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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
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第四節.歓迎の宴

「一つ聞いても良いかの?」


 酩酊は立ち去ろうとする茜たちを再び呼び止めると、茄蔵の抱える慈螺を指さしながら「その猫はお前さんの猫かな?」と、問いかけた。


「あぁ、一緒に暮らしてるんだぁ」


 茄蔵が笑顔で答える中、慈螺は気だるそうに酩酊のほうへと顔を向けた。


「ふむ、なかなか可愛らしい猫じゃな。いや実はな、年を取るとやはり独り身が寂しくてのぉ……余生の伴侶にせめて犬か猫でもと考えておったのじゃよ。そこでひとつ相談なんじゃが、その猫を拙僧に譲ってはくれまいか?」


 突然の申し出に茄蔵と慈螺は呆気にとられた。


「あぁ、いいんじゃねぇの? 茄蔵、その爺さんにくれちまえよ」


 ためらいも無く放たれたその言葉に慈螺は血相を変えて鷹丸を(にら)みつける。


「何言ってるんだ鷹兄ぃ、慈螺は俺の家族だぁ。今更他の人になんか譲ってやれねぇよ」


 茄蔵が呆れたように言うと慈螺はその顔を激しく上下に動かした。酩酊は「そうか、残念じゃのぉ」と未練を捨てきれぬ様子で慈螺を眺めていた。茜はその何気ないやり取りに口元を緩めつつも、残念そうな酩酊に一片の憐れみを感じ、せめて話題を転じてからこの場を立ち去ろうと当り障りのない問いを投げかけた。


「そういえば酩酊殿、導鏡という名の僧をご存じではありませんか?」


「導鏡? 導鏡のぉ……」


 だしぬけに問われた酩酊は一時(いっとき)茜と目を合わせながらも、すぐにその視線を草生(くさむ)した境内へと転じ、堆積した記憶の内からその名を掘り起こそうとしているようであった。


「……すまんが聞き覚えがないのぉ。その導鏡とやらがどうかしたのか?」


「いえ、ご存じなければ結構です」


 茜は「ではこれで」と再び会釈をすると藤一郎たちを引き連れ古寺をあとにした。



 茜を討鬼の屋敷まで送ると、藤一郎たちは出がけに部屋を取っておいた鈴音屋へと向かった。夏の日差しが照りつける中、茜の視線から解放された反動からか口々に暑さへの不満を漏らしつつ、大きく(きぬ)をはだけさせながら気だるそうに宿へと向かう中州連の面々。部屋に到着するなり藤一郎と鷹丸は勢いよく畳の上へと寝転ぶと、うわ言のように「暑ちぃ、暑ちぃ」と呻きながら備え付けの団扇(うちわ)を富士重から受け取り勢いよく我が身をあおぎはじめた。




 日も暮れ始め暑さも幾分和らぎだした頃、一同が夕食(ゆうげ)を待ちながら室内でくつろいでいると、突然一人の男が部屋を訪れ、屋敷からの使いで来たことを藤一郎に告げる。慌てて装いを正す一同を尻目に使者はいかにも事務的に用件を伝え始めた。それによると、今宵、三野守が茜たちの遠路の労をねぎらうためわざわざ(うたげ)の席を用意してくれたそうで、お供の方々もぜひご列席をいただきたいとのことであった。


 藤一郎は三野守の心遣いに感謝を示しつつ、すぐにでも準備を整えて屋敷に向かう旨を使いの者に告げた。


「宴だってよ茄蔵」鷹丸が嬉しそうに茄蔵を小突くと「ご馳走が食えるのかな、鷹兄ぃ」と、茄蔵の顔も(ゆる)む。


「慈螺は留守番だからな」


 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる鷹丸に慈螺は「言われなくても分ってますよ」と不機嫌そうに答えた。弟たちが嬉しそうに語り合う中、富士重は身だしなみを整え始めた藤一郎に声をかける。


