第三節.流れの老僧
供待ちの部屋に現れた茜は車座でくつろぐ一同の中に割って入ると、まるで頼貞のような無骨さで勢いよくその場に腰を下ろした。
「いかがでしたか姫様?」
恐る恐る声をかける藤一郎。他の者たちも不安げに茜の顔色をうかがっている。
「ふむ、どうやら導鏡とはあまり関係が無さそうだ。念のためその坊主にこれから会いにいってみようと思うが、お前たちも同行してくれるか?」
「承知いたしました。……その、せっかくここまで来たのに、何と言いますか、あの、残念? で、ございましたね」
「なに、あのインチキ坊主の仕業ではなさそうだと分かっただけでも収穫だ」
そう言うと茜はケラケラと笑っていた。
「造反坊主め、三野くんだりまでとんだ無駄足を運ばせおって!」、そう憤慨するであろう茜を想像していた一同は、あまりにも拍子抜けしたその反応に困惑の色を隠せずにいた。
「……なんだ、お前たち何か不満か?」
「いえ、滅相もありません! 奥方様のご実家に何事も無いようでなによりでした」
藤一郎が慌てて頭を下げると他の者も茜の視線から逃れるように一斉に目を伏せた。
「爺様がせっかく来たのだからしばらくゆっくりしていけと言ってくださった。まぁ、そうは言ってもあまり長居をしては迷惑だろうから二、三日ほど休んでから国元に戻ろうと考えておる。お前たちも宿をとってゆっくり骨休めをすると良いぞ」
「……承知いたしました」
茜は案内の者を同行させるという三野守の申し出を丁重に断ると、藤一郎たちを連れて老僧が住み着いたという町外れの古寺を目指した。途中、街道沿いにある“鈴音屋”という旅籠を見た藤一郎が「ここならば屋敷からも近そうだ」とつぶやくと、鷹丸に部屋をとってくるよう言いつけて早速一同の滞在先を確保した。
見慣れぬ町並みを眺めながら通りを西へと向かい、やがて一行は百姓衆の家が点在する郊外の田畑まで行き着く。「三野守の話しではこの辺りのはずなのだが……」茜が周囲を見回していると、農道の先、やや盛り上がった丘の上に木々の緑に飲み込まれるように立つ寺の外塀らしき建築物が目に留まった。「きっとあれだ」茜はその建物を指さすと、示された先に目を凝らす藤一郎たちを置いたままさっさと先に歩き始めた。
目的の建物に近づくにつれその外観が徐々に明らかになってゆくと、一同の表情に不安の色が浮かび始める。無秩序に生い茂る草木により間もなく自然に帰ろうとしているその寺は、入り口の門はとうに朽ち果て、境内を囲うように立つ漆喰の塀もそのほとんどが変色し崩れ落ちていた。本尊不在の本堂は屋根の大半がその姿を失い、堂内に至っては床下より芽吹いた木々によってその方々を刺し貫かれている有様だ。
辛うじて残る骨組みより垣間見える建築様式や残骸の端々に散見される意匠の様子から、ここが寺院であったことは紛れもない事実なのであろうが、原野に晒され朽ち果てたこの建造物を古寺と呼ぶには一行の誰もが抵抗を感じずにはいられなかった。
無残な仏閣が身をもって教示する諸行無常の理を前に一同が言語に絶する感情を覚える中、哀れみとも嘲笑とも取れる蝉たちの鳴き声は鬱蒼と草生した境内に説き語られる八正道(悟りに至るための道)の教説であろうか。
茜は獣道のように踏み固められた跡を頼り、朽ち果てた本堂の方へと歩き始める。慌てて後を追う藤一郎が「危険ですよ」と声をかけようとした矢先、茜が目指しているであろうモノがその目に映り込んだ。
本堂の前まで到着した茜は僅かに残る床の上に転がった黒いボロ布の塊を見つめた。
汚れた衣からはみ出した頭に短い白髪をまばらに生やしたその小さな老人は、仰向けに大の字を描きながら晴天に相対し、閉じた両目の代わりに白い髭に埋もれた口を大きく開けたまま穏やかな顔つきでそこに横たわっていた。一見すると始末に困って遺棄された哀れな無縁仏とも見て取れるが、その腹部が規則的に上下していることからどうやら三途の川はまだ越えていないらしい。
「あなたが酩酊殿ですか?」
茜が呼びかけると老人はパチリと両目を開けた。
「……なんじゃ? 誰ぞまた相談事かの?」
老人はゆっくり上半身を起こしつつ胡坐を組むと、亡者のようにやせ細った手で勢いよく背中をかきはじめた。
「布施は持ってきたか? 何度も言うが食い物じゃぞ。食い物以外の布施は受け取らんからな」
