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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第三十七節.高僧

「姫様!」


 格子越しに慈螺が叫ぶ。すると牢の奥に横たわっていた影がモゾモゾと動きだし、這うように畳を擦りながら格子戸の前まで近寄ってきた。


「……慈螺か? なんだ、随分と早かったな」


「翠扇様、ご無事ですか?」富士重も顔を覗かせる。


「富士重も一緒か。……寺にいる連中はどうした?」


「はぁ、少々手荒に対処させていただきましたが……大丈夫です、命までは奪っておりません。今、錠を外しますので……」


「どいてろ富士坊」


 錠前の処置に手間取る富士重の背後から毘沙門が姿を現す。茜は驚きの声を上げた。


「お前……毘沙門か? なぜここに……おい富士重、これはどういことだ?」


「詳しい話は後ほどお伝えいたしますので……」


 毘沙門は段平の柄で何度も錠前を殴打していたがどうにも壊れないと分かるなり、最終的には戸に付いていた金具の方を破壊してどうにか錠を外すことに成功した。


「よっしゃ! さぁ、姫様!」


 毘沙門が牢屋の戸を開けると茜は戸惑いながらも牢の外へと姿を現した。すぐに鷹丸と茄蔵が近寄り茜の無事を喜んだ。


「翠扇様!」「姫さん!」


 二人の変わらぬ姿を目の当たりにして茜の顔も自然とほころぶ。しかしその直後、鷹丸の背後に不気味な人影を認めた茜は、血の気の引いた顔にひきつるような表情を浮かべながら声を荒げた。


「た、鷹丸! ……お、お前、かた、肩に何か憑いてるぞ?!」


 鷹丸が怪訝な面持ちで顔を横に向けると背中にしがみ付いていた千代が肩越しに顔を覗かせている。


「あぁ、幽霊のお千代さんですよ」


「幽霊?! な、何で幽霊が、いや、大丈夫なのかお前?!」


「翠扇様、詳しい話は後ほど。今は一刻も早く屋敷に向かいましょう」


「富士重、お前正気か?! お前の弟に幽霊が憑いて……なんでお前ら平然としておるのだ?!」


 混乱のあまり牢の中へと戻ってしまった茜に富士重はやむなくこれまでの経緯を説明した。




 話を聞き終わった後も茜は腑に落ちぬ様子で千代を観察していたが、兎にも角にも時間が惜しいと富士重に急かされるまま一行は座敷牢を離れ庫裡の外へと駆け出した。


 薄暗い境内には先程打ち倒した武士達が未だに這いつくばったまま呻いている。先ほどより数か少ないところを見ると何人かは自力で屋敷へと戻ったのだろうか? だが幸いなことにまだ増援の姿は見当たらない。余計な邪魔が入らぬうちに急いで千鶴のもとへ向かおうと一行はそのまま寺の門へと走った。


 先陣を切って門を抜けると勢い良く通りに飛び出す鷹丸。そのまま屋敷へと繋がる四つ辻に向かって駆け出した直後、茜は慌てて声を上げた。


「待て鷹丸! そっちじゃない、こっちに近道がある」


 門の外へ消えた鷹丸を必死に追う茜。戻ってこないところを見ると声が届かなかったのだろうか? 鷹丸の健脚に軽く毒づきながらもどうにか門まで辿たどり着くと、通りに出たすぐの所で鷹丸は立ち尽くしていた。


「はぁはぁ……聞こえたなら、戻ってこんか!」


 追いついた茜が息を切らせながら不満を漏らす。鷹丸は険しい顔で正面を見据えたまま答えない。


「どうした鷹丸?」


 不審に思った茜は鷹丸が見つめる道の先に目を向ける。そこには通りを塞ぐように立つ円海の姿があった。


「……尻尾を巻いて逃げたんじゃなかったのか? 円海」


 漆喰塀に挟まれた道に鷹丸の皮肉が響く。円海は幾分不快そうな表情を見せたが、すぐに道の脇へと身を移すとその場で恭しく頭を下げた。やがて道の奥から紫色の僧衣に身を包んだ男が歩み出るが、その男を見るなり茜の表情が見る見る強張ってゆく。男は独り言のようにつぶやいた。

