第十三節.毘沙門天の裁き
「畜生が、ゆらゆらゆらゆら避けやがって……いい加減大人しく突かれやがれっ!」
藤一郎は大ムカデの頭を目掛けて何度も槍を突きあげるが、体格に見合わぬ軽快な動きに翻弄されるまま、攻撃のことごとくが虚空を突くばかりであった。やがて機に乗じた大ムカデは二本の顎肢で槍を挟むと力任せにその穂先をへし折ってしまった。
「野郎っ!」
藤一郎は手にした槍の柄を放り捨てると段平を抜き、迫り寄る頭を追い払うように二度三度と空を斬った。
「ほほほ、大事な槍が折れてしまったな。さて、どうしたものかのぉ?」
からかうように大ムカデが笑う。
「アホがっ、俺のエモノは本来この段平よ! 今までは手加減してやってただけだ」
「それはそれは。その厚情には痛み入るが、そんなに短い刃でどうやってわらわと戦うつもりじゃ?」
「アホが! そりゃぁおめぇ、アレよ!……あの、……うるせぇんだよこの化け物! とにかく今すぐ叩き斬ってやるから覚悟しやがれ!」
「ほほほ、無様じゃのぉ。散々強がっておいて所詮そのザマか? ではそろそろ野猿との戯れも終わりとしようかのお」
そう言うなり大ムカデは段平をものともしない様子で藤一郎を目掛けて圧し掛かってきた。
「うおっ?!」
藤一郎は慌てて後ろに飛び退き難を逃れるも大ムカデの追撃は止まらない。すぐに鎌首を振り上げるや否や再びムカデの大顎が藤一郎に襲い掛かった。
――こんなもん、とてもじゃねぇが刀じゃ受けきれねぇ!
迫りくる頭の動きを見定めて横へ後ろへと飛び退く藤一郎。しかしこれまでの戦いによる疲労は徐々にその動きから精彩さを奪いつつあり、このままでは大ムカデに食い殺されてしまうのも時間の問題かに見えた。しかし藤一郎に対するこの猛攻は同時に鷹丸たちへの注意を薄める結果となり、これを好機と見た鷹丸は迅速果敢に大ムカデの末部に飛び掛かると一太刀の下に曳航肢の一本を斬り落とした。
途端に大ムカデが奇声を上げて鷹丸に頭を向ける。
「この小猿めがっ! よくも――」
「よいしょぉ!」
怒り狂う大ムカデをよそに茄蔵の振り下ろした斧は無数に生える脚の数本を断ち切った。
「ギッ! 図に乗るな下郎共がぁ!」
大ムカデは激憤のまま末部を激しく振り回し、問答無用に鷹丸と茄蔵を薙ぎ払おうとする。茄蔵は何とか距離を取り攻撃を免れていたが、直撃を食らってしまった鷹丸は受け身を取ることもできないまま地面へと叩きつけられた。
「っ! ゲホッ、ゲホッ!」
「鷹兄ぃ!」
「鷹坊!」
大ムカデは叫ぶ藤一郎から頭を離すと、鷹丸に駆け寄ろうとする茄蔵に向かって波濤の勢いで這い寄った。そして立ち尽くす茄蔵を前にゆっくりと頭を上げると、最早言葉も不要とばかりに一気に咬みかかる。
「うわっ?!」
茄蔵は咄嗟に両手で顎肢を掴み、迫り来るムカデの大顎を何とか押し返そうとした。
「茄蔵さん!」
森から悲痛な声が飛び、慈螺はその場を駆けだした。
この世のものとは思えぬ悪臭を放ちながら「カチカチ」と小刻みに開閉する顎が徐々に茄蔵へと近づく。茄蔵は渾身の力で耐えようとするが大ムカデの怪力に押されてその距離は見る見るうちに縮まってゆく。茄蔵はかじられてなるものかと顔を引いて必死に抵抗をするが、体はズルズルと後退し頼みの両腕もそう長くはもちそうになかった。
「避けろ茄坊ぉ!」
背後からの怒声に茄蔵は反射的に体を反らした。力を失ったその体に醜悪な大顎が一気に迫るも、同時に茄蔵の脇を走り去った刃の切っ先は大ムカデの顎を穿ち、その脳天をも刺し貫ぬいていた。
大ムカデは声一つ上げることなく小刻みに痙攣を繰り返し、流れ出した血液が段平伝いに藤一郎の腕を青く染め上げてゆく。やがてぐったりと脱力した大ムカデの重さが段平越しに圧し掛かかってくると、藤一郎は段平を引き抜き、そのまま地に崩れ落ちる化け物の頭部を呼吸を荒げながら見下ろしていた。
「はぁ、はぁ、アホが、手間かけさせやがって……」
「あ、ありがとよぉ毘沙門さん……俺ぁもう死んじまうかと思ったよ」
茄蔵は力無く肩を落とすと動かなくなった大ムカデの横に勢いよく腰を突いた。
「茄蔵さん! 茄蔵さーん!」
涙目の慈螺が疲労困憊の茄蔵に抱きつく。茄蔵は「心配ねぇ、心配ねぇよ」と笑顔で伝えながら慈螺の背中を優しく叩いた。藤一郎は動くかなくなった大ムカデから離れると、苦しそうに上半身を起こす鷹丸のそばへと近づき青く濡れた右手を差し伸べた。
