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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第三十九節.動乱の足音

 陶尽坊は茜のそばに下り立つと、怪訝な表情で千代を一瞥したのち道の先に立つ導鏡を見つめた。


「名も知らぬ霊魂よ、なぜ鷹丸に憑いているのかは知らんがとにかく礼を言うぞ。――しかし異形の兵といい今の術といい、あやつの力は一体……?」


「海の向こう側で~使われてる~妖術ですよ~」


「海の向こう?」


 陶尽坊が再び千代に視線を移す。そこへ鷹丸が興味深そうな様子で問いかけた。


「海? 海って、あの、しょっぱい水がバカみたいに広がってるとかいう、あれか?」


 海というモノについては鷹丸も耳にしたことがあった。しかし山育ちの身としてはおよそ見当もつかぬその神秘的な存在に、いつしか"海”という言葉自体が魅惑的な色合いを帯びて鷹丸の心に強く刻まれていた。


「その海です~。鷹丸さんよくご存じですね~。その広~い、ひろ~い海の先には~鷹丸さん達とは~違う人達が暮らす国が~たくさんあるんですよ~」


「俺達とは違う人達が暮らす国? 中州国よりも大きいのか……?」


「国の大きさも~人の数も~ぜ~んぜん比較にならないですね~。あのお坊さんが~使っているのは~そんな異国で使われている~不思議な術だと思うんです~」


「海の向こうの……異国で使われてる不思議な術……」


 鷹丸は茜に放たれた雷撃に怒りを覚えつつも、同時に好奇心を刺激された子供のような目で導鏡を見つめていた。


「そんな遠方の妖術をあの方はどうやって身に付けたのでしょうか?」


 富士重が不思議そうに問いかける。


「さぁ~? それは私にも~分かりません~」


 一行が導鏡の妖術について論じ合っている中、当の導鏡は自身の術を防がれたことに動じる気配もなく、むしろ物珍しげな様子で千代の姿を眺めていた。


「天狗の他に幽霊まで従えているとは。――ふふふ、姫様のはねかえりぶりも大したものだな」 


「お気を付けください阿闍梨(あじゃり)様、あの浮遊霊、ただの幽霊ではないようです。先刻も不動尊の火界咒(かかいじゅ)が打ち消されてしまいました」


「……なるほど、確かにただの物の怪ではなさそうだな。さて、どうしたものかな……」


 悩むような口ぶりを見せながらも導鏡は不気味な笑みを浮かべる。その視線はすでに千代から外れ、骸骨達を相手に孤軍奮闘する毘沙門へと移されていた。


 見慣れぬ形状の剣とその太刀筋に翻弄されながらも毘沙門は一歩も引くことなく戦線を維持していた。実力の上では毘沙門が(まさ)っているようではあったが、骸骨達の巧みな連携と数の優位を生かした波浪のような猛攻になかなか攻めきれずにいる様子であった。


「化け物ながら大したもんだぜ……お前らの削りカスでもあいつらに飲ませてやりてぇな!」


 額に浮かぶ汗をそのままに荒い呼吸を整えながら毘沙門が言う。突き出した段平で雄々しく相手を牽制しながらもその顔には疲労の色が見て取れる。


 一体の骸骨が剣を振りかぶった矢先、毘沙門と骸骨達の間に小さなつむじ風が立ち上がる。警戒した毘沙門が咄嗟に後ずさると、つむじ風は見る見るうちに回転を早めてゆき、やがて小さいながらも暴風逆巻く竜巻へと変容していく。


 ――坊主の妖術か?!


 毘沙門は両腕で顔を守ると強烈な風に吹き飛ばされぬよう腰を落としてその場に踏ん張った。ところが小さな竜巻は毘沙門とは反対の方向へゆっくりと動き出し、手前にいた一体の骸骨を巻き込んだかと思うと猛烈な勢いで武家屋敷の塀へと叩きつける。困惑しながらも顔を庇いながら竜巻の動向を見つめる毘沙門。竜巻は尚も勢いを増しながら後方に控える骸骨達に向かって前進していく。


 しかし次の瞬間、竜巻の向こう側に宙を這う蛇のような姿が映り込む。わずかに見えたその姿は幽霊のように不鮮明な輪郭を持つ薄衣を纏った少女のようだった。


 ――娘の幽霊? 今度はなんだ?


