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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第二輯 唄う坊主に踊る公家、刀が誘う夢街道
42/83

序節

 (あかね)たちの活躍により一時の平穏を取り戻した中州国(なかすのくに)。しかし悪僧の残した最後の言葉は一同の胸に深い懸念の杭を打ち残していた。


 それから程なくして茜は母親の祖国である三野国(みののくに)に“怪僧”が現れたことを知ることとなる。父親が止めるのも聞かず藤一郎(とういちろう)(毘沙門)、鷹丸(たかまる)を引き連れて屋敷を後にする茜。瀬川村(せがわむら)に戻った富士重(ふじしげ)たちとも合流し、一行は早くも鳴き始めた蝉の声に送られながら三野守(みののかみ)の屋敷を目指して桜山街道(おうざんかいどう)を南へと向かう。突如現れた怪僧とはやはり導鏡(どうきょう)のことなのだろうか? そして辺境の村落に伝わるツチガミサマの正体とは? 数奇な運命を巡る謎の太刀が物語に新展開を斬り開く。


 ――冒険の舞台を三野国へと移し、茜様ご一行のドタバタ道中劇は尚も続く! 誰かが待ち望んでいた東雲(しののめ)列島冒険譚、その第二幕がついに開演。

 ――そろそろ茄蔵(なすぞう)たちが山から戻ってくる頃だろうか?


 水田に行儀良く整列する稲の子らを眺めていた富士重(ふじしげ)は遠方に見える三降山(さんこうやま)へと目を移した。新緑の衣に覆われた三降山は文月(ふみづき)(七月)の太陽をその身に受けながら深遠な絵画のように富士重の目を引き付ける。


 ――……この山の神様がまさか我が家にいらしたとはな。


 富士重は天狗の陶尽坊(とうじんぼう)から聞いた話を思い出し口元に笑みを浮かべた。


 末弟の茄蔵(なすぞう)は早朝から慈螺(じら)を連れて山へ(しば)()き木を集めに出かけていた。村の中でこそただの猫として暮らしている慈螺だったが、人目の無い山中ではきっと人間に化けて茄蔵の手伝いに精を出していることだろう。


 富士重は三降山へと続く道に人影を探してみたが茄蔵たちの姿を確認することはできなかった。ひょっとすると山菜でも探して山奥まで入っていったのだろうか? 足腰に走る鈍い痛みを黙殺するように思いを巡らせる富士重。その体は朝から行っていた草取りへの不満を忖度(そんたく)すること無く訴え続けていた。


 ――一旦戻って家の仕事を片づけてしまうか……


 このまま草取りを続けていては本格的に腰を痛めてしまいそうだ。富士重はゆっくりと体を伸ばすと家に向かって歩き始めた。



 富士重たちが蔵園(くらぞの)から戻り、もう二月(ふたつき)が経過していた。


 村に帰り着くと長老の小助(こすけ)は兄弟の無事な帰郷に驚きながらも、心からうれしそうに迎え入れてくれた。そして一同の中に鷹丸(たかまる)の姿が無いことや見知らぬ猫を連れていることなど、ありとあらゆる疑問を矢継ぎ早に投げかけてきたが、富士重が「では順を追って……」と旅の顛末(てんまつ)を語ろうとすると、小助は思い出したように兄弟を家の中へと招き入れた。


 訪れた兄弟たちに楽にするよう勧めながら自身も板の間に敷かれた(わら)の円座へと腰を下ろす小助。夕暮れどきに差しかかり寂しく静まり返った屋内は、入り口が東向きにあるせいか妙に薄暗さを感じさせる。富士重たちは素直に勧めを受け入れると、囲炉裏(いろり)を挟んで小助の前へと腰を下ろした。


 前屈気味に座る小助はヘソの下辺りでその筋張った手を重ねると、まぶたの重さに負けながらも辛うじて開いている目で富士重の顔を覗き込んだ。富士重は年老いたその弱々しい姿の裏に不思議な崇高(すうこう)さを感じつつ、やや恐縮しながらも旅の一部始終を語り始めた。