 

「やれやれ、あれほど大人しくしていてくださいとお願い申し上げましたのに……やはり手間を惜しまずもう一度術を施しておくべきでしたな」


「導鏡……! 貴様、よくもあんな場所に閉じ込めてくれたな!」


 僅かに笑みを含むその顔は肌に幾分の衰えは感じさせるものの年齢とは不釣り合いなほど若々しく保たれている。それでも全身から感じ取れる円熟とした雰囲気とその貫禄は、長年にわたる修行とそこで培われた智慧(ちえ)によるものなのだろうか?


 ――導鏡……この男が……


 茜の言葉に富士重はまじまじと導鏡を見つめた。そのトゲの無い穏やかな顔立ちと悠然とした所作は見る者に友愛の情と無条件の安心感を抱かせる。同時にその身に掛かる蓮華と唐草で彩られた荘厳な七条袈裟が導鏡の僧侶としての徳の高さを雄弁に物語っていた。"このような高僧が一国の領主に仇を為す(はかりごと)を弄するとは到底思えない”。それが初めて見た導鏡に対する富士重の第一印象ではあったが、とはいえ実際に茜が受けてきた処遇を目の当たりにしてきた以上、今更"やはり姫君の心得違いでは?”と話を濁すつもりもなかった。


「姫様、どうか寺にお戻りいただけませんか? これ以上やんちゃが過ぎますと私だけでなくお屋形様や御前様にまでご迷惑が及びます。それは姫様としても望むことでは――」


「黙れ造反坊主が! 貴様の悪だくみは全て承知済みだと言ったであろう! この上まだシラを切るとはどこまでも厚顔無恥な奴め!」


「……やれやれ、どうやら一度は追い出した心中の魔物が再び舞い戻って姫様の精神を蝕んでいるご様子。このままではとてもお屋敷にお連れするわけにはまいりませんな」


「まだ言うか! そのようなデタラメで私を追放した挙句、あれだけ厚遇を受けてきた父上に大病の呪詛をかけ、それを口実に百重山の鬼と一戦交えるよう母上をたばかるなど正気の沙汰ではない! 貴様は東光寺の家を潰すつもりか?!」


 茜の語勢は勢いを増しながら容赦なく導鏡を糾弾する。


「かくなる上は屋敷に戻り貴様の所業を全て暴露し、二度と悪だくみができぬようその素っ首を叩き落としてくれるわ!」


 導鏡は動じる様子も無く茜を見つめていたが、やがて軽いため息を漏らすとさも困ったような顔つきで口を開いた。


「いやはや、妄言もそこまでいくと春眠を誘うおとぎ話としても通用しそうですな」


「ならばお前はそこで眠っておれ。処刑の時間になったら起こしてやるわ」


 茜は一行を振り返り「行くぞ」と短く言うと導鏡の方へと歩き始めた。


「……しかし今は中州国の一大事。たとえ僅かでもそのような無駄話で御前様のお心を乱すわけにはまいりません。……不本意ではありますが、姫様には無理にでも寺に戻っていただきましょうか」


 茜は足を止めた。


「気は確かか導鏡? お前ら二人で我らを止めるとでも言うのか?」


「如何にも。……と、言いたいところですが私は荒事が苦手です」


 そう言うなり導鏡は懐から小さな袋を取り出すと、その中から乳白色の塊を三つほど取り出し石畳の上へと無造作に放り投げた。


「……何のつもりだ?」


 返答が無いことを承知しながらも茜は問いかける。やはり導鏡は何も答えなかった。


 導鏡は小声で何かを口走りつつ右手の握りこぶしを顔に近づけた。その指には見慣れない金属製の輪がはめられているように見える。微かに聞こえる節調(せつちょう)立った声音は誦経にも似た響きを感じさせたが、どうも経文の暗誦とは(おもむき)が異なる。


 ――まさか、呪法の類か?


