第十二節.茜式
翌朝、茜たちは意気込みも新たに宿を後にすると、紛失した小刀を探すべく不知沼へと出発した。藤一郎の考えでは自分と鷹丸そして茄蔵と慈螺の四名が沼へと向かい残りの者は宿で待機する予定だったのだが、それを聞いた茜が「四の五の言わず一緒に連れていけ!」と激しく抵抗し、結果として“戦闘員以外は争いの場に近づかぬこと”、“危なくなったら何を置いてもすぐ逃げること”を条件に再び一同全員が不知沼へ向かうこととなった。
湫野宿を出て意気揚々と街道を進む一行であったが、いざ街道を外れ件の逢魔森に足を踏み入れるや否や徐々にその口数も少なくなり、虫や獣の音に一喜一憂を繰り返しながら寄り固まるように歩を進めていた。
「しっかし仮にも毘沙門天と呼ばれていた俺がよりによって大ムカデに襲われるとはな……少しでも歌声が聞こえたら、爺さん頼んだぞ」
素槍を手に先頭を歩く藤一郎が、振り返ることもなく酩酊に告げた。昨晩行われた協議の末、藤一郎たちは大ムカデの呪歌に対抗する手段を酩酊に託していた。
「心配するでない、戦は苦手じゃがそっちはお手の物じゃ」
錫杖を鳴らしながら得意気に答える酩酊。鷹丸はそんな酩酊に目を向けながらも不安そうに藤一郎の背を追った。
「うまくいきますかね?」
「まぁ何とかなるだろ。駄目なら駄目でまた慈螺が何とかしてくれるさ。なぁ?」
「頑張ります!」
椿姫に化けた慈螺が茄蔵に寄り添いながらも勇ましく答えた。
「翠扇様、分っておりますね? 危なくなったらすぐお逃げくださいよ。おい富士坊、姫様をくれぐれも頼むぞ」
「お任せください」
真摯に答える富士重の横では「分かった分かった」と言わんばかりに茜が手を振っている。その後も一同は順調に森の中を進み、やがて目的地の不知沼の手前まで到着した。
木々の合間から見える不知沼は昨日と同様に草葉の緑と蒲の茶色に彩られながら生き物の気配を感じさせぬほど不気味な静寂に満ち満ちていた。藤一郎は一同をその場に留めると、注意深く周囲を見回しながら一人沼地へと近づいていった。
――歌声がせんな……鷹坊に目を潰されて怖気づいたか?
藤一郎は足元の土が水気を帯び始めた辺りで足を止め不知沼に向かって声を上げた。
「出てきやがれ化けムカデ! 中州国の姫宮藤一郎が昨日の屈辱を晴らしに来てやったぞ!」
どんよりと濁った曇り空に藤一郎の雄叫びが吸い込まれてゆく。不知沼は沈黙を守ったまま何も答えず、風に吹かれた蒲の穂が静かに揺れるばかりであった。
「どうした化け物! 正々堂々と姿を見せやがれ!」
尚も声を上げる藤一郎。しかしその威勢とは裏腹に沼は静まり返ったままである。
――何だ? 本当に出てこねぇつもりか?
藤一郎は再度沼地を見渡して大ムカデの姿が無いことを確認すると、手にした槍をその場に突き刺し昨日茜の小刀が飛ばされた辺りに向かって泥の中を進み始めた。
「今日は留守かの?」
沼の中で小刀探しをはじめた藤一郎を見ながら酩酊がつぶやく。富士重もその様子を見つめながら「どうなんでしょうか?」と訝し気に答えた。
「姫宮ぁ、もうちょっと右のほうだ!」
茜が声を上げ誘導すると、藤一郎は振り返りざまに手を上げながら「承知しました」と応じる。息苦しいような緊張感は薄れ一同の間には淡い安堵感が生まれつつあった。
「姫宮様、俺も手伝います」
鷹丸が勢いよく木の影から飛び出したその時、聞き覚えのある歌声が周囲に響き始めた。
「……あ? 野郎、やっぱり出やがったな!」
藤一郎は慌てて沼から抜け出すと茜たちの待つ場所へと走り始めた。すると酩酊が一同の前に踏み出し、手にしたおりんを「チンチン」と叩き始める。
「いっちまい、にぃまい、なんまいだぁ?」
酩酊が老人とは思えぬ声量で踊念仏の歌詞を唄いはじめると周囲の者たちもそれに続き唄いはじめる。藤一郎も走りながら叫ぶように唄っているようだった。その唄声は大ムカデの呪歌を見事に制したようで、誰もが正気を保ったまま敵の次の出方に警戒心を張り巡らせていた。
大合唱に負けじと大ムカデは声量を増し、やらせるものかと一同も声を張り上げる。一進一退の歌合戦はしばらく続き、皆の唄声に疲れが見え始めたころ、茜はさらに声を張り上げて妙な歌詞を唄いはじめた。
一枚、二枚、何枚だ?