 ところが、話しを始めてすぐに天女の正体が中州守(なかすのかみ)の長女である(あかね)姫であったことを知ると、小助は目を見開いて「あぁ?!」と驚きの声を上げる。富士重は面食らいながらも小助に急かされるまま話を続けた。函嶺峠(はこみねとうげ)で山賊に襲われた話、宿場町で大昔の怨霊を助けた話、悪僧に捕らえられた茜を皆で救出した話、そして仲間たちと力を合わせて悪僧を中州国(なかすのくに)から退けた話……。富士重は話を過剰に脚色することなくありのままを淡々と語り続けていたが、ただ一点、茄蔵の膝の上で丸くなっている慈螺が実は猫又であることだけは伏せ、旅の途中で懐かれた野良猫だと説明しておいた。


 語られる冒険譚は終わることを知らず、夜の訪れを迎えて尚、小助は明かりを付けることすら忘れたように富士重の話に聞き入っていた。


 話が一段落すると富士重は荷物の中から二通の書状を取り出し小助の前へと差し出す。興奮冷めやらぬ小助は思い出したように燭台(しょくだい)に火をともすと、置かれた二通の書状を恐る恐る拾い上げた。そして書面に顔を近づけ舐めるように目を走らせていたかと思うと、やがて震える手で書状を掲げたまま恭しく一礼をし、それを富士重へ返すなり大きな溜め息を吐き出した。


「ワシも長いこと生きてきたが、まったく、この世の中何が起こるか分かったものではないな……これを中州守様から?」


 幾分落ち着きを取り戻した小助は、何べんも自分の顔を撫でまわすと糸のような目を富士重に向けた。


「はい。中州守様に拝謁した際、直々に頂戴いたしました」


「中州守様から直々に……とても信じられんが、確かにこの書状には税務の免除と寿(ことぶき)の名字を授けるとある……」


 つぶやくように語る小助を前に富士重は静かに目を伏せる。


「それで、鷹丸は剣術稽古のため蔵園に残ったということか?」


「はい。姫宮(ひめみや)様のもとで働きながらいずれは刀一本で諸国を渡り歩きたいと申しておりました」


「刀一本で……。ふふふ、やはり(かわず)の子は蛙というわけか。鷹丸らしいわい」


 一人納得するように語る小助。富士重と茄蔵は複雑な表情を浮かべながらも言葉を返すことはなかった。


「……いずれにせよ事が事だけに喜一郎(きいちろう)様にもご報告せねばなるまい」


「今日は日も暮れてしまったため明日の早朝にでも茄蔵と二人でご報告に伺おうと考えております」


「うん、それがよかろう」


 帰郷の報告を終えた富士重たちは留守中に家や田畑を管理してくれていたことに感謝の言葉を述べると、久々の我が家に戻るため暗い夜道を歩き始めた。


 翌朝、富士重たちは改めて帰郷の報告をするべく村の沙汰人(さたにん)(責任者)である喜一郎の家を訪ねた。ところが出てきた使用人が言うにはあいにくと喜一郎は朝食の最中とのことで、帰郷の報告ならば自分がしておくから帰っていいぞと告げられてしまう。富士重は食事が終わるまでここで待つのでぜひ直接ご報告をさせてほしいと食い下がったが、使用人の対応は冷たいものだった。止む無く富士重は二通の書状を使用人に手渡すと、怪訝(けげん)な表情を浮かべる相手に「またうかがいます」と言い残し家を後にした。


 ところが帰路についてしばらくすると、背後から二人を呼ぶ大声が聞こえてくる。


「富士重ぇ! 茄……いや、寿殿ぉ!」


 二人が振り返るとそこには衣服を乱したまま必死の形相で駆け寄ってくる喜一郎の姿が見えた。富士重は慌てて頭を下げると茄蔵もそれに倣う。喜一郎は二人に追いつくなり息も絶え絶えに語り始めた。


「はぁ、はぁ、……さき、先程は、家の者がとんだ無礼をして、しまった。はぁ、はぁ、……どうか許してほしい、はぁ、はぁ……」


 初めて見る喜一郎の取り乱した様子に富士重は何と返答したものかと言葉を失っていた。


「お前たち兄弟が天女を助けて旅に出たと聞いたときには、小助もいよいよ耄碌(もうろく)したかと心配しておったが……そこら辺の事情とこの二通の判物(はんもつ)(書状)について詳しく話を聞かせてくれんか?」