 茜達の懸念に呼応するかのように地面に撒かれた塊はカタカタと震えながら妖気を放ち始めた。やがて塊は飴細工のように自在に形を変えながらその質量を増してゆき、間もなく剣を携えた六尺(約1.8メートル)を超すような人間の骨格を形作る。人間? いや、それは骨格こそ人間に酷似していたが頭骨だけは人とは異なり、まるで馬や牛のように長く突き出した鼻先を持つ異形の形状を成していた。


「その娘を捕らえなさい」


 導鏡の命令と同時に骸骨の一体が恐ろしい速さで茜に掴みかかった。


「あっ!……」


 訳も分からぬうちに右腕を掴まれる茜。慌てて鷹丸と毘沙門が駆け寄るも茜を人質に取られた状況に為す術も無く立ち尽くす。その様子を見ていた導鏡は満足そうな笑みを浮かべた。


 ――こいつ……陰陽師(おんみょうじ)連中が操る式神というヤツか? いやしかし、それならば式を封じた札が必要となるはずだ……ならばこの化け物は一体……?


 茜は当惑しながらも相手の手を振り払おうと力一杯抗った。しかし白骨だけで組み上げられたこの化け物はその見た目からは想像もできないほどの屈強さを秘めており、茜がどれだけ暴れようとも据物のように固定された手はピクリとも揺らぐ気配が無い。


「姫様をこちらに。――他の者達は始末してしまいなさい」


 その声を受け茜を捕らえた骸骨が獲物を引きずるように後退を始めると、控えていた二体の骸骨がゆっくりと(こうべ)を持ち上げ諸刃の剣を構えた。


「畜生がっ! 大失態だな、オイ」


 連れ去られる茜を見つめながら毘沙門が苛立たしげにつぶやく。


「どうするオッサン?」


「どうするって、オメェ……姫様を助ける以外に何があんだよ?」


「いや、そりゃそうなんだけどよ!」


 言動から察するに導鏡に茜を傷付けるつもりは無いのだろう。とはいえそれも確証があるわけではなく、ふとした拍子で茜に危害を加える危険性もある。


 茜を連れ去ろうとする骸骨に二人が手を出しかねているその時、急に空から突風が起こったかと思うと風は音を立てながら茜と骸骨の間を吹き抜けていった。すると突然茜を引きずっていた骸骨の体が大きく後方によろける。見れば骸骨の左腕は肘関節から先を失っており、分断された前腕は茜の腕を掴んだまま力無くぶら下がっていた。


 前腕を失った骸骨は驚く様子も無く再び茜に近付こうとするが、次の瞬間鈍い衝突音と共に大きく弾き飛ばされ、そばにいた別の骸骨を巻き込んでその場へと崩れ落ちた。


 導鏡の顔から笑みが消え、その視線は夕暮れの空へと向けられる。


 茜は咄嗟に骸骨の前腕を払い捨て一行のもとへと駆け戻った。すぐに鷹丸と毘沙門が茜を隠すように立ち塞がるも、お互い全く状況が飲み込めない。


「……鷹坊、オメェ……何かしたのか?」


「し、しねぇよ! 何なんだ一体……? あ! お千代さんが助けてくれたのか?!」


「いえ~、私じゃないですよ~。上にいる方が~助けてくれたみたいですね~」


「上?」


 鷹丸が空を見上げると、そこには優雅に白翼を羽ばたかせる陶尽坊の姿があった。陶尽坊は腕組みをしながら導鏡を見つめ、導鏡もまた陶尽坊を見つめていた。


「……飯綱(いづな)の法ですか……なるほど、最近寺の周りを嗅ぎまわっていたのはあなたですね」


 導鏡は空に浮かぶ陶尽坊に語りかけると再び穏やかな笑みを浮かべた。

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