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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第十七節.鳥物帳

「ご用心、ご用心! さぁさぁご用心、ご用心!」


 暗く静かな境内に突如として奇妙な掛け声が響き渡る。用心を呼びかけるその声は本堂の中から発せられているようであり、一定の間隔を置きつつ幾度も反復されていた。


しばらくすると大きなイチョウの木の樹冠(じゅかん)が風に吹かれるでもなく揺れ始め、その中から人間のような姿をした影が音も無く地面へと降り立った。影は不審そうに本堂を見回すと、周囲を警戒するようにゆっくりとした足取りでその正面へと歩いてゆく。境内を進む高下駄は不思議と音を立てることもなく、雲間の月が映すその姿は山伏姿に烏の顔と翼を持つ人型の(あやかし)、烏天狗であった。


 本堂の正面は両開きの引き戸が僅かに開いているようで、その隙間から淡い光が夜の闇に漏れ出している。烏天狗は木段をのぼり濡れ縁(ぬれえん)にあがると戸の隙間から中の様子を窺い始めた。狭い堂内では畳敷きの内陣(ないじん)(本尊を安置しておく場所)に座した有髪(うはつ)の僧が簡素な須弥壇(しゅみだん)(本尊を奉安(ほうあん)する壇)に置かれた大日如来(だいにちにょらい)の木像に向かい礼拝(らいはい)をしているようであった。


「ご用心、ご用心! さぁさぁご用心、ご用心!」


 その僧が突然大声を上げる。やはり(くだん)の声の主はこの僧侶であったかと思いつつ、はたして一体何をしているのやらと烏天狗が訝し気に僧へと注意を向けている最中(さなか)、勢いよく片側の戸が開くと同時に背後に飛び降りてきた何者かが烏天狗を堂内へと突き飛ばした。


「なんっ?!」


 咄嗟に飛び退きながら烏天狗が八角棒を構え振り返ると、そこにはすぐさま戸を閉じようとする椿姫姿の慈螺と不敵な笑みを浮かべて立つ鷹丸の姿があった。


「あんたらは……」


 驚いたように烏天狗は言葉を失う。


「ですから、何度も“ご用心”と申し上げたではありませんか。天狗様?」


 そう言うと渋茶色の法衣(ほうえ)を着た富士重はゆっくりと烏天狗のほうへと振り返った。


「気付かれちまった、ってわけッスか……まいったっスねこりゃ」


 烏天狗は構えを解くと、バツが悪そうに鷹丸と富士重を交互に見ながらつぶやいた。


「もう逃げ場はねぇぜ? おとなしく俺たちをつけ回してた理由を話してもらおうか」


 鷹丸が自信満々に問い詰めると、その背後では閉めた戸に張り付いたままの慈螺が「わ、私たちが寝ている隙に宿の部屋に入ってきたのもあ、アナタですね?!」と続けた。


「いやいや、たまたまッスよ、た・ま・た・ま。何か面白そうな連中がいるな~、なんて思いましてね。興味本位で見てただけッスよ」


「なるほど、興味本位で我らが瀬川村を出てからずっと見ておられたと?」


「……まー、そういうこと……になるッスかね?」


 富士重の問いにどこまでも空々しい態度で答える烏天狗。鷹丸は太刀の柄に手を添えると、声に威圧感を乗せて詰め寄った。


「つまんねぇ(うそ)ついてんじゃねぇよ。正直に白状しねぇと痛い目を見るぜ」


「お、なになに? 俺っちとヤろうってんスか?」


 目に(あざけ)りの色を帯びた笑みを浮かべながら烏天狗は鷹丸を見下ろした。


「落ち着け鷹丸。天狗様、我々はあなたと争う気はございません。あなたが敵意を持って我々を監視していたわけではないことは重々承知しておりますので」


 烏天狗は鷹丸を見つめたまま何も答えない。


「……これは私の憶測ですが、あなたは陶尽坊様に所縁(ゆかり)のあるお方で、何かその関係で行動なさっていたのではありませんか?」


 仏前に置かれた(しょく)(照明用にともす火)が僅かに揺らぐ。烏天狗は再び富士重のほうに顔を向けるとその目をじっと見つめていたが、やがて観念したように溜め息を一つ吐き出した。


