終節
導鏡達の失踪から三日が経ち、その日中州守の屋敷に招かれた三兄弟と毘沙門は案内された謁見の間でまるで陶器の置物のように凝り固まったまま拝謁の時を待っていた。
人外でありながらも今回の事件の功労者として慈螺、千代、陶尽坊の三名も屋敷に招かれてはいたのだが人の身ならぬ彼らにとってはさして興味も引かぬ誘いであり、「我ら妖は人の理の外に生ずる者。故にそれがどのような行為であれ人の評価に浴するは不相応である」などというよく分からない文を富士重に書かせ、三名揃って中州守への謁見を辞退していた。
本来であれば守護大名からの招きを辞退するなど許されざる行為ではあったが、相手が人外であり屋敷側もあまり関わり合いを持ちたくないという本音があったため、茜の「別に無理やり呼ぶ必要もなかろう」という声にも押され、人外達の申し入れは何のいさかいもないまま受理されていた。
導鏡たちが消えたあの日、無事に屋敷まで到着した一行は茜が何の妨害もなく中へ迎え入れられたことに胸を撫でおろしていた。とりあえずの役目を終えた一行が漠然と屋敷の様子を伺っていると、門の内側から茜の使いと名乗る侍女が現れ「あの、姫様よりのお言付けで……その……“ご苦労だったな。屋敷と、あの、ど、ド腐れ坊主共のことは私に任せてお前らは指示あるまで宿で安気にしておれ”、とのことです……」と、なぜか恥ずかしそうに言葉を伝える。それを聞いた一行は心底安心した様子で屋敷を後にした。
寿屋へと戻る道すがら不意に千代は鷹丸を呼び止めた。そしてもう心配は無さそうなので自分は先に大蛇川に戻っていると言い残すと、別れの挨拶も覚束ないまま夜の野辺へ溶け込むように姿を消してしまった。
直後に陶尽坊が興味深そうに千代の素性を聞いてきたため、鷹丸は自分の知っている限りを説明してやった。すると陶尽坊は訝しげに顔をしかめたまま「蛇之水分比売神様……?」とつぶやくなり、そのまま黙り込んでしまう。不審に思った鷹丸が何のことかと聞き返すも、陶尽坊は「どういった気まぐれかは知らんが……とんでもない方に気に入られたものだな」と、ただ薄笑いを浮かべるばかりだった。
その後陶尽坊も自分の住処へと帰ってゆき、結局旅籠まで戻ってきたのは三兄弟と毘沙門、そして慈螺ので五名であった。富士重が番頭にもうしばらく宿を借りる旨を伝えると、一同は部屋に入るなりまるで競い合うように畳の上へと横になった。
「お屋形様の御成りにございます」
不意に外から声が聞こえ一同は反射的に身を伏せる。すぐに奥の襖が開き、琥珀色の直垂に烏帽子姿の中州守こと東光寺義景が謁見の間に姿を見せた。
「あー、そう畏まらず面を上げい。お前達は余とこの国の恩人なのだからな」
そう言いながら高座を歩く義景の後には落ち着いた色合いの袿に身を包んだ千鶴と茜が続いていた。
急遽集められた僧侶たちによる不休の加持祈祷が功を奏し、導鏡の呪いは徐々にその力を失いつつあった。義景の病は完全に治まったわけではなかったが、それでも日常生活に支障が出ない程度には体調も回復したようだった。
義景は着座するなり「此度の一件、誠に大儀であったな。改めて礼を言うぞ」と満面の笑みを浮かべながら言った。
「身に余るお言葉、恐縮にございます」
平伏したまま押し黙る一同の中、毘沙門が毅然と答える。
「全く余の人を見る目もあてにならんな……夫婦揃ってまんまと騙された挙句、まだ年端もいかぬこんな跳ねっ返り娘に助けられるとは……のう?」
そう言って義景は千鶴の方へと顔を向けると妻は何も言わず顔を伏せた。そばに控える茜の顔に僅かな笑みが浮かぶ。
