第十一節.不知沼
沼地から逃れた一行は藤一郎が先導するまま森を東へと走った。
「おい! こら、下ろせ姫宮!」
右肩に担いだ茜がしきりに暴れ回り、背や胸をめったやたらに殴打する。藤一郎はそれをなだめながらも後ろを振り返った。どうやら大ムカデが追って来る様子は見て取れない。
――うまく逃げきったか?
藤一郎は足を止めると、大きく息を吐きだし担いでいた茜をその場に下ろした。
「姫宮、お前っ……!」
怒り心頭の茜が藤一郎に詰め寄る。藤一郎はその場に平伏すとその巨体を縮めながら声を上げた。
「ご無礼をお許しください姫様! しかしあのまま化け物と争い続けたところで苦戦は必至……姫様の刀は必ずやこの藤一郎が取り戻してみせますゆえ、どうか今はご辛抱ください!」
それを見た鷹丸も慌てて地に膝をつき「申し訳ございません!」と顔を伏せる。茜は今にも怒号を吐き出さんばかりの顔つきで二人を見下ろしていたが、やがて溜め息を一つ吐くと懐中から小刀の鞘を取り出し藤一郎に差し出した。
「分っておる……必ず取り戻すのだぞ」
藤一郎は顔を上げ小さな鞘を両手で押し頂くと、「この身に代えましても必ず!」と約束した。
「……そうと決まればまずはこの森を抜け湫野宿で対策を練るとしましょう」
富士重の意見にその場の全員が賛同する。すると茄蔵が泥だらけの衣をつまみながらボソリとつぶやいた。
「その前に俺ぁ早く風呂にでも入りてぇよ」
その言葉に一同は改めて自身と周囲の者の姿を確認する。誰もかれもがまるで田植え後のように泥まみれであり、自然と笑い声がその場に響き渡った。
「確かに、ちげぇねぇや」
「ふふふ鷹丸、お前顔まで泥まみれではないか」
「え? いやでも姫様だって大層な有様ですよ」
「慈螺の衣、それ、洗えるのかぁ?」
「これは私の毛みたいなものなので、元の姿に戻って洗い流せば……」
一同はハッとなり一斉に酩酊へと目を向ける。酩酊は普段と変わらぬ様子で一同を見回した。
「なんじゃ、皆してどうした?」
「……いえ、その……法師様、この娘はですね……」
「猫又じゃろ? 最初から知っとるぞ」
慎重に言葉を選ぶ富士重に酩酊はあっさりと言い放った。
「最初から……ご存じだった?」
「侮るでないぞ富士重。いくら老いに蝕まれようともこの酩酊、そこまで耄碌はしておらんつもりじゃ。いくら隠しておろうともその猫から発せられる妖気に気付かんとでも思うていたか?」
比較的泥の被害を免れてていた酩酊は白い顎ヒゲを撫でながらさも当然そうに言ってのけた。
「左様でしたか……これは、おみそれいたしました……」
「悪さでもしないかと心配しておったが、なかなかどうして随分と献身的で妙な妖じゃわい」
そう言うと酩酊は楽しそうに笑っていた。
その後何とか無事に森を抜け出た一行は再び街道に沿って歩き始める。道中に見つけた小さな湖で体と衣に付いた泥を洗い流し、乾ききらぬ衣服に身を包んだまま湫野宿へと到着した一行を宿場の人々は奇異の目を向けながら迎えていた。
幸いにも行きに利用した旅籠に再び空き部屋が見つかったため、一行はその部屋を押さえつつも衣の乾燥がてらに町中を見て回ることとした。
「拙僧の宿代まで払ってもらって悪いのぉ」
「気になさらないでください。旅は道連れとも申しますし」
感謝の言葉を述べる酩酊に茜は優しく答えた。町に着いた当初、酩酊は路銀も無いのでどこか野宿できそうな場所でも探すと言っていたのだが、富士重がそれを激しく拒み、宿代なら自分が払いますからどうぞご一緒にと申し出た。するとそのやり取りを見ていた茜が「私はそんな器の小さな女ではないぞ。要らぬ気遣いをするな」と富士重を叱り、結果、藤一郎は渋い顔をしながらも酩酊の分まで宿代を支払うこととなった。
「そういえば鷹坊の太刀も無かったな……よし、刀剣商に寄って適当なモノを見繕ってやるか」
「すいません姫宮様。せっかくいただいた太刀を……」
鷹丸は申し訳なさそうに頭を下げた。
「アホが、気にするな。そもそもお前の働きのお陰でみんな助かったんだ。それに比べりゃ無銘の太刀の一本位安すぎるってもんよ。……とは言え、新たに太刀を用意したところであの鎧みてぇな甲殻が相手じゃなぁ……」
「薙刀や槍ならどうだ? それならば距離をとりつつ弱点を狙えぬか?」
困り顔の藤一郎に茜が言った。
