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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第五節.老若色を好む

 翌朝、再び男装に身を包んだ茜は討鬼家の家臣を従えて鈴音屋を訪れていた。何でも三野守の厚情により討鬼家の家臣がこれから清川を案内してくれるとのことで、せっかくの機会だから皆も同行して見聞を広げるとよかろうと茜が告げた。その言葉に一も二も無く応じる藤一郎たち。すぐに支度を済ませると一行は年若い男に先導されながら宿をあとにした。


 道すがら男は街道に沿って立ち並ぶ旅籠や商店を次々と指さし、その店はナニソレを扱う店で特にコレコレの評判が良いであるとか、店主はナニガシといった人で店員の客に対する対応はコウコウだ、などと逐一丁寧に教えてくれる。時には街道から一本奥に入るなり路地裏にある隠れた名店とやらにまで案内の幅を広げ、その清川に対する通暁(つうぎょう)ぶりを見た茜は――よほど遊び歩くのが好きなヤツなのだろうか、と半ば呆れ気味に後をついて行った。


 やがて太陽が南中へと昇り一度屋敷に戻って昼食を取ろうかという話が持ち上がるが、茜はいちいち戻るのも手間だから近辺で食事ができるところはないかと男に問うと、「それならば実は良い場所が――」と、嬉々として茜を食事処へと案内した。


 食事後は男に引率され三野国にまつわる名所旧跡を回る一同。各地の歴史や由来などについても男の知識の広さは遺憾なく発揮されていった。しかもその卓越した話しぶりは通り一遍の形式ばったものとは異なり、聞き手の腑に落ちやすい実に分かりやすいものであった。不意に起こる突飛な質問にもそつなく答えつつ、時には滑稽な話などを交えながら男は茜たちにに飽きを感じさせぬ見事な案内役ぶりを見せた。


 その武家らしからぬ柔軟な振る舞いに茜が称賛の声をかけると、男は腫れぼったい目に笑みを浮かべ照れ臭そうに恐縮した。


 男は昨晩急に茜の観光案内役を拝命していたのだが、突然降って湧いた重責から話を受けた当初は目の前が真っ暗になる思いであった。とはいえこの家に仕えている以上上役の命令を断るわけにもいかず、なんとか中州の姫君に満足してもらわねばと奮起し、夜間にも関わらず地図を片手に方々から情報を集め回り、徹夜で観光計画を組み立てていたのであった。


「急ごしらえな計画のため至らぬ点はどうかご容赦ください」と頭を下げる男。その誇ることのない謙虚な態度にいたく感じ入った茜は、「おかげで有意義な一日を過ごせた」と改めて男に感謝をすると同時に頼政にもその働きぶりをしっかり推しておくことを約束した。




 一行は(とり)の刻(午後五時)を前に屋敷へと帰り着く。藤一郎たちは案内役の男に深く礼をすると、茜と別れ鈴音屋へと帰っていった。その後上機嫌の茜が男の後をついて屋敷の玄関へと向かっていると、先程入ってきた門の辺りから騒々しい声が聞こえてくる。


 慌てた様子で走ってくる門衛を案内役の男が呼び止め「何事だ?」と問い質すと、門衛は随分と取り乱しながらも「み、都の少将様がお見えになるとのことです! 急いでおりますゆえ、失礼いたします!」と言い残しそのまま屋敷へと駆けていった。


右近衛少将うこんえのしょうしょう様が?」


 案内役の男は小さくつぶやき(いぶか)し気に門のほうへと目をやると、白装束に身を包んだ男が一人、肩で息をしながら立ち尽くしている様子がうかがえる。茜が「どうかしたのか?」と聞くと男は思い出したように向き直り事の詳細を語り始めた。


 この三野国には内大臣をつとめる躑躅崎(つつじざき)家の荘園(しょうえん)が存在し、今屋敷にやってきたのは躑躅崎家の二男であり右近衛府(うこんえふ)の少将である躑躅崎朋麻呂(ともまろ)の従者であるという。通常、都の公家(くげ)が地方の荘園に出向くことなどありえないのだが、朋麻呂は公家の中でも相当な放蕩者(ほうとうもの)と評判で、自らの役目もそこそこに何かと理由をつけては都から離れた地方で遊びまわっているのだという。


 ここ数年は稲の収穫時期がやってくると“荘園の視察”と称して三野守の屋敷を訪れることが通例となっていたが、今はまだ七月も始まったばかり。例年に比べ随分と早い来訪に男も戸惑いを隠せない様子であった。


 思わぬ事態の連続に屋敷内は再び騒然となった。昨日は中州守の姫君が突然やってきたかと思えば、今日は何の便りもないまま右近衛府の少将がやってくる。「やれやれ、こう立て続けに宴を催しておったら胃の()もおどろいてしまうわい……」と呑気に構える頼貞をよそに、家臣たちはお偉方の身勝手な振る舞いに心中で毒づきながらも朋麻呂を迎える準備に奔走していた。


