以上に強大じゃ。この場でワシにできることは限られておる」
「限られてるだ?! だって……だってオメェ、他の村人はみんな治せたじゃねぇか!」
「鷹丸の受けた呪いはあの者たちのモノとは比較にならん。相応の護摩壇と法具も無く、囲炉裏の炎とただの薪から作った護摩木だけではこの呪いに打ち克つことは難しいじゃろう」
「それじゃぁその、“相応の護摩壇と法具”とやらがある場所に急いで移動しようや! ねぇ翠扇様!」
「無理じゃ。……もう半刻(約一時間)ともつまい」
「あぁ?! じじぃ、テメェ何言って……」
酩酊の言葉に藤一郎は絶句する。言外に鷹丸の容態を感じ取っていた一同も改めてその事実を告げられることで動揺を隠せぬ様子であった。やがて永劫とも感じられた一瞬の沈黙を破り藤一郎が激昂する。
「クソがっ! 助かる見込みもねぇならこんな祈祷ごっこに何の意味がありやがる! 俺と富士坊はテメェの遊び仕事のために木っ端を用意させられたんかよ!」
藤一郎は土間に落ちる護摩木を忌々し気に蹴り飛ばした。蹴られた護摩木は辺りに散乱し、そのうちの一つが壁に跳ね返ると酩酊のそばへと転がり落ちる。酩酊は落ち着き払った様子でその護摩木を拾うと藤一郎のほうに向き直った。
「……万全とは言い難くも呪詛払いの祈祷を行うことで“その時”を幾分か伸ばすことはできる。……いつワシが助かる見込みが無いなどと言うた?」
「あ?」
「確かにワシにできることは限られておるとは言うた、鷹丸の命があと僅かとも伝えた。……お主はその言葉をもって鷹丸の命に見切りをつけようというのか?」
「テメェ、さっきから一体何を――」
「お主が鷹丸を救ってみせい、姫宮。ワシはこれから鷹丸にかけられた呪いに抗するため全霊をもって呪詛払いの祈祷に入る。ワシが鷹丸の喉元に突き付けられた醜穢な刃を押し返している間にお主は呪いの元凶である妖を退治してくるのじゃ」