「おっしゃる通りなのですが、生憎あの化け物の甲殻は体を隠すようにうまいこと重なり合っております。それこそ先程の富士重のようにアイツの背に乗ることができれば隙間から関節を狙うこともできるのでしょうが、しばらく足を止めてくれるような状況をうまく作れるかどうか……」
「ふむ、確かにな」
「それに鷹丸の活躍で目は刃が通ることは分りましたが、あれだけの速度で動き回るムカデの目を狙い突くというのもやはり相当に困難かと」
「ではどうする?」
茜の問いに藤一郎は深い唸り声を響かせながら考え込んでしまった。
「何にしてもあのムカデに沼の外まで出てきてもらわねぇとなぁ。あんなグチャグチャした所じゃとても戦えねぇよ」
「それにあの歌も厄介だよな。迂闊に近づけばまたみんなして沼に引きずり込まれちまうぜ」
「何とか歌を防ぎつつ森におびき出すしかないか。しかし森の中では木々が邪魔をして武具の取り回しも難しそうだな……」
「遠くから弓で射ってやるか?」
「弓か。良い考えだとは思うがうまく弱点を狙わないとみんな殻に弾かれてしまうぞ。そもそも鷹丸、お前弓を扱えるのか?」
「いや、ガキの時分に遊びで使ったくらいかな……」
三兄弟もしきりに対策を講じ合うがこれといった名案も浮かばない。そうこうしているうちに目当ての刀剣商を見つけた一行は何はともあれ鷹丸の新たな太刀と念のために富士重にも太刀を一振選び、さらには十尺(約3メートル)ほどの素槍を一条購入した。藤一郎は茄蔵にも武器を買うよう勧めたが、刀剣にしろ長柄物にしろ当人の食指に触れるモノは見当たらないようであった。
木の棒でも拾って戦うからいいと言う茄蔵にそんな物があのムカデに通用するかと反論する鷹丸。結局茄蔵は何も購入することなく店を後にし、一行はあても無く町中を歩き始めた。そんな折、茄蔵が金物屋に置かれていた薪割り用の斧に目を留めると「これなら具合がよさそうだ」と言い大きな斧を手に取った。鷹丸が「確かにお前には刀よりもそっちの方が似合ってるかもな」と告げると藤一郎も同意し、さっそく店の者を呼び出し代金を支払った。
人の好さそうな店主は藤一郎から銭を受け取ると、一行をまじまじと見つめながら不思議そうに口を開いた。
「旅のお武家さん方が薪割り、ですか?」
「ん? あぁ、いやそういう訳ではないんだがな」
藤一郎は笑いながら答えると、街道沿いにある森で化け物に襲われたことを話し、明日にでも森に戻って先程落としてきてしまった物を拾ってくるつもりだと告げた。すると話を聞いた店主はにわかに顔を曇らせると「お武家さん方、まさか不知沼を通ってきたんですか?」と声を潜めて言った。
「不知沼? あの沼地のことか?」
「ええ、あの辺りは“湫野の逢魔森”なんて呼ばれていましてね、一度迷い込むと生きては帰れないって昔から信じられてるんですよ。そんで森の中には不知沼って呼ばれる沼地があるらしくてですね……多分お武家さん方が化け物に襲われたって場所はそこじゃないかと」
「生きて帰れないってわりには何で沼地のことなんて知ってるんだ?」
鷹丸は興味深そうに横から口を挟んだ。
「あはは、全くですな。実は逢魔森に入った者が全員神隠しにあうってわけじゃないんですよ」
「なんだそりゃ?」
「実は過去に何度か調査隊が組まれたことがありましてね、三野守様の屋敷から来られた屈強なお武家さんたちが大挙して逢魔森を調べ回ってくれたらしいのですが……」
「何も異変は起きなかった、という訳か」
藤一郎は不思議そうに目を細めた。
「そうなんですよ。ですが逢魔森に入った者が行方不明になるってのは昔から本当にあることでしてね、原因が分からないながらも旅人を無用な危険に巻き込まないため、街道はあの森を避けるように伸びているってわけですわ」
「……逢魔森の正体見たり、と言ったところか」
茜が得意そうに含み笑いを浮かべる横で藤一郎は不快感に顔をしかめていた。
「あのムカデ女め……勝てそうな相手を選んで襲ってるってことかよ。俺たちもナメられたもんだな」
「しかし不知沼に大ムカデが住んでいたとはねぇ……お武家さんたちも何を無くしたかは存じませんが、もう近づくのはよした方がよろしいのでは?」
「そうはいかねぇ。何せこの身に代えても取り戻すと誓いを立てちまったからな。俺たちに恐れをなして出てこないならそれでよし、だがまた襲い掛かってくるようなら……その時はこの斧で真っ二つにしてやるまでよ!」
そう言って藤一郎は茄蔵から斧をひったくると、その刃先を店主に誇示してみせた。