 毘沙門が見つめる中、少女の幻影は自ら暴風の中に飛び込んだかと思うと、竜巻は瞬く間に空へと霧散してしまう。目の前で起きた事象に誰もが声を失う中、僅かな沈黙を破り導鏡が声を上げる。


「天狗殿、他人の戦いに水を差すのは感心しませんな」


 意味ありげな薄笑いを浮かべる導鏡。陶尽坊は両手に結んだ印を解きながら憎らしげに導鏡を睨んだ。


 そんな二人のやり取りなど気にも留めず、今こそ好機とばかりに毘沙門は二体の骸骨に向かって駆け出していた。塀に叩きつけられた骸骨は人型を為さぬまま地面へ散らばり動く様子は無い。毘沙門は立ち尽くす骸骨の一体を狙い鉄塊のような段平を振り下ろした。


 抵抗する間もなく頭蓋骨を砕かれた骸骨はまるで通していた糸を斬られたかのようにバラバラと崩れ落ちていった。刹那、毘沙門の目が左に走る。一体だけ残された骸骨は目の前で仲間が倒されたことに動じる素振りも見せず静かに立ち尽くしていた。息つく暇もなく毘沙門は最後の一体に向かって走り出す。が、なぜか意思とは裏腹に体が思うように動かない。


「なっ……?!」


 困惑する毘沙門の視線は自然と導鏡へと流れる。目に映ったのは悠然と立つ導鏡の傍らで片合唱をしながら毘沙門を見つめる円海の姿だった。


 ――今度はテメェかよ!


 心中で毒づきながらも毘沙門はたどたどしく武器を握り直す。導鏡が発した短い言葉を契機に骸骨は再び動き出すと、両手に握った諸刃の剣を毘沙門へと振り下ろした。


「クソがっ!」


 辛うじて段平の背で一撃を受け流した毘沙門だったが、相手の勢いに押されその場に転倒してしまう。慌てて飛び起きようにも体が言うことを聞かない。見上げれば骸骨が死神を思わせる様相で剣を振り上げている。倒れた拍子に段平を落としてしまったらしく、毘沙門の右手は握るべき柄も無いまま拳を握りしめた。


「うあぁぁっ!」


 野太い絶叫と共に毘沙門の上を巨体が駆け抜ける。突如現れた茄蔵は骸骨に強烈な体当たりを食らわせると、そのまま猛牛のような勢いで寺の塀へと激突していた。鈍い衝突音が周囲に響き、白い漆喰に亀裂が走る。


 壁に圧し掛かかったまま身動き一つ見せない茄蔵を毘沙門たちは固唾を呑んで見守った。


 ややあって一同の耳に地鳴りのような唸り声が聞こえ始めた矢先、塀に接していた茄蔵の体は弾かれるように押し返されてしまう。拘束を逃れた骸骨はよろめく茄蔵に迫り寄ると自分の優位を誇示するかのように雄々しく剣を構えた。


「てんっ、ちゅぅぁぁっ!」


 控えていた鷹丸が猛然と骸骨に飛びかかる。大声と共に振り抜かれた大折檻は相手の腰椎を強打し、長身の骸骨は体勢を崩しながらその上半身を大きく沈ませた。


「ふんっ!」


 機に乗じて茄蔵がこん棒を振り下ろす。地を穿つ槌のような一撃は庇おうとする骸骨の両腕を巻き込みながら異形の頭骨を砕き、肋骨を粉砕した。人型を為していた骨組みは次々と崩れ落ち、茄蔵の足元には白骨の山が積み上がった。


 鷹丸は肩で息をする茄蔵を見た。視線に気付いた茄蔵が鷹丸を見る。二人の顔には自然と笑みが浮かんでいた。


「よっしゃぁ!」「でかしたぞお前たち!」


 毘沙門と茜が同時に歓声を上げる。鷹丸と茄蔵は茜たちの方へと顔を向けた。興奮のあまり駆け寄ろうとする茜を懸命に止めている富士重が見える。慈螺も茜の足にしがみ付きながら必死に自制を訴えているようだ。


「後ろだ!」不意に陶尽坊が叫んだ。


 鷹丸が振り返ると右手をかざす導鏡の姿が見える。鷹丸は慌てて大折檻を構えた。


 火の(くすぶ)るような音と共に突如空中に現れた小さな火の玉は、柔らかな光を放ちながら鷹丸達のそばで煌々(こうこう)と燃え盛っていた。


 ――な、何だ? 人魂か……?


