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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第七節.帰路

 茜たちが討鬼の屋敷に到着してから三日目の朝、旅支度を終えた茜は頼政と頼貞のもとに顔を出した。


「突然の訪問にお手間をおかけいたしました。あまり長居をしてもご迷惑をおかけしてしまう故、これより国元に戻る所存にございます」


「もう帰るのか? もっとゆっくりしていけばよかろうに……」


 平伏する茜に頼貞は名残惜しそうに言った。


「何か行き届かない点でもありましたかな?」


 心配そうに問いかける頼政を前に茜は顔を上げた。


「滅相もございません。爺様や三野守様には多分なご厚情を賜り、家中の方々にも大変良くしていただき感謝の言葉もございません。わたくしとしましても早々にこのお屋敷を離れるのは後ろ髪を引かれる思いではあるのですが、怪僧の正体が判明しこのお屋敷に危害が無さそうだと分かった以上、一刻も早く国元に戻り母上を安心させてさしあげたいと存じます」


「そうですか。心残りではありますがそういったことならば無理にお引止めもできますまい。しかしなぜゆえそこまで酩酊のことを心配されておられたのですか? 私の手紙が発端で誤解を生んでしまったとはいえ、中州国の姫君であるあなたがわざわざ足を運ぶようなこととは思えないのですが」


「……実は二月(ふたつき)ほど前に東光寺の屋敷で少々騒動がございまして。その原因ともなった悪僧が去り際に妙な事を口走っていたため、“怪しい僧侶”という言葉に過敏になってしまっていたのかもしれません」


「騒動、ですか?」


 三野守が興味深そうに口を開くが、茜はそれを押しとどめるように笑顔で言葉を続ける。


「それに正直を申しますと、久方ぶりに三野の爺様の元気なお姿を拝見したかったということもあります」


「こいつめ、可愛いことを言いおって!」


 頼貞は嬉しそうに笑い出した。


「心配してくれるのは嬉しいが、ワシの目が黒いうちはどんな悪人や妖怪変化がやってこようとも物の数ではないわ。だから安心して自国の繁栄に心を砕いておれと千鶴と中州守殿に伝えておいてくれ」


「承知いたしました。それでは三野守様、爺様、茜はこれにて失礼いたします。またお目見えできる日を楽しみにしております」


 茜は再び深々と頭を下げると、頼貞の陽気な声に送られつつ座敷を下がった。




「そうか、今日中州国に帰るのか」


 本堂の残骸に寝そべったままの酩酊はそばに座っている富士重に言った。


「はい。先程連絡が入り、本日の昼には出立すると聞きました。短い間ではありましたが法師様には色々と勉強をさせていただき心より感謝しております」


「全ては御仏の思し召しじゃよ」酩酊は大あくびをする。


 初めて酩酊と出会って以来、富士重は時間を見つけてはこの古寺へと通っていた。


 藤一郎に言わせれば誇大妄想にとりつかれた哀れな乞食坊主とのことだが、富士重にはどうしてもそうは思えなかった。富士重は出会った翌日に再び酩酊のもとをたずねると、半ばこの老僧を試すような心持ちで自分が抱えている種々の疑問についてあれこれと相談をもちかけて みた。すると酩酊は富士重が布施をした味噌団子を食いながらも投げかけらる問いに淀みなく答えを与え続けてくれた。


 一見すると無思慮かつ投げやり的に返されるその言葉は、疑問を投げかける富士重自身ですら不明瞭で説明に窮するような問いであったとしても、まるで読心術でも使えるかのようにその言わんとする核心を的確に捕らえており、手際よく前提を整地し盤石(ばんじゃく)とした理屈の上に築かれる助言は、何の抵抗もないまま富士重の心の内へと滑るように落ち込んでいった。


