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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第八節.炎天下の旅路

 旅の仲間に老僧酩酊を加えた一行は蔵園を目指し清川を後にした。酩酊には茜が蔵園に住む有力な武家の一人娘だと告げ、他の者はその家に仕える家来であり道中において彼女の護衛役を仰せつかっているのだと説明した。もちろん慈螺が猫又であることも伏せられたままであり、酩酊の前での人語の発声や変身は暗黙のうちにご法度とされていた。


 照りつける太陽は既に昼時を過ぎ、今日はあまり遠くまで距離を稼げぬと悟っていた藤一郎は次の宿場町である湫野宿(くてのじゅく)で今日の宿をとることを茜に進言した。


「姫宮様、急ぎ足で向かえばその次の粗目宿(ざらめじゅく)まではいけるんじゃないですか?」


 藤一郎の少し後ろを歩いていた鷹丸が聞く。


「確かに夏場の日の長さを考えれば行けないことはないだろう。しかし我らは良くても姫、……翠扇様にご無理をかけさせるわけにはいかん。まぁ急ぐ旅でもなし、ゆっくり行こうではないか」


 藤一郎がそう笑って答えると茜は「そうだぞ」と言わんばかりに軽くうなずいた。


「そうですか? 翠扇様の足なら全然平気だと思ったんですが、なぁ、茄蔵?」


「いいじゃねぇか鷹兄ぃ。俺もあんまりせかせかしたのは疲れて嫌だし、それに爺様もいるでねぇか」


「ニャー」


 茄蔵と慈螺にも同意を得られなかった鷹丸は「爺さんは誰かがおぶってやりゃあいいじゃねぇか。……まぁ、俺ぁどっちでもいいけどな」とつぶやき、両手を頭の後ろで組むとそれ以上我を張ることもなく黙々と歩き続けた。


「すまんの、早速迷惑をかけておるようじゃな」


「気になさらないでください。姫宮様がおっしゃる通り急ぐ旅ではありませんから。あ、もしお疲れのようでしたら私がまた背をお貸ししますが?」


「いや平気じゃ」


「そうですか? もしお疲れになったら遠慮なくお申し付けくださいね。そういえば、先日うかがった(そう)という国の話なのですが――」


 一行の後方をゆったりと歩く酩酊に歩調を合わせつつ富士重はしきりに何かを問いかけているようだった。その様子を後ろ目に見ながら藤一郎は不機嫌そうに口を開いた。


「全く富士坊のヤツ、あんなインチキ坊主に惚れ込んじまいやがって……おい鷹坊、お前、自分の兄貴が変な輩に騙されないようしっかり注意しとけよ」


「大丈夫じゃないですか? ただの面白い爺さんじゃないですか。別に悪いヤツには見えないですよ」


 のほほんと答える鷹丸の横で藤一郎は忌々し気に舌打ちをした。


「心配するな姫宮。確かに変わったところはあるが悪いご老人ではなさそうだ」


「……はぁ」


 主君の姫君に言われてはそれ以上言い返すこともできず、藤一郎は再び酩酊を一瞥(いちべつ)すると、割り切れない思いを押し殺しつつ手の甲で額の汗を拭った。夏も本番に近づき日中は茹るような暑さが続いている。さすがの風神様もこの暑さにはまいってしまったのか、気休め程度のそよ風ひとつ吹く気配が無い。一行は暑気を払う術も無いまま街道を東へと向かい歩き続けた。




「暑い! もう限界だ!」


 だしぬけに茜は叫ぶと街道脇にあった木の下にヨロヨロと腰を下ろした。


「少し休憩していきましょうか。おい鷹坊、翠扇様の手拭いを川で冷やしてきてくれ」


 藤一郎は茜の肩に掛けられている手拭いを取ると鷹丸に放り投げた。生ぬるく湿った手拭いを受け取った鷹丸は街道脇を流れる川に向かって走ってゆく。


「……宿場はまだか?」


 藤一郎から受け取った竹の水筒をあおり茜がつぶやいた。


「あと一刻(約二時間)はかからないと思いますが」


 空になった水筒を受け取り藤一郎は自身の手拭いで茜をあおいだ。そして冷えた手拭いを持って帰ってきた鷹丸に今度は水を汲んで来いと空の水筒を放り投げる。鷹丸は「またですか!」とぼやきながらも再び川に向かって走っていった。茄蔵と酩酊も隣の木の下に腰を下ろし吹きだす汗を懸命に拭っており、慈螺に至ってはその豊かな毛皮が災いしてか、木陰に倒れ込むなり息も絶え絶えに腹を上下させているようだ。