「恐れながら申し上げます。あの導鏡なる者は類稀な妖術を用いて国家転覆を目論む怪僧にございます。そのため人心に付け入る術にも相当長けておったと考えられます。中州守様やお家の方々が騙されてしまったのも致し方ないことかと」
「うむ……」
義景は押し黙ったまま毘沙門を見つめていたが、やがて今までよりやや低い口調で語りかけた。
「……その方が毘沙門だな?」
「ははっ!」
「茜から聞いておるぞ。何でも田庭国の南条殿に仕えていたとか? 名は何と申す?」
「姫宮藤一郎と申します」
「南条殿とは都で何度かお会いしたことがある。人当たりの良い温和な方であった……あのような名君を失ったお主の心中、察するに余りある……」
毘沙門は小さく「はっ!」と答えるに留まる。
「……以前酒の席で“今こうしている間に我が国の者たちが総出で田庭国に攻めこんでいったらどういたす?“と冗談半分で南条殿に聞いたことがあったが、"国元では毘沙門天の如き猛将が留守を預かっているゆえ、多数の家臣を失わせてしまう中州守殿にどう詫びるかを考えなければなりませんな”と、笑って話しておられたことがあったが……あれは其方のことではないのか?」
毘沙門はすぐには答えなかった。やがて肩を震わせながら両手に拳を握りしめ「……お屋形様」と、呻くようにつぶやいた。
「南条殿の評価といい此度の活躍といい、其方のような英傑を野に置いておくには惜しい。どうだ、今日からは我が家に仕え、其方の家臣共々中州国のために力を貸してくれんか?」
義景の言葉に毘沙門は驚きのあまり上げかけた頭を慌てて伏せ、ずびずびと鼻をすすらせた後に「身に余る光栄……謹んでお受けいたします!」と答えた。
義景は満足そうにうなずくと、毘沙門の後ろに控える三兄弟に目をやった。
「それでは……富士重、鷹丸、茄蔵の三兄弟」
「はっ!」「ははっ!」「へいっ!」
突然名を呼ばれ三人は肝を冷やしながらも声を絞り出した。
「百姓の身でありながらよくぞ姫を守り導鏡の野心を挫いてくれた。守護大名としてだけではなく一人の親としても心から礼を言うぞ」
「はっ! 我らごときにもったいないお言葉、きょ、恐悦でございます」
心臓を掴まれるような緊張感の中、たどたどしくも兄弟を代表して答える富士重。茜はその様子を優しげな眼差しで見つめていた。
◇
中州守との謁見から一夜が明け、三兄弟と慈螺は蔵園の町外れにいた。
「ここでお別れだな、鷹丸」
富士重は名残惜しそうに鷹丸を眺めた。
「兄貴達も道中気を付けてな。……あ、大蛇川に着いたらお千代さんによくお礼を言っといてくれよ。あと、暇が取れたら必ず会いにいくって伝えてくれ」
鷹丸が照れ臭そうに答える。
昨日の謁見の際三兄弟はその功績を中州守から称えられ、百姓ながら“寿”の名字を名乗ることを許されると共に向こう二十年間の年貢課役の一切に対する免状、さらには多量の砂金を下賜されていた。
謁見が終わり、想像以上の褒賞に目を回しながら兄弟たちが屋敷を去ろうとすると、慌てて駆け寄ってきた毘沙門に門の前で呼び止められた。聞けば蔵園に残って自分の家臣に加わらないかとの誘いだった。
富士重と茄蔵が武士よりも百姓のほうが性に合っていると丁寧に誘いを断った横で、鷹丸だけは今一つハッキリしない様子で返事を濁していた。訳を聞く毘沙門に鷹丸は自身の夢を打ち明け、今回の騒動で自分の力不足を痛感したこと、それでも刀一本で諸国を渡り歩く夢は捨てきれないことを語った。すると毘沙門は笑いながらも「百姓ながら大した夢だ! 鷹坊、やっぱりお前は見込み通りの野郎だな。いや、若いうちはそうじゃなくちゃいけねぇ!」と絶賛した。その上で「剣の腕を上げたいのなら俺が直々に鍛えてやるからここに残れ。なぁに、仕事と住む場所も俺が見繕ってやらぁ!」と気前よく鷹丸に告げる。毘沙門の実力を知る鷹丸はそれは願っても無い話だと喜び、一も二も無くその提案を受け入れた。