 富士重は一も二も無く了解すると三人は喜一郎の家へと戻っていった。




「……にわかには信じがたいがこの判物に書かれた花押(かおう)(図案化された署名)は紛れもなく中州守様のもの……となれば今聞いたその絵空事のような御伽話(おとぎばなし)も信じぬわけにはいくまい……」


 畳張りの質素な客間の中にあって、富士重から一連の成り行きを説明された喜一郎は腕組みをしたまま考え込んでいた。


「我々にしても未だ狐狸にでも化かされていたような心持でございます」


「ふむ……とはいえこの判物やその砂金は確かに現実のものに相違ない。いずれにせよお前たち兄弟が中州守様とその姫君をお救いしたというのは本当のようだ。富士重、大変な働きだったな。私もこの村の沙汰人として鼻が高いぞ」


 そう言うと喜一郎は珍しく満面の笑みを浮かべた。


勿体(もったい)ないお言葉です……」


 富士重は平伏し、やはり茄蔵もそれに倣う。


 それから喜一郎は中州守の意思に従い、向こう二十年間の年貢課役一切に対する免除を約束すると、もう一度旅の詳細な話を聞かせてくれるよう富士重たちに要求した。


 その日からしばらくの間、娯楽に乏しい村内の話題は富士重たちの偉業に沸き立っていた。農作業に出れば道行く村民に「寿様、寿様」と声をかけられ、夕方になると珍しい冒険譚(ぼうけんたん)を聞かせてもらおうと毎日のように村の衆が富士重の家を訪れていた。そのあまりの頻度に茄蔵と慈螺はやや食傷気味のようであったが、それでも富士重は嫌な顔一つすることなく、連日連夜同じ話を繰り返し村の衆に聞かせたものだった。



「富士兄ぃ!」


 家に近づくと不意に茄蔵の呼ぶ声が聞こえる。振り返ると背に山ほどの芝と焚き木を背負った茄蔵が、両手に雑多な山菜を抱えたまま走り寄ってくる姿が見えた。その後ろには小さなフキの葉をくわえて走る慈螺の姿も確認できる。


「あぁ、戻ったか。ずいぶんと採ってきたな」富士重が笑顔で弟たちを迎えた。


「慈螺と一緒につい夢中になっちまってよぉ」茄蔵も笑って答える。慈螺が得意気にフキの葉を富士重に見せた。


「これならしばらくはおかずに困らなそうだな。どれ、少し腹ごしらえをしたら痛まないうちに山菜を処理してしまうか……」


 富士重は家の戸を引き中に入ろうとした。


「兄貴、茄蔵!」

「よう、久しいな富士坊」

「遅いぞ富士重」


 戸を開けた途端、聞き覚えのある声が次々と富士重に投げかけられる。目に映る三名の人影を前にして富士重は呆けたように口を半開きにしたまま言葉を失っていた。


「……鷹兄ぃ、鷹兄ぃでねぇか! それに毘沙門さんに姫さんまで!」


 立ち尽くす富士重の脇から家の中を覗き込んだ茄蔵は、板の間に茜たちの姿を認めるなり驚きの声を上げた。


「相変わらずだな茄蔵」


 長く美しい髪を後頭部で一つ結びにし、茜色の小袖に(はかま)姿といったまるで少年剣士然とした茜が茄蔵に薄笑いを向ける。脇には剛毛を片わなに結んだ藤一郎と、短髪を無理矢理総髪(そうはつ)にした鷹丸が直垂(ひたたれ)姿も凛々しく座っている。


「鷹丸……ひ、姫様? これは一体、どういう……」


 平伏することも忘れたままたどたどしく声を上げる富士重。すると茜は意味ありげな笑みを満面に浮かべながら富士重に向かって言い放った。


「お前たちには旅の供をしてもらう。反論は認めんぞ。すぐに出立(しゅったつ)の用意をしろ!」

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