「姫宮様、私と茄蔵もお伺いしたほうがよろしいのでしょうか?」


「ん? そりゃ当然だろ。 お供の方々もぜひにと言われてるんだ、欠席しちまったら三野守様に失礼だろうが」


「それはそうなのですが、いえ、我々のこの恰好では……」


 そう言うと富士重は恥じ入るように目を伏せた。なるほど、旅用とはいえそれなりに上等な直垂(ひたたれ)姿の藤一郎、鷹丸に対して、追い立てられるように瀬川村を旅立った富士重と茄蔵は薄汚れた小袖に括り袴という百姓丸出しの姿であった。


「……うーむ」


 言われてみればその通りだ。いくら旅先とはいえこの格好で宴の席に上がるというのはいかがなものだろうか。これでは中州国の姫君でもある茜の顔にまで泥を塗りかねない。藤一郎は深く(うな)るとそのまま考え込んでしまった。


「……富士坊、銭を渡すから急いで茄坊と古着屋に行って良さげな衣装を見繕ってこい」


 そう言って藤一郎は富士重に銭束を渡した。


「よろしいのですか?」


「良いも悪いもねぇ、さっさと言ってこい。いいか? 遠慮してあんま安物買ってくるんじゃねぇぞ」


「承知いたしました」


 富士重は渡された銭束を懐に収めると茄蔵を連れて旅籠を飛び出していった。




 富士重たちが戻るなり藤一郎たちは急いで三野守の屋敷へと向かった。入り口の門衛に中州国の者であることを告げると、すぐに中から家臣の一人が現れ一同を屋敷内へと案内してくれた。


「……それにしても茄蔵、お前のそれ……もうちょっとこう、なんとかならなかったのか?」


 鷹丸は洗い桶で足を洗う茄蔵の背に立ちながら、肉の圧迫に耐えきれず今にも爆ぜてしまいそうな筒袖を寿命の縮む思いで見つめていた。


「だからよぉ、これぐらいしか着れそうなモンがなかったんだって」


「そうは言ったって見てるこっちの身にもなってみろよ。いつ破れちまうんじゃねぇかって気が気じゃねぇや」


「茄蔵、なるべく(きぬ)に負担をかけないようにな……」


 鷹丸同様、一触即発の恐怖に顔を強張らせながら見守る富士重。茄蔵は「あいよ」と軽く答えると、体をさらに前に倒して入念に足を洗い始める。富士重と鷹丸は慌てて茄蔵の上半身を引っ張り起こすと、当惑する当人を無視してその足を洗ってやった。


 屋敷に上がった一同は案内されるままに長い廊下を進み、薄明かりに映える見事な枯山水に目を奪われながらもやがて目的の部屋へと到着する。


 案内役の男はその場で正座をすると「中州国の方々がお見えです」と声を上げ障子戸を開いた。


 座敷では二列に並べられた足打ちの折敷(おしき)を前に討鬼家の家臣と思われる面々が二十余名ほど、くだけた雰囲気の中で隣接する者同士がしきりに談笑をしているようであった。そこへ部屋の外から案内役の声が聞こえ、一同は会話を中断させるとその視線をまだ開かぬ障子戸へと向けた。戸が開かれ藤一郎たちが中に入ると居合わせた者たちが一斉に会釈をする。藤一郎たちも丁寧に頭を下げると案内役に言われたとおり上座に最も近い席へと腰を下ろした。


