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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第三十四節.函嶺の君

「見つけたぞ富士重」


 見慣れた仏頂面で声をかける陶尽坊。沙雪と思われる人影を背後に伴い悠然と歩き来るその姿を見ながら、富士重は驚きと共に声を漏らした。


「……毘沙門殿……?」


「おう、元気か富士坊!」


 沙雪とは似ても似つかぬその男は、右手の段平を振り上げながら函嶺峠で別れたときと同じ姿のままで富士重に笑いかけた。


「どうしてここに?」「毘沙門のおっさん?!」「こらたまげたなぁ」「熊オヤジ……」


 一同が困惑した面持ちで眺めていると、陶尽坊は苦々しい表情を浮かべながら口を開いた。


「全く、余計なことをしてくれたものだ……」


 陶尽坊が言うには、富士重たちと別れてからすぐに配下の烏天狗二名に命じて函嶺峠へ沙雪を迎えに向かわせたのだが、案の定沙雪は到着した烏天狗たちを見るなり勢い争う姿勢を示し、事情を説明する声に耳を貸すことはなかったそうだ。そこで間に入った毘沙門に富士重からの言付(ことづ)けを伝えると、沙雪は随分と驚き「姫様とお屋敷に一体何が」と幾分狼狽(ろうばい)していた様子だったが、思案の末に心を決めたらしく烏天狗達と共に蔵園へ帰ることに同意したそうだ。


 やれやれと烏天狗達が胸を撫で下ろしたのもつかの間、沙雪を庇うようにして立っていた毘沙門が突然口を開き、「どうもお前らの言うことは素直に信用できねぇ!」と言ってまだ傷の癒えない沙雪を渡そうとはしない。「あまり拒むようなら力づくで連れてこい」と陶尽坊から内々に指示されていた烏天狗達は止む無く実力行使に訴え毘沙門を排除しようとするのだが、有う事か返り討ちにあってしまったようだった。


「まさか剣術で我が眷属を圧倒するとはな……お前、一体何者だ?」


 陶尽坊が呆れたように毘沙門に目を向ける。毘沙門は得意そうに「フン」と鼻を鳴らした。その様子を気にすることもなく陶尽坊は更に話を続ける。


 降参した烏天狗達は毘沙門に非礼を詫びると、それでも何とか沙雪に同行してもらえるよう懇願したそうだ。毘沙門は相変わらず「信用できん」と首を縦に振ることはなかったが、烏天狗達の必死の訴えを信じた沙雪を止めることもできず、それならばまずは自分が蔵園に赴いてこの目で事実を確認してきましょうと言い出した。


 もちろん烏天狗達は難色を示したが、頑として譲らない毘沙門の主張を崩すこともできず、とうとうこの熊のような大男を連れて一旦蔵園まで戻る羽目になったとのことだった。


「――と、いうわけだ。あとはお前に任せたぞ」


 話しを終えると陶尽坊は腕組みをしながらそばにあった小楢(コナラ)の木へと寄り掛かった。


「お前がいるってことはあの天狗共の話は本当だったようだな」


 毘沙門はばつが悪そうに後頭部を掻きながら富士重に言った。


「ええ。しかし、まさか毘沙門殿がいらっしゃるとは驚きました……それで沙雪様の容体はいかがですか?」


「大分良くなった。それでも一人で歩けるようになるにはまだ時間が必要だろうな」


「そうですか……」


「すまねぇな。妖怪共の言葉を鵜吞(うの)みにして簡単に沙雪殿を引き渡すわけにもいかなかったもんでな。まぁ、実際にお前らが関わっているのは分かったし、すぐに戻って沙雪殿に話してみるさ」

 毘沙門は顎髭(あごひげ)を弄りながらニヤニヤと話していたが、突然真顔に戻るなり刺すような視線を富士重に向けた。


「それで、ケガ人が出張らなきゃならんほど緊急の要件ってのは一体何なんだ?」


「……毘沙門殿が来てくれたのはかえって好都合だったかもしれません。実は――」


 富士重はこれまでの経緯と今置かれた状況を事細かに説明した。




「やはり捕らわれていたか……」


 陶尽坊が感情無くつぶやく。毘沙門は顔をしかめながら不快そうに口を開いた。

 

「一国の守護大名に呪いをかけ、そこのお姫様まで監禁するたぁ随分と性根のねじ曲がった坊主だな。――そいつはこの国を乗っ取るつもりなのか?」


「恐らくそういうことだと思いますが、まだまだ情報が不足していて実際のところは良く分かりません。いずれにせよこの寺に姫君が捕まっている以上、何とかして救出せねばと考えております。そこで相談なのですが……」


 会話を遮るように毘沙門は左手を前に突き出した。


「皆まで言うない。姫様救出に俺の手を貸せってんだろ?」


「ええ」


「ここの姫様には領内での悪行を見逃してもらった上、金まで恵んでもらった恩義がある。喜んで手伝わせてもらおうじゃねぇか」


「良いのですか? 分かっているだけでも寺には