「鷹坊大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……すいません」
鷹丸は藤一郎の手を借りて立ち上がると、長大と横たわる大ムカデの体躯に目を向ける。
「……やったんですね」
「なんとかな」
「やっぱり、姫宮様はすげぇや……」
鷹丸が顔を上げると藤一郎は目を逸らしながら苦笑いをしていた。近くには勝気な笑みを浮かべた茜が富士重と共に歩み寄って来る姿が見える。鷹丸は大きく安堵のため息を吐き出しつつ再び大ムカデを見つめていた。
「……ちきしょめ、どこに沈んじまったんだ」
藤一郎は泥だらけになりながらも茜の小刀を探すため沼地に身を投じていた。
「違う違う、もっと右のほうだ」
「えー? でもこっちのほうに飛んでいったように見えましたよ」
共に捜索を行っていた鷹丸が茜の指摘に反論の声を上げる。
「バカ者、お前の目は節穴か? 飛ばされた本人がこっちと言っておるのだから間違いなかろう」
「でも俺もこっちに飛んでったように見えたけどなぁ……」
茄蔵も鷹丸の主張に同調し、誰一人として茜の主張する場所を探そうとする者はいなかった。
「拙僧にも今皆が探している辺りに飛んでいったように見えたがの」
「あの、私にも……」
横に控えた酩酊と慈螺にまで否定され茜はどうにも面白くなさそうに口をつぐんだ。
「姫様ご安心ください、必ずやこの藤一郎が探し出してみせますゆえ!」
不機嫌そうな茜の様子を察し藤一郎が声を上げる。しかしそれは茜の苛立ちの炎に尚も油をそそぐような結果を招いた。
「当たり前だ、何が何でも探し出すのだ! おい、富士重! いいからもっとこっちのほうを探してみろ!」
茜は皆のいる場所から右に離れた場所を指し示しながら指先で大きく円を描いた。
「あ、はい。しかし……」
「うるさい! いいから探せ!」
「わ、分かりまし、うわっ!」
泥に足を取られた富士重はその場で盛大に転倒してしまう。大量の泥が宙を舞い周囲からは自然と笑い声が溢れ出した。
「バカ者! 何をやっておる! ……あぁ、もう! お前たちには任せておけん!」
居ても立っても居られなくなった茜はグイっと袴をまくり上げると、皆が止めるのも聞かずに沼へと入っていった。
「私がこっちだと言っておるのにあいつらときたら、まったく……」
茜はブツブツと文句をつぶやきながら泥に手を沈め手応えを探した。
「翠扇様、後は我々が探しますから……それに気を付けないと刃で手を切ってしまいますよ」
泥まみれで駆け寄ってきた富士重が必死に茜を止めようとする。
「うるさい! グダグダ言ってないでお前も探せ!」
「は、はい」
茜の剣幕に押され富士重もその場で小刀を探し始めた。
それから間もなくして偶然にも藤一郎と茜は同時に声を上げた。
「お、あったぞ!」
「ほれ見ろ、見つけたぞ!」
握りしめた柄を勢いよく沼から引き上げる二人。頭上に掲げた藤一郎の手には抜き身の小刀が輝き、引き上げきれなかった茜の手には黒塗りの鞘に納まった太刀が握られていた。
「な、何だこれは?!」
驚く茜のもとに藤一郎はうれしそうに駆け寄ると、見つけた小刀を得意気に差し出した。
「翠扇様、ご覧ください! お約束通り姫様の守り刀を……何ですかその太刀は?」
藤一郎は茜の握る太刀の存在に気づくと、見つけた小刀を鞘に納めてまじまじとそれを見つめた。三尺三寸(約1メートル)ほどのその太刀は泥中に沈んでいたにも関わらずどこにも腐食の跡が見てとれず、それどころか付着していた泥水すらもキレイに弾いているようであった。
一見するとありふれた太刀のようにも見えるが、菊花を模した鍔には驚くほど繊細な細工と複雑な模様を描いた金象嵌(金属に純金を埋め込む技法)が施されており、先に挙げた不思議な特徴とも相まってこの太刀が二束三文の数打物(量産品)とは全くの別物であることは誰の目にも明らかであった。
茜は太刀を目の高さまで水平に持ち上げると、おもむろに鞘から刀身を引き抜いた。
「姫様、危な――」
心配のあまり声を上げた藤一郎だったが、その刀身を目の当たりにした瞬間に言葉を詰まらせた。抜き身の切っ先を天に向け刃に目を走らせる茜。その刀身は黒漆が塗布されたかのように黒く輝いていた。




