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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第六節.踊念仏

 上機嫌の朋麻呂が再び盃を差し出すと白妙はしおらしく酒を注いだ。


「このような美女、都でもなかなかお目見えできませぬぞ。全くうらやましい限りでおじゃりますな」


「あっはっは、何をおっしゃいますやら。少将様ほどのお方ならばこの程度の娘などごまんとお抱えでございましょう。こちらこそうらやましい限りですぞ」


「いやいや、ご隠居殿――」「いえいえ、少将様こそ――」


 盛り上がる二人をよそに白妙は銚子を持ったまま人形のように脇で控えている。茜と頼政は二人の様子を横目に見ながら心中で溜め息を漏らしていた。楽しげな声は座敷から溢れんばかりに響き、このまま放っておけば白妙だけを肴に夜を徹して飲み明かさんばかりの勢いである。


 ところが、ある時を境にして話の雲行きが怪しくなってくる。茜は何食わぬ顔で座したまま、今まで聞き流していた二人の会話に意識を戻した。


「――いやはや、白妙殿とは夜を徹して語り合いたいものでおじゃりますな。……どうであろうご隠居殿、今宵白妙殿をお借りするわけにはまいりませぬかな?」


「……はっはっは、またご冗談を。少将様もだいぶ酔いが回っていらっしゃったご様子ですな」


 豪快に笑いながら話をそらそうとする頼貞。しかしその態度とは裏腹に目に笑みは見えない。朋麻呂は頼貞の様子など気にも留めず薄ら笑いすら浮かべながら尚も迫った。


「酔うてるわけではおじゃりませぬ。なぁに今宵一晩限りでおじゃる。のう、ご隠居殿?」


 場の空気を察した頼政が双方をなだめようと口を開こうとしたとき、白妙が淡い笑みを浮かべながら「ご隠居様、わたくしならば――」と語りだした。


「いくら少将様の頼みとはいえ、それは聞き入れられませんな」


 白妙の声をかき消すように頼貞が声を上げる。


「おやおや、随分とこの娘にご執心のようでおじゃりますな。……どうしても麻呂に預けるのは嫌であると?」


 頼貞は答えることなく朋麻呂を見据える。和やかだった歓談の時は突然の終わりを告げ、犯し難い夜の静けさだけが座敷内に張りつめていた。無言のまま対峙する両者の脇で茜は無表情のまま事の成り行きを見守る。


「父上!」


 頼政が堪らず声を上げた。


「……ほほほ、冗談でおじゃるよ。これはご隠居殿が申されたように少々悪酔いが過ぎたようでおじゃりますな」


 朋麻呂がおどけたように口を開くと、強張っていた頼貞の顔にも笑みの色が戻る。


「少将様もお人が悪い。あまり年寄りを困らせないでくだされ」


 まるで何事も無かったかのように笑い合う二人。覚悟の行き場を失った頼政もつられるようにぎこちない笑いを見せ、茜はヤレヤレといった様子で再び火鉢へと目を移した。



 明くる日、茜は屋敷の廊下に腰を下ろすと最近上方(かみがた)(都のほう)で流行しているという枯山水の庭園を眺めていた。数年前に頼貞が都から著名な僧侶を呼び寄せ作らせたというこの庭園は、水を一切用いることなく石と植物を並べ立てることで 広い敷地内に幽玄な山水風景を描き出しているそうだ。


 ――好事家(こうずか)(風流を好む人)の考えることはよく分からんな。


 そうは思いつつもその調和のとれた不思議な美しさから茜が目を離せずにいると、屋敷の外から大勢で何かを歌うような声が聞こえてくる。不審に思った茜は騒ぎの原因を誰かに聞いてみようと腰を上げた。


「おや、これは中州の姫君ではおじゃりませぬか」


 不意に声をかけられ茜が目を向けると、そこにはしきりに扇子で顔をあおぎながら近づいてくる朋麻呂とその従者である縁の姿があった。昨晩あれほど酒をあおりながらもケロリとしたその様子に妙な感心を覚えつつも、茜はすぐに改まって頭を下げた。


「何やら市中が騒がしいようじゃが、何事でおじゃろう?」


「はい、実は私も気になり今から屋敷の者にたずねてみようかと思っていたところでございます」


「ほほう。では共に参るとするかの」


 パタパタとあおぎながら茜の横を通り過ぎてゆく朋麻呂。面倒くさそうなのに見つかったなと心中で毒づきながらも茜はその後を追った。すると間もなく廊下の先から頼貞が姿を現し、やや驚いたような素振りを見せながら二人に声をかけてきた。


