第二十四節.魔窟へ
家主の精一杯のもてなしに感謝をしながら三人が夕食を済ますと、茜はおもむろに姿勢を正し酩酊に向かって話しだした。
「酩酊殿のおかげで村人の命は救われました。しかし妖の脅威が無くならぬ以上、それも一時の気休めにすぎません」
「言わずもがな、その通りじゃ」
「……国も異なる辺境の一村、本来であれば他国の人間である私が横槍を入れるべき問題ではないのかもしれませんが、自分たちの村が大変な時にも関わらず難儀をしている我々を快く受け入れてくださった恩義もございます」
「ふむ、それで恩返しに野槌退治をしたい。とでも言うわけか?」
「左様です。……姫宮、酩酊殿、お力をお借りできませんか」
突然の発言に藤一郎は一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに胡坐のまま両こぶしを床に押し付けると恭しく頭を下げた。
「翠扇様の頼みをなぜ断れましょうや。その妖怪退治、この姫宮藤一郎にどうぞお任せください!」
「ほっほっほ、これは頼もしい。しかし野槌の呪詛にはどう抗するつもりじゃ? あやつはお主を認識した途端に呪いをかけてくるのじゃぞ」
「ふん! 呪いなど恐れるに足らんわ。病に気力を奪われる前に相手を叩き斬ってやればよいだけのことだ」
「ヤツのもたらす熱病はそれほど甘いものではないぞ。受けたが最後、太刀を振るうどころか動くこともままなるまい。それに転がり来るヤツの体に触れようものなら呪詛払いの間も無くあの世行きじゃ」
「そんな体当たりなんぞ避けりゃいいだけだろうが」
「病に蝕まれた体でそううまくいくかの」
「……酩酊殿、どうにか妖の呪いにあらがう術はないものでしょうか」
茜の言葉に酩酊は白い顎ヒゲをひと撫でし「まぁ無いことはないんじゃが」と思わせぶりにつぶやいた。
「何か問題でも?」
「病に対する呪詛封じは可能じゃろうが問題は接触即往生の体当たりじゃ。いかんせんどういった仕組みで命を奪っているのかが分からぬ以上、対処しようにも方法が分からぬ。兎にも角にも野槌の体に当たらんよう気を付けなされと忠告するくらいが精々なんじゃが……」
そこまで話すと酩酊は藤一郎を見た。
「話を聞く限り野槌は洞穴の中に籠ったままの様子。当時の神職の結界が未だに効力を残しているのならば安易にその封を破り野外に解放すべきではないと拙僧は考えておる。そうなると必然的に穴の中での対面となるわけじゃが、日中の広い屋外ならまだしも狭く視界も悪い洞穴の中で野槌の体当たりをかわすのは容易なこととは思えん」
「そんなもん、やってみなきゃ――」
「明かりも乏しく足場も悪い中、真っ黒な青大将ほどの妖怪が床とも天井とも分からぬ場所から音もなくお主に這い寄ってくるのじゃ。それでもやってみなくては分からぬか?」
酩酊の言葉に藤一郎は二の句も発せぬまま苦々しげに顔を伏せた。
「……慈螺を連れていってはどうだ? あやつならば人や妖の気配を察することに長けておるだろう」
茜の言葉に藤一郎は「おお!」と何かが見開かれたかのように頭を上げる。
「確かに慈螺がおれば妖の接近も事前に知ることができそうですな!」
藤一郎が俄然士気を高揚させる横で酩酊は苦笑いを浮かべていた。
「やれやれ、どうしてもやらねば気が済まんか。……仕方あるまい、気休め程度のお守りくらいは作ってやるかのぉ」
藤一郎は今一つ乗り気ではない酩酊に二、三の悪態をつくと、今日はもう暗いので明日にでも慈螺と鷹丸を連れて洞穴に向かうことを茜に告げる。茜がそれを了承すると酩酊は「それならば今夜中にお守りを作っておいてやろう」と言い、富士重に材料集めを頼むため与平の家を出ていった。
あくる日、酩酊から呪詛封じの護り石を受け取った藤一郎、鷹丸、慈螺の三名は他の者に見送られながらツチガミサマが封じられているという洞穴へと向かった。与平の話ではそこは山林の中に立つ炭焼き小屋のさらに先にあり、村の奥にある山側に向かって伸びる道に沿って歩いていけばまず迷うことはないだろうとのことだった。