 それから半刻(約一時間)も待たずして腰の左右に太刀を()く風変りな従者に引かれつつ、見るも美しい純白の馬が門前に姿を見せる。馬上には立烏帽子(たてえぼし)に薄い桜色の狩衣(かりぎぬ)姿をした朋麻呂が白粉(おしろい)で覆われた顔をしかめながら手にした扇子でしきりに涼を貪っているようであった。朋麻呂を乗せた馬が屋敷の玄関前まで到着すると、その場に待機していた頼政は深く下げていた頭を僅かに上げ挨拶の言葉と共に都からの長旅をいたわった。


「三野殿、いつも申しておるではないか。そのような過度な出迎えは無用でおじゃりまするぞ」


 そう言うと朋麻呂は従者の背を借りて馬を下りた。


「それにいたしましても少将様、此度(こたび)は随分と急なお越しで……何か火急のご用件でも?」


「いや何というわけでもおじゃりませぬが、たまには円熟とした黄金色(こがねいろ)の海原ではなく、うら若く初心(うぶ)蒼海(そうかい)を愛でるのも一興かと思いましてな。ほほほほ。思い立ったが吉日とばかりに都より足をのばしてはみましたが、いやはや、やはり三野の風景はいつ見ても美しゅうおじゃりますな。なにやら良い歌が詠めそうでございますぞ」


 二十歳(はたち)そこそこの右近衛少将は季節にそぐわない雪山の描かれた扇子で口元を隠すと愉快そうに笑っていた。


「……それは結構でございました。いずれにいたしましてもこのような場所で立ち話もなんでしょう、どうぞ中に」


「うむ。(えにし)よ、後は頼むでおじゃるぞ」


「はっ」


 朋麻呂は振り返ることもなく従者に告げると頼政と共に屋敷の中へと消えていった。




 その夜、屋敷では朋麻呂の来訪を祝し酒宴の席が設けられた。とはいえ朋麻呂、頼政、頼貞の三名だけによる小規模な宴ではあったのだが、部屋で休んでいた茜のもとに突如女中がやってくると「良い機会だから都の人間に顔を覚えてもらうがよい」という頼貞の言葉を伝え、結果として茜までもがその場に同席することとなってしまった。


「お初にお目にかかります。中州守、東光寺義景が長女、茜にございます」


 再びお姫様然とした装いに身を移した茜は、開かれた戸口で身を伏せながら自身の名を告げた。


「おお、そなたが話に聞いておった中州国の……なるほどなるほど、ほほほほほ。……ささ、麻呂に過度な気遣いは無用じゃ。(おもて)を上げて中へ中へ」


 ――爺様、公家に余計なことを話しておらんだろうな……。


 茜は無神経な祖父による風評被害を心配しつつも「はい」と答えて静かに顔を上げる。


「ほほぉ、なんとも可愛らしい姫君でございますな。中州殿もさぞかし鼻が高こうおじゃりましょう。ほほほ」


「滅相もございません」


「ささ、早う中へ」


 茜が慎ましく座敷に入り腰を下ろす。その一挙手一投足を朋麻呂は女郎の品定めでもするかのようにじっくりと見つめていた。


 場は酒もすすみ宴たけなわといった様子であり、茜の登場により一時は話題の矛先がそちらの方面に向けられはしたものの、程なくして朋麻呂と頼貞は向かい合うと茜と頼政をそっちのけで何やら深刻そうに語り合いを始める。といってもその内容は他愛のない世間話の繰り返しであり、時折頼政も会話に口を挟んではいるのだが、それは河川に投じた小石の如く一時水面を揺らすだけにとどまり、絶え間なく続く朋麻呂と頼貞の応酬が頼政の話柄(わへい)をあっと言う間に飲み込み、気が付けば会話を続けているのは朋麻呂と頼貞といった風であった。やがて頼政の口数も減り手持無沙汰のように盃を重ねるだけになると、茜もまた相槌と愛想笑いに終始するだけのからくり人形へと成り下がっていた。


 ――こいつをもっと焚きつけてやれば酔っ払い共もいぶされて少しは静かになるかもしれんな……。


 そばに置かれた蚊遣(かや)りの火鉢を眺めながら茜がそんなことを考えていると、不意に障子戸の向こうから声が聞こえてくる。


「失礼いたします。ご隠居様、遅くなり申し訳ございません」


 声の主は白妙だった。頼貞は自ら立ち上がり戸を開けると、平伏する白妙を笑顔で見下ろした。


「遅いではないか白妙。まぁよい。さぁさ、少将様にお酌をしてやってくれ」


 頭を下げたまま無言で座敷へと入る白妙。その姿を一目見た朋麻呂はほろ酔い気味に弛緩していた顔を瞬時に強張らせ、まるで這い回る蛇のように白妙の全身に視線を走らせた。


「なるほど、……これはまた、ウワサに違わぬ美しさでおじゃりますな」


 白妙はじっとりと見つめる朋麻呂の横に腰を下ろすと伏し目がちに漆器の銚子を持ち上げた。その仕草を見て我に返ったように盃を差し出す朋麻呂。朱塗りの器に酒が満たされてゆく。


 勢いよく盃をあおり朋麻呂は大きく息を吐きだした。その目は怪しい光を帯びながらいつまでも白妙に向けられていた。


「いやはや愉快でおじゃる。このような美酒は久方ぶりに味わいましたぞ」

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