「はー、そこまでバレちゃってったッスか。……こりゃ御大(おんたい)(親分)に大目玉食らいそうッスね」


 烏天狗は脱力した様子でその場へ腰を下ろすと武器を置いて胡坐を組む。富士重は立ち上がり烏天狗のそばへと移動すると(きぬ)を整えつつ正座をした。


「いや~、陶尽坊様には俺っちが見つかったこと内緒にしといてもらえないッスかね?」


 うつむいた烏天狗はまるで悪戯(いたずら)を咎められた子どものように上目遣いで富士重の顔を窺がった。


「分かりました。陶尽坊様にはあなた――」


「あ、俺っち、光悦(こうえつ)って言うッス」


「そうでしたか、では我らは光悦様には“道中全く気が付かなかった”で通すことといたしますので、どうかご安心ください」


「本当ッスか? いやぁ助かるッス」


 そう言うと光悦は嬉しそうに顔を上げた。


「その代わりと言ってはなんですが、陶尽坊様がなぜあなたに我々を監視するよう指示されたのかお教えいただけませんか?」


「あ、やっぱそれ聞いちゃいますか? まぁそうッスよねぇ……」


 光悦は再び頭を垂れると困った様子で表情を移ろわせていたが、ついにはためらいがちながらも事の次第を語り始めた。


「まぁ、なんつうか……別にあんたらを監視してた、ってワケじゃないんすよね……うん」


「と言いますと?」


「うん……あー、言っちゃってもいいのかなぁ! 本当に御大には黙っててもらえるッスか?」


「お約束いたします」


「……あんたらの中に茜って子、いるじゃないッスか? 俺っちが言いつけられたのは“気づかれないようにその茜って子の様子を監視しつつ、いよいよその身に危険が及ぶようであれば手助けしてやってくれ”ってことで……」


「姫様の? それはなぜでしょうか?」


「それは俺っちにも分からないんス。 俺っちも人間の小娘ごとき相手になんでそんなことしなきゃならんのか全く理解できないッス」


「おい! 姫様に向かって何だその言い草は!」


 光悦の背後に立つ鷹丸が声を荒げると富士重は右手を上げそれを制した。


「鷹丸。……なるほど、いや予想通りといいますか、光悦様の事情はよく分かりました」


 光悦の話を聞き、やはり茜を心配する陶尽坊の親心だったのかと一旦は胸を撫で下ろす富士重。しかしすかさず鷹丸が光悦に食って掛かる。


「おい、おかしいじゃねぇか。天狗のおっさんから“姫様の身が危なくなったら助けてやってくれ”って言われてたわりには何で姫様がムカデの化け物に襲われたときは助けてくれなかったんだよ?」


 鷹丸の背後で慈螺が激しくうなずく。なるほど、言われてみればその通りだと富士重は再び光悦を見つめその解答を待った。


「ムカデの化け物? あんたらそんなモノに襲われてたんスか?」


 光悦は振り返り鷹丸を見上げると驚いたように言った。


「は? お前、姫様をずっと監視してたんじゃなかったんかよ?」


「そんな四六時中小娘を監視してるほど俺っちだってヒマじゃないッスよ!」


「ヒマじゃないって……だってお前、天狗のおっさんにそう命令されてたんだろ?」


「いや……それはそうなんスけど、その……俺っちにだって色々都合ってもんがあるッスよ」


「何だよその都合って」


「都合は都合ッスよ! 土地土地の親分衆にご挨拶して回ったりとか、余計な(あやかし)に絡まれたりとか……あとメシ食ったり昼寝したりとか……」


「お前……天狗のおっさんの命令そっちのけで怠けてただろ?」


「はぁ?! イヤ、そんなワケ無いじゃないッスか! 変な言いがかりはよして欲しいッス!」


「使えねぇヤツだな……お前が目を離してた隙に姫様が命を落としかけたって天狗のおっさんに言いつけるぞ?」


「え? あ、そ、それだけは勘弁してほしいッス! だってさっき黙っていてくれるって!」


 光悦はすがるように富士重を見た。


「……確かにあれは危なかったですからね。光悦様がしっかりと見張っていてくだされば姫様もあのような事態にまで巻き込まれることはなかったのかもしれませんし」


「そ、そんな……申し訳なかったッス! 以後気を付けるッスからどうか御大にだけは黙っていて欲しいッス! この通りッス!」


 慌てて膝を正し富士重に平伏する光悦。そのあまりの必死さに富士重は湧き上がる笑みを必死にかみ殺していた。

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