「おお、少将様。茜を連れていかがされましたかな?」


「ご隠居殿。町の方から祭囃子(まつりばやし)のようなものが聞こえまするが、あれは何でおじゃりましょう?」


「あぁ、あれが昨晩話していた酩酊坊主の踊念仏ですわ。また民百姓を集めて町中を練り歩いてるんでしょうな」


「あの声が……。何やら随分と(にぎ)やかで楽しそうでおじゃりますな」


 朋麻呂の瞳に好奇の光が宿る。「少将様……」と、縁が不安そうに声をかけた。


「なぁに、心配は無用じゃ。これも下々の者たちのことを知る良い機会でおじゃる。そうじゃ、中州の姫殿もご一緒に見物しに参りませぬか?」


「え? ……あ、はい。そう……ですね」


  内心これ以上この公家と行動を共にするのはご遠慮願いたかったのだが、正直茜も踊念仏には多少なりとも興味があったため、やむなく朋麻呂の申し出を受けることとした。


「お、見にいかれますかな? それならば家の者に護衛をさせましょう。少々お待ちくだされ」


 そう言うなり頼貞は「おーい」と声を上げながら来た廊下をドカドカと戻っていった。




♪ 一枚、二枚、何枚だ?

 遊冶三昧(ゆうやざんまい)仕舞いには

 酔後(すいご)毎度の高いびき 

 (わろ)く舞いたる 白拍子(しらびょうし)

「さあさお縄にしちまいな」

 年端(としは)稚昧(ちまい)娘子(むすめご)

 呼びて急々参るのは

 梼昧(とうまい)笑う大男

 虚偽(きょぎ)の勘定 めくり上げ

「一枚、二枚、何枚だ?」

 須臾(しゅゆ)の極楽ナンマイダ


 数百人規模にもなろうその集団は老若男女が長い列をなし、皆酒に酔ったような調子で珍妙な唄を熱唱しつつ、まるで盆踊りのような振り付けと足さばきで町中を練り歩いてゆく。先頭に立つ酩酊は自身も唄を口ずさみつつも民衆を誘導するかのように手にした小さなおりんを打ち鳴らしていた。


「ほっほっほ、これは痛快でおじゃるな」


 数人の護衛に守られながら朋麻呂は馬上で楽しそうに笑った。生き生きと踊る集団を見ながら茜の顔にも笑みが漏れる。


「姫様!」


 突然茜を呼ぶ声に周囲の護衛たちが一斉に向き直る。その視線の先には驚いたように立つ藤一郎たちの姿があった。


「おお、姫宮か。町で踊念仏をやっていると聞いてな、少将様と見物に来たのだ」


「少将様、ですか?」


「うむ、こちら昨日都からお越しになった右近衛府の少将様だ」


 そう言うと茜は馬上の朋麻呂に視線を向ける。


「近衛府の?!」


 藤一郎は言葉を失うと、すぐにその場で平伏した。


「姫宮様?……」


 後ろに立つ鷹丸が不思議そうに藤一郎に呼びかける。


「お前ら、礼を尽くさぬか! 右近衛府の少将様が御成りだぞ!」


 声を荒げる藤一郎に富士重が慌てて膝をつく。鷹丸と茄蔵は不思議そうに朋麻呂を見上げながらも藤一郎の意に従いゆっくりと腰を落とした。


「縁」


 藤一郎たちに目を向けることもなく笑顔の朋麻呂は従者に声をかける。


「いえ、しかし少将様……」


「よい。早ういたせ」


 朋麻呂に急かされるまま縁は身を屈める。馬を下りた朋麻呂は周囲の護衛に待つように伝え、踊念仏の一団に向かって歩き始めた。


「少将様!」


 慌てて縁が朋麻呂の後を追う。待つように言われた護衛たちはどうしたらよいものかと皆困惑していた。そうこうしているうちに朋麻呂は一団の最後尾に到着すると、民衆と一緒に唄いながらこなれた様子で舞い踊り、いつの間にやら集団の一部に同化してしまっていた。横に張り付いた縁がしきりに「お止めください!」と進言しているようだったが踊りに夢中の朋麻呂の耳にはその忠言も届かぬ様子だった。


「……姫様、あのお方は、その……本当に都の?」


 藤一郎は膝をついたまま不審そうに問いかける。


「ふん、公家の中にも変わり者はいるということだな」


 茜は狩衣のまま器用に踊る朋麻呂を見ながら呆れたようにつぶやいた。




「少将様お願いですからお止めください! それでは下々(しもじも)の者に示しがつきませぬ!」


 周囲の喧噪に紛れながらも縁の懇願する声は尚も続いていた。


「ほっほっほ、そう申すな。上に立つものとして庶民の風俗に触れてみるのも一興でおじゃろうが。おお、そうじゃ! お前も一緒に踊ってみるとよい」


「私は結構でございます!」


「全く、奴の尻ぬぐいのおかげでいささか気が滅入っておったが、この踊りのおかげで体内の陰気が発散されていくようでおじゃるな。……此度(こたび)の謝礼は高くつくでおじゃるぞ、導鏡」


 気を揉む縁を差し置き朋麻呂は嬉々として踊り続けていた。

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