「今日の暑さはまた格別だなぁ……」


 全身の汗を拭いながら茄蔵が言った。酩酊に水筒を渡しながら「全くだな」と富士重が答える。


「このままの調子じゃお天道様に茹で殺されちまうかもしれねぇな」


 そう言うと藤一郎は街道の先に見える森林地帯を見つめた。


「たしかあの森を迂回した辺りが湫野宿だったよな。……いっそ森の中を突っ切ってみるか?」


「それならば日差しを避けつつ移動の時間も短縮できそうですが、迷ったりしないでしょうか?」


「なぁに、俺ぁ方向感覚には自信がある。それに山育ちのお前ら兄弟もついてるんだ問題ねぇだろ」


「確かに鷹丸と茄蔵は小さな頃から森の中を歩き慣れてはおりますが、しかし獣などに襲われでもしたら――」


「乗ったぞその話……」


 藤一郎と富士重の会話に割り込み、茜は力なく右手を上げた。


「この猛暑の中を歩き続けることを考えれば、多少道に迷うことなどどうということはない。獣が出たらお前たちで何とかしろ……」


「はぁ……。法師様もそれでよろしいでしょうか?」


「別に構わんぞ。拙僧とて野山は歩き慣れておるしな」


 そう言うと酩酊は空になった水筒を富士重に返した。そこへ水を汲んだ水筒を持って鷹丸が帰ってくる。


「姫宮様、()んできましたよ」


 鷹丸が藤一郎に水筒を差し出すと富士重と茄蔵が空の水筒を差し出し同時に口を開いた。


「鷹丸、水を汲んできてくれ」「鷹兄ぃ水汲んできてくれよぉ」


「もういい加減にしてくれよ!」


 ひったくるように二つの水筒を受け取ると、鷹丸は三度(みたび)川へと向かい走っていった。




 休憩を終えた一行は藤一郎の提案に乗る形で森を直進し湫野宿を目指すこととした。森の中は背の低い雑草こそ生い茂っているものの不思議と蔓草(つるくさ)や低木の類が少なく、地面も比較的なだらかで歩き進める上で大した労力を必要とはしなかった。何より頭上に茂る枝葉が屋根となって強烈な日差しを遮ってくれる上、森林特有の涼やかで澄んだ空気は暑さに疲弊していた一行に活力を与えてくれた。


「こっちで正解だったな」


 藤一郎は得意気に先頭を歩いてゆく。


「あんまり油断しないでくださいよ。どこに獣や(あやかし)が隠れているか」


 横を歩く鷹丸が周囲に気を配りながら言った。


「あっはっは、そんなもんが隠れていたところで慈……いや、まぁ、誰かしらが気付くだろう。心配はいらんさ」


「それはそうなんですけど……」


「化け物なんか隠れてねぇよな?」


 茄蔵が独り言のようにつぶやくと、懐の慈螺は黙って首を縦に振っていた。


 一行が順調に森の中を進んでゆくとやがて立木もまばらな大きくひらかれた場所へと到着する。藤一郎はもう森を抜けたのか? と一瞬訝しんだが、どうやらそうではないらしい。ざっと見たところ四町歩(約40,000平方メートル)はありそうなその一帯を見渡しながら藤一郎はぼそりとつぶやいた。 


「沼だなこりゃ……」


 森の中に突如現れたその湿地帯は湿潤とした土壌のそこかしこに大小様々な水溜まりが見え隠れし、それは水はけの悪い巨大な田んぼのようでもあった。自然が開墾したその野田には麦や稲の代わりに腰の高さほどの(ガマ)が生い茂り、細長い草葉の間から無数に顔を覗かせる茶色い円筒状の穂の群れがどこか浮世離れした幻想的な雰囲気を漂わせていた。


「姫宮様どうします? このまま進んだら泥だらけになっちまいますよ」


 沼地の先に続く森林を眺めながら鷹丸が言うと「泥だらけになる以前に深さも分からぬような沼を歩くつもりはないぞ」と茜が続ける。


「沼を迂回するしかなかろうて」


 酩酊は手にした錫杖の先で南側に沿って続く沼と森の境をなぞるように指し示した。


「それしかねぇか……ったく、何が何でも真っ直ぐには進ませてくれねぇらしいや」


 藤一郎は不満を漏らしつつも沼地を避けるように木々に沿って歩き始めた。

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