「いやはや、遠路はるばるご苦労様でしたな」


 末席の茄蔵の隣に座る男が中州連の誰にというわけでもなく声をかける。三兄弟が困惑する中、最も上座にいた藤一郎が厳つい顔に笑みを浮かべながら前のめりに男を見た。


「いや全く。こう平和な世が続きますと体も楽を覚えてしまい、飲み食いだけで肥大したこの体では姫様のご健脚に同行するのも一苦労でしたわ」


 居合わせた家臣たちの間に笑い声が湧きおこる。言葉の向け先を藤一郎に定めた男は、同じように身を乗り出し話しを続ける。


「何をおっしゃいますか、そうは見えませんぞ。それで此度(こたび)はどういったご用向きで?」


「いやそれが、我々も突然“三野国に向かうから供をせい”と姫様から言い付かっただけでしてな。詳しい事情はよく分からんのですよ」


「ははぁ。それはそれは……重ね重ねご苦労様でございますな」


「いえいえ何の何の」


 藤一郎が程々に男の相手をしていると、再び部屋の外から声が上がる。


「中州国の姫君とお屋形様がお見えになりました」


 その一声に座敷内は水を打ったように静まりかえる。そして場の全員が居住まいを正しながら上座に向かうと、深く平伏して主たちの着座を待った。まず頼政が初めに座敷に入ってくると、その後を追って色とりどりの菊が描かれた淡い撫子色(なでしこいろ)(うちき)に身を包んだ茜が悠然と姿を見せる。最後に頼貞が茜を追い立てるように現れると三名はそれぞれの席に腰を下ろした。


 やがて頼政より茜たちの紹介とその長旅を労う言葉があり、歓迎の宴は幕を上げる。山海の珍味が次々と膳に並び、朱塗りの盃に酒がなみなみと注がれてゆく。普段は決して見ることのできないごちそうの山を前に、茄蔵は水のように澄んだ諸白(もろはく)(透明度の高い酒)を覗き込みながら興味深そうに感嘆の溜め息を漏らした。




 盃の酒が干満を繰り返し座敷内に賑わいの声が響き始めると、静かに戸を開き一人の若い女性が座敷に姿を現す。涼し気な天色(あまいろ)打掛(うちかけ)を腰に巻いたその女性は(こうべ)を垂らしたまま静々と頼貞のもとへと歩み寄った。周囲の家臣たちは気にする様子も見せなかったが、女の姿を認めた頼政が一瞬苦々しい表情を浮かべていたことを茜は見逃さなかった。


「おお、待っていたぞ白妙(しろたえ)。早く酌をしてくれ」


 白妙と呼ばれた女性は頼貞の隣に寄り添って座ると、手にした徳利で頼貞の盃に酒を満たしてゆく。それとなく白妙の顔を(うかが)った茜はその美しさに思わず息を飲んだ。


 同じ女であっても見惚れてしまうようなその美貌は、慈螺の化ける魔性の美女“椿姫”に勝るとも劣らないものであった。薄く白粉(おしろい)で仕上げた顔にはやや切れ長の目に名山の稜線を思わせるような高く整った鼻筋をもち、小さく収まりつつもやや肉厚な唇は瑞々(みずみず)しく実る果実を思わせた。色白の肌は絹のようなきめ細かさを持ち、視線を休めるべきシミやホクロさえも見当たらない。


「すまないな中州の姫……白妙は父上の大のお気に入りでな。しかし何もこのような席にまで呼ぶこともなかろうに……」


 白妙を気にする茜に頼政は小声で声をかけた。


「いえ、私は別に構いません」


「年甲斐も無く娘のような年の女子(おなご)に熱を上げるなどと私も常々注意しておるのだが、まるで聞き入れてもらえぬ……」


 頼政はそう言うと溜まった不満を呑むように盃をあおった。


 聞くところによると白妙は一年ほど前に三野国にやってきた芸人一座の踊り子で、その容姿もさることながら心に染みる凛とした唄声と、情熱的でありながらも迷いの無い舞踊の見事さから瞬く間に町中の人気を集めていたのだそうだ。評判を知った頼貞は早速一座を屋敷に呼び寄せ白妙の舞を披露させるが、どうやら一目でその美しさの虜となってしまったようであり、すぐに一座の長を説得するなり高額な身請け金と引き換えに自分の(めかけ)として引き取ってしまったのだそうだ。


「あの娘が分をわきまえた慎み深い女であるというのがせめてもの救いではあるのだが……今の父上は白妙無くして夜も日も明けないといった溺愛ぶり。母上はもとより家臣の者たちも頭を痛めている討鬼家の恥部、中州の姫君よどうか笑ってやってください……」


 そう言うと頼政は大きく溜め息を吐いた。上機嫌で白妙をはべらせる頼貞を横目に、茜は気の利いた言葉を返すこともできずただ苦笑いを浮かべるばかりであった。

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