 呆気にとられる鷹丸の前で火球は急激に膨張する。鷹丸の視界は白く塗りつぶされた。


 巨人の咆哮を思わせる爆音が轟き、道を挟む漆喰塗りの塀が高温に焼け焦げながら砕け飛ぶ。爆ぜた火球は熱と衝撃波によって半径三間(約5.4メートル)程を無慈悲に破壊していた。


 目の前で起きた突然の爆発に茜たちは言葉を失い立ち尽くす。現状に理解が追いつかないまま漫然と見つめるその先に、僅かに透けた姿で爆心地に佇む娘の姿が見えた。立っていたのは千代だった。


「っげほっ、げほっ……!」


 千代の後方で仰向けに倒れていた鷹丸が(せき)こみながら体を起こした。脇に倒れていた茄蔵も上体を持ち上げながら驚いたように周囲を見回している。二人はいつの間にか倒れていたことに戸惑いながらも、自分の体が川にでも落ちたかのようにずぶ濡れになっていることに気付き驚きの声を上げた。


「お前たち!」


 鷹丸達の無事な姿に茜が歓声を上げる。それと同時にやはりずぶ濡れになったまま倒れていた毘沙門が「どうなってんだこりゃ?!」と大声で叫んだ。


 安堵に沸く茜達を余所に導鏡は目を細めながら千代を見つめていた。


「それだけの水量をこの一瞬で……いやはや驚きました。本当にあなたは何者なのでしょうか?」


 千代は答えぬまま凍てつくような視線を導鏡に向ける。


「……そうですか、まぁ良いでしょう。残念ですが致し方ありません。――円海、ここは一旦退きますよ」


 そう言うと導鏡は千代に背を向けた。横に控える円海が驚いたように導鏡を見る。


「阿闍梨様! ここまできて手を引くのは余りにも……!」


「なに、下準備はほぼ完了しています。最後の一押しは機を改めて行いましょう」


 何事も無く立ち去ろうとする導鏡。それを見た茜は声を張り上げた。


「逃げられると思うてか導鏡! お前たち、あの破戒僧共を殺さぬ程度にぶち殺してやれ!」


 茜の声に押されるように鷹丸たち三人は立ち上がると、去り際の導鏡に向かって駆け出した。


「駄目ですよ~。あのお坊さんには~近付けませんよ~」


 導鏡の後姿を見つめながら千代がつぶやく。鷹丸と茄蔵は咄嗟に足を止めて千代を見た。


「っでっ!」


 先を走っていた毘沙門が鈍い衝突音と共に奇声を漏らす。


「な、何だこりゃ?」


 毘沙門は左手で額を覆いながら驚いたように段平の柄で空中を叩いた。すると柄頭(つかがしら)が見えない何かにぶつかり「ゴン、ゴン」と鈍い音を発している。


「あの二人~、強力な力に~守られてるんです~。……残念ですが~今はどうしようも~ありません~」


 千代の言葉を聞きながら三人は力無く導鏡たちを見つめる。すると導鏡が立ち止まり僅かに顔を後ろに向けた。


「ふふふ、姫様に"あまりお転婆が過ぎますといずれ大やけどをなさりますぞ”と、お伝えください。では我々はこれにて。……またあなた方とお会いできる日を楽しみにしておりますよ」


 導鏡と円海は悠然とその場をあとにすると薄暗い道の先へと消えていった。


「何をしている! さっさと追わんか!」


 背後からひっきりなしに茜の(げき)が飛ぶ。鷹丸たちは富士重たちのもとに戻ると、興奮する茜をなだめながら事態の一部始終を説明した。




「えぇい、あの似非(えせ)坊主め! 何が"大やけど”だ馬鹿にしおって!」


「しかしなぜあやつらは退いたのだ? それほど強力な守護があるならば退かずともやりようがありそうなものだが」 


 未だ昂り続ける茜を冷ややかに見つつ陶尽坊はつぶやいた。


「そうですね~、あのお坊さんも~まだまだ~力を隠していたように~見られました~。でも~あれだけ強力な守護術には~大きな代償が~必要だと思うんですよ~。よく分からないですけど~――」


「いや、そんなことよりも今は屋敷だ! 手遅れになる前に父上と母上のもとへ戻らねば……近道を使うぞ、ついてこい!」


 会話を断ち切り茜は駆け出した。有無を言わさぬ茜の行動に戸惑いながらも、一行は彼女を追って暗い雑木林の方へと走っていった。

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