清々しい朝日の下、雄々しく歩く藤一郎のすぐ後ろを危険な任務に気分を高揚させながらもどうにか平静を装いつつ鷹丸が続く。村内を足早に進んでゆく二人を前に猫の慈螺は時折駆け足を交えながら寄って離れてと後を追っていた。昨晩茜が三兄弟に妖怪退治の話をした際には茄蔵も同行したいと申し出たのだが、狭い洞窟内に大勢で乗り込んだところで身動きが取れず犠牲者が増えるだけだと藤一郎に諭され、渋々ながら待機の身に甘んじていた。
道すがら農作業に精を出す村民たちに奇異の目を向けられながらも藤一郎たちは気にする様子もなく山へと向かってゆく。鷹丸は腰に下げた巾着越しに酩酊から受け取った護り石を握りしめた。
前日の晩、酩酊は富士重を村の小川に向かわせると角の無い小さな石をいくつか集めさせた。そして集まった小石の中から手頃なモノを幾つか選び出すと、筆先を器用に振るいながら小さな石の表面にノミほどの小さな文字をびっしりと書き込んでいった。一つ、また一つと石に筆を走らせ、やがて十個目の石を書き終えたところで酩酊は筆を置くと「とりあえずこんなもんじゃろ」とつぶやき、今度は並べた石を前に手印を結びながら小さな声で呪いの言葉を唱え始めた。一同が興味深そうに見守る中、その声は夜遅くまで続いていた。
――こいつがあれば呪いを恐れる必要はねぇ。野槌ってヤツが近くに来りゃ慈螺が反応するはずだ。あとは相手の体当たりさえ注意してりゃ負けるはずがねえ……やってやるぜ!
聞いた話では相手は蛇ほどの大きさをした毛虫一匹。まさか空を飛んでくるわけでもなし、そんなものが地べたを転がってきたところで一体何を恐れる必要があるものか。鷹丸は己を鼓舞すると共に護り石を掴む左手になお一層力を込めた。
いつしか周囲からは民家や田畑が姿を消し、二人と一匹は鬱蒼と生い茂る山林の中を歩いていた。右へ左へと蛇行する山道は思っていたほど険しいものではなく、しばらくして一行は開けた場所に立つ炭焼き小屋と思しき小さな建物の前までたどり着いていた。
「思いのほか早く到着しましたね」
鷹丸が両手を腰に当てつつ反り返りながら言う。
「この先に野槌の洞穴があんだろ? これだけ近けりゃ主馬の衆も心配で気も休まらねぇわな」
藤一郎は木々に視界を邪魔されながらも自分たちが登ってきた山道を眺めていた。
「慈螺、野槌の気配は感じるか?」
「いえ、今のところそれらしい気配は全く……」
鷹丸の問いに慈螺は不安げに答える。先程から感じる気配は動物のものばかりで僅かながらにも妖の気配は感じ取れない。本当にこの先に人を呪い殺してしまうほどの恐ろしい妖怪が存在するのだろうか? 慈螺は言いようのない不気味さを感じていた。
「そんじゃ先を急ぐか」
そう言うと藤一郎は再び道に沿って歩き始める。鷹丸と慈螺もすぐに後を追った。
炭焼き小屋から少し進むと早くも道らしい道が姿を消し、森の中に薄っすらと刻まれた獣道としか思えぬ場所を野生の勘を頼りに一歩一歩と登り進めてゆく一行。やがて木々も少なく見晴らしの良い平地まで辿り着いたとき、鷹丸は地面からせり上がるように切り立つ岩肌に大きく口を開ける洞穴があることに気が付いた。見れば穴の入り口には太い注連縄らしきものが張られているようだ。
「姫宮様あそこじゃないですか?」
鷹丸が洞穴を指さした。
「おお、きっとそうだな」
藤一郎は鷹丸の示した洞穴を確認すると二人は連れ立って歩きだす。慈螺はその場に立ち止まったまま周囲を見回した。
――強大な妖の気配が感じられない……遠くに感じるアレは恐らく小鬼のもの? こちらに気づいて様子を窺っているんだろうけど、距離もあるし熊オヤジと鷹丸がいるなら問題にもならないか……あと、あれは鹿かイノシシの、親子かな? きっと……本当に野槌ってヤツ、いるのかな……まさか私たちの事に気が付いて力を隠してるとか……?
「おーい慈螺、こっちだぞー」
洞穴のそばまで移動した鷹丸が慈螺を呼ぶ。慈螺は声のほうへと顔を向けると落ち葉を舞い上げながら急いで鷹丸たちのもとへと駆け寄っていった。