汚泥化粧の化けムカデ
歌で惑わす卑怯者
そこに出でたる三剣士
「今日が年貢の納め時」
眉目秀麗益荒男が
囲み一太刀浴びせれば
恐れ詫びたる大ムカデ
でかい図体縮こまり
「命ばかりはご容赦を!」
醜女の無様ナンマイダ
「あっはっは、姫様、そいつは傑作だ!」
藤一郎は大笑いすると同様の歌詞を一緒に唄いだす。すぐに他の者もそれに乗っかり不知沼一帯に大ムカデを嘲弄する唄声が響き渡った。
「いっちまい、にぃまい、なんまいだ~。 あソレ、でいどげしょうの……」
「黙れ下郎がっ! どれだけわらわを侮辱するつもじゃ!」
突然沼の先から怒号が上がると泥をかき分けるように大ムカデがその姿を現した。
「アホがっ、やっと出てきやがったな化けムカデ! この眉目秀麗な益荒男がテメェを退治してやるぜ!」
藤一郎は槍を握り直すとグルグルと頭上で回転させた後、その穂先を大ムカデへと向ける。
「図体と態度だけは大きい猿如きが何を偉そうに……身の程を知るがよい!」
大ムカデは怒りに声を震わせながら藤一郎に向かって走り始めた。
「姫様たちはもっと奥に! 鷹坊、茄坊、死ぬんじゃねぇぞ!」
「勿論ですよ!」
「あいよぉ!」
鷹丸が太刀を抜き放ち茄蔵は両手で斧を構える。藤一郎は木のそばを離れると大ムカデを迎え撃つべくひらけた場所へと移動した。すると大ムカデも糸に引かれるようにその進路を藤一郎に合わせてゆく。迫り来る大ムカデの巨体に一抹の恐れを感じつつも藤一郎は覚悟を決めて決戦の場に臨んだ。
黒い激流は目前まで迫り藤一郎を飲み込もうと尚も勢いを増す。その顎肢が獲物を捉え今こそ刺し貫かんとした刹那、藤一郎は転がるように左へと飛び退きすぐに体勢を立て直すと、手にした槍で駆ける大ムカデの横腹に強烈な突きを見舞った。
「っつ!」
ところが槍の穂先はムカデの鎧を貫けぬまま大きく弾かれてしまう。よろける藤一郎の周りを連なる巨体が環状に囲ってゆき、獲物の逃げ場を封じた大ムカデは勝ち誇ったかのように大きく鎌首をもたげた。
「どうした益荒男、わらわに命乞いをさせるのではなかったか?」
ゆらゆらと触覚を揺らしながら余裕たっぷりに大ムカデが言う。
「うるせぇ、まだまだ勝負はこれからだ!」
「威勢だけは見事じゃな」
こちらに向かって倒れ込もうとするムカデの頭を穂先で牽制しつつ、藤一郎はムカデの目を狙って何度も槍を突き上げる。両者が一歩も譲らぬ攻防を見せる中、駆けつけた茄蔵は手にした斧を大きく振り被った。ところが直後に大ムカデの後ろ半身がムチのように襲い掛かり、茄蔵は防ぐ間もなく払い飛ばされてしまう。
「茄蔵! 大丈夫か?!」
鷹丸は茄蔵に駆け寄ろうとするが、大ムカデは体の末端を持ち上げ曳航肢を向けると、まるでもう一つの頭で睨むように鷹丸を威嚇した。
「くそっ、こいつ……おい、茄蔵!」
「結構いてぇけど、平気だぁ……」
茄蔵は横腹を押さえながらよろよろと立ち上がると、再び斧を構えて大ムカデに対峙する。
囲いこそ解かれたものの藤一郎は依然として頭部との熾烈な攻防を繰り広げており、末部では鷹丸と茄蔵が攻めの機会をうかがいながら大ムカデとの距離を保っている。
――へたに近づきゃ潰されるかあの気持ちわりぃ脚に捕まっちまいそうだな……姫宮様は大丈夫だろうな?
鷹丸が注意をそらした瞬間、大ムカデの疑似頭部が空を舞い目の前の地面を叩きつけた。間一髪でその場を飛び退いていた鷹丸は、地面に伏したままの曳航肢を視界に捉えるなりこれぞ好機と斬りかかる。申し合わせたように茄蔵も大ムカデに詰め寄ると胴節の繋ぎ目を狙い斧を振り下ろそうとするが、二人の刃が届くよりも早く大ムカデの末部はその場から逃げ去ってしまった。
「っけ、油断も隙もありゃしねぇ。俺も槍にするんだったな」
「鷹兄ぃ、槍なんか使えるのかぁ?」
「使えねぇよ! 使えねぇけど太刀よりはよっぽど届くだろうが!」
苛立ちを見せながらも鷹丸たちは再び頭を模した末端部との睨み合いを続けた。
三人が苦戦を強いられている中、その姿を目の当たりにしていた茜は矢も楯もたまらないといった様子で大ムカデのもとへと駆け寄ろうとしていたが、そばに控えていた富士重と慈螺によってその行動を阻まれていた。
「離せ富士重、慈螺! 家臣の危機に助太刀もせず姫が勤まるかっ! えーい、離せったら離せっ!」
「落ち着いてください翠扇様、助太刀をせずとも姫は勤まります! それにここで翠扇様が向かわれても事態は好転いたしません!」
「そもそも争いの場には近づかないと姫宮様と約束してたじゃないですか!」
「そんな約束を守るつもりはない!」
暴れる茜を何とか思い留まらせようと苦心する富士重と慈螺。苛烈な争いは森でもまた繰り広げられていた。