「もう山賊ではないのだ、姫宮様に失礼の無いようにな」
「分かってるって」
「……函嶺無頼衆の方々とも仲良くするんだぞ」
「兄貴……自分で“山賊ではない”とか言ったそばからそれかよ……」
「あぁそうだったな」
富士重と鷹丸は笑いあった。
「鷹兄ぃ、たまには家にも顔出してくれよ」
慈螺を抱いた茄蔵が寂しそうに言った。
「心配すんな茄蔵、それより俺がいない分まで家のこと頼んだからな」
「私もお手伝いするので鷹丸が居なくても平気です」
慈螺が茄蔵の胸元から声を上げた。鷹丸はその言い方に癇を刺激されながらも、すぐにいやらしい笑顔を浮かべ「茄蔵、そんだけ仲がいいんだ、いっそのこと慈螺と祝言をあげちまったらどうだ?」と、面白半分に茶化した。
「あぁ? そんなこたできねぇよ」
驚いたように茄蔵が答える。慈螺も口を半開きにしながら呆然としているようだ。すると富士重が呆れたように口を挟んだ。
「そうだぞ鷹丸。いくら仲が良いからといって人間と妖怪が婚姻を結ぶなど――」
「男同士で結婚するなんて、おらぁ聞いたこたぁねぇよ」
「……男同士?」
富士重は横を向くなり慈螺の顔を見つめた。慈螺は戸惑うように茄蔵を見上げると再び視線を富士重に戻した。
「え?……私、オスですけど……?」
「オスっ?!」
鷹丸は素頓狂な声を上げて硬直した。富士重も奇妙に顔をしかめたまま絶句している。
「あれぇ? 兄貴達、慈螺がオスって知らなかったんかぁ? ちゃんとチンチンついてるでねぇか。ホレ」
そう言うと茄蔵は慈螺の上半身を掴んでヒョイっと持ち上げた。慈螺は宙吊り状態になりながら恥ずかしそうに顔を背ける。
厳然とした事実を突き付けられながらも富士重と鷹丸は言葉を失ったままだった。
「なんだぁ、本当に知らなかったのかぁ。兄貴達も結構抜けてるなぁ。あははははは」
柔らかな春風と共に茄蔵の笑い声が街道を吹き抜ける。その屈託の無い様子にやがて富士重と鷹丸もつられたように笑顔を浮かべる。
帰郷を前にして茜に最後の挨拶ができなかったことが心残りではあったが、元々が一国の姫君と辺境に暮らす百姓だ。今までが特別であっただけでそもそも軽々しく言葉を交わせる間柄ではない。――もう会うことも無いだろう。そう考えながらも一時の苦楽を共にした妹の勝気な笑顔は、富士重の脳裏から容易には離れてくれそうになかった。
それにしてもあの日以来忽然と姿を消してしまった導鏡と円海はどこへ行ってしまったのだろうか? 結局真に導鏡の手先と呼べる者は円海だけだったようで、家中の者は皆あの悪僧によっていいように踊らされていたようだった。茜の帰郷と義景の全快により東光寺家は一応の平穏を取り戻してはいたが、それでも導鏡が言っていた“下準備はほぼ完了している”という言葉が兄弟達の心に淡い影を落とす。導鏡の本当の目的は何だったのか? 本人が去った今それを知る術は薄そうだが、“最後の一押しは機を改めて”という言葉を信じるならば導鏡は再び災いを振りまくためこの地に舞い戻るつもりなのだろう。
様々な思いを抱えながら兄弟は故郷へと続く街道を見つめる。延々と伸びる道の脇には辺りを埋めつくすほどに生い茂るヒメオドリコソウが無数の小さな花弁を覗かせながら静かに揺れていた。