「私は相談にきたのではない。一つ確認したいのだが、ご老人が酩酊殿で間違いないのだな?」
「んん? いかにもその通りじゃが……なんじゃ、お主ら拙僧のありがたい説法を聞きにきたのではないのか?」
退屈そうに大あくびをする酩酊。茜は自分たちが中州国からやってきた旅の者であり、町で面白い僧侶が古寺に住んでいるという話を小耳にはさみ実際に会いにきたのだと告げた。酩酊は興味を欠いた様子で茜の話を聞き流すと、自分の話を聞きたいのならまず何か食い物を持ってくるよう要求する。その不遜な態度に怒りをあらわにする藤一郎。茜はそんな藤一郎を抑えつつ鷹丸に何か食べられるものを買ってくるよう言いつけた。
ほどなくして鷹丸は芳ばしい醤油の匂いを漂わせながら数個の焼き餅を手に寺へと駆け戻る。酩酊は子どもの手の平ほどの焼き餅をペロリと三つたいらげると「それで何の話じゃったかのう?」と、悪びれた様子もなく茜の方へと向き直った。
茜がその素性を問うと酩酊は寺を持たず気ままに諸国を巡る遊行の僧であると語り、仏の導きに従い土地土地の住民の困りごとを聞き、解決の一助となるようありがたい説法を授けているのだと得意そうに語った。その増長した態度と粗野な話しぶりは場にいる多くの者に不快感や不信感といったものを覚えさせたが、歯に衣着せぬ酩酊の態度に妙な好感を抱き始めていた茜は、続けて踊念仏とやらについても尋ねてみた。
踊念仏とは酩酊が考案した念仏の一種であり、唄に合わせて一心に仏を思うことにより多大な功徳を得ることができ、また全身を使って踊ることによって身体に溜まった煩悩を発散させる効果があるという。酩酊は行く先々でこの踊念仏を広めており、それこそが戦乱の無い世の礎となるのだと力説した。
「――世間では太平の世などと言われておるが未だ争いの火種はそこかしこに燻っておる。この世に争いほど無益で罰当たりなものはないぞ。力の無い者は力を持つ者に蹂躙され、勝利の勝鬨が次の争いの狼煙となる。負ければ命を奪われ、勝てば命を狙われ……連綿と繰り返される十悪五逆の狂宴は人の内より仏心を薄め、やがては末法の世の呼び水となってゆくのじゃ」
そこまで言うと酩酊は急に話すのを止め、やがて子どものような無邪気な笑みを浮かべながら再び言葉を続けた。
「拙僧のように徳の高い坊主は死後地獄行きと相場は決まっておるが、往生する前からそんな地獄に身を置きとうはないものじゃ」
得々と語る酩酊に藤一郎は鼻で笑った。
「唄って踊って争いを無くすか。随分と高尚な志だが、爺さん、そいつは所詮絵に描いた餅ってやつだ。坊さんに説教なんてガラじゃねぇが、人が人である以上どうしたって争いごとは無くならねぇんだよ。……気ままに諸国を漫遊しながらご立派な絵空事を物知り顔に並べ立てて布施を要求するような徳の高い僧侶様には死ぬまで分からねぇかもしれねぇがな」
藤一郎の脳裏にはかつての主君である田庭守南条の顔が蘇っていた。
「姫宮、口が過ぎるぞ!」
茜の叱責に藤一郎は「申し訳ありません」と感情のこもらぬ声で答える。酩酊は気分を害した様子もなく再び口を開いた。
「人が人である以上争いは無くならんか、うむ、至言じゃな。姫宮殿とやら、お主の言う通り拙僧の望みは現実味の無い絵空事に違いなかろう。じゃがな、それでも拙僧は本気でこの娑婆に描き出してみたいのじゃよ。誰もが聖人、聖者のような厳格な生き方はできずとも、せめて人間同士がいがみ合うことを捨て、老いも若きも男も女も心豊かに笑って生涯を全うできるような、そんな壮大な絵空事というヤツをのぉ。……どうじゃ? 広い東雲の内にこんな夢見がちな坊主が一人くらいおっても罰は当たらんじゃろうて」
酩酊は多数のシワが刻まれた小さな顔に深い笑みを浮かべると、ハゲた頭をペシペシと二、三度叩いてみせた。
藤一郎はそっぽを向いたまま答えない。鷹丸と茄蔵は中々面白いことを話す爺さんだと頬を緩ます。慈螺は興味なさげに茄蔵の腕の中で眠っている。茜と富士重だけが神妙な面持ちを浮かべたまま、おどけたようにふるまう老僧を見つめていた。
――違うようだな。
茜は心の中で小さくつぶやくと「お昼寝中のところお手間を取らせました」と会釈をしその場を立ち去ろうとした。
「もう良いのか? まだ焼き餅三つ分には足らんと思うがの」
酩酊の言葉に茜は振り返ると「いえ、一升分の話は聞けました」と笑顔で答えた。