 対話を重ねるほど富士重は目が見開かれるような思いを感じると共に、酩酊の持つ深い智慧に心酔していったのだった。


「そうか、昼か……」


 酩酊は小さくつぶやくと年相応の老人らしく難儀そうに上半身を起こした。


「実は拙僧もそろそろ土地を移ろうかと考えておったところなんじゃ。……よし決めたぞ。次はお前たちの故郷で踊念仏を広めるとしようかの」


 その言葉を聞き富士重の顔がにわかに活気づく。


「本当でございますか? 法師様が中州国に?」


「うむ。しかし老いた身での一人旅では何かと心細い。悪党妖怪共に僧衣を奪われようともこの命まで奪われてしまっては東雲の一大事じゃ」


 富士重は深くうなずきながら「おっしゃる通りです」と真顔で答える。


「そこで相談じゃが、拙僧もお主たちの帰路に同行させてもらえんかの?」


「お任せください。私から姫、いえ、翠扇様に頼んでみます。心配はいりません、きっとご了解いただけるはずです」


「それはありがたい。では拙僧は馴染みの者達に別れを告げてくるで、後ほど落ち合うとするかの」


「承知しました。では準備が終わりましたら私どもが宿を借りている鈴音屋という旅籠までご足労願えますか?」


「鈴音屋……ああ、あそこか。分かったぞ」


「それでは、私は一足先に戻り皆にこのことを伝えて参ります」


 富士重は嬉しそうに立ち上がると酩酊に一礼をして古寺をあとにした。




 それからしばらくして、旅支度を済ませた藤一郎たちは鈴音屋の前で酩酊の到着を待ちわびていた。


「富士重、これ以上あの坊主のために姫様をお待たせするわけにはいかんぞ」


 藤一郎は苛立った様子で街道の先を見つめた。


「もう少しお待ちください、必ずいらっしゃいますので」


「道にでも迷ってるんじゃねぇのか。俺がひとっ走り見てこようか?」


 鷹丸が退屈そうに上半身を捻る。


「しばらくこの町に住んでたんだからそりゃねぇんじゃねぇか?」


 茄蔵の言葉に抱えられている慈螺も黙ってうなずいた。


「きっと別れの挨拶が長引いているのだろう。姫宮様、もうしばらくお時間をください」


「いやダメだ。もう待てん! 富士重、我らは先に姫様をお迎えに向かう。お前は残って坊主の到着を待つがいいだろう。ただし! 我らが姫様と共に戻ってもまだこの場に姿を現さぬようであれば、そのときは坊主のことは諦めて共に中州国に帰るのだぞ?」


「……承知いたしました」


 屋敷へと向かう藤一郎たちを見送ると富士重は再び古寺の方角に目を向ける。しかし道に往来する人は数あれど目的の老僧の姿は依然として認めることができなかった。


 ――困ったな、このままでは……


 にわかに焦りの色を顔に浮かべる富士重。鷹丸ではないがひとつ探しに行ってみようか? いやしかし勝手にこの場を離れるというのは状況的に好ましいとは思えない。あれやこれやと富士重が葛藤(かっとう)している中、周囲の喧噪に邪魔されつつも何やら小声で自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。


「……富士重、おい富士重や」


 富士重が声の主を探して周囲を見回していると鈴音屋の脇からこっそりと顔を出す酩酊に気が付いた。


「法師様!」


 慌てて駆け寄る富士重。酩酊は人差し指を口に当てると「シー!」と小声で叫んだ。


「お待ちしておりました。……こんな場所でどうされたのですか?」


 不思議そうに語りかける富士重を前に酩酊は建物の陰に隠れるように身を縮める。


「声を立てるな! 拙僧ほどの高名な僧ともなると町を出るのも一苦労なのじゃ。富士重や、何か(きぬ)を持っておらんか?」


「き、(きぬ)ですか? 替えの小袖ならございますが……」


「よし、ちょっとそれを貸してくれんか」


 富士重は急いで包みの中から自分の小袖を引っ張り出すとそれを酩酊に手渡す。酩酊は手にしていた飾り気のない錫杖(しゃくじょう)を壁に立てかけると、その身に不釣り合いなほど大きい小袖に袖を通し、きつく帯を締めた。その姿は親の(きぬ)を被る稚児にも見えそうだ。次いで酩酊は薄汚れた手拭いを懐から取り出すと、それを使って頬被りをした。


「これで往生間際の(おきな)が完成じゃ。富士重、お前には町を出るまでの間この年寄りの孝行息子を演じてもらうぞ。ささ、ちょっとそこにしゃがんでくれ」


 富士重は言われるままに背を向けて身を屈めると、その背に酩酊を負い立ち上がった。


「錫杖を忘れるなよ」


 立てかけてあった錫杖を手に取ると予想外の重量が富士重の腕に伝わってくる。五尺(約1.5メートル)ほどはありそうなその錫杖は杖全体が鋳鉄で作られているようであり、頭部には金色に光る遊環(ゆかん)(音を出すための金属の輪)を六つぶら下げ、杖底は槍のように先細っていた。こんなに重い杖では持って歩くのも大変だろうにと富士重が思案をしていると、「手間をかけるがしばらくの間頼んだぞ」と酩酊が耳元でささやいた。


 それからほどなくして茜を連れた藤一郎たちが鈴音屋へと戻ってくる。既に事情を聞いていた茜は酩酊の同行を快く許可し、奇妙な老僧を加えた一行は東光寺の屋敷に向けて清川の町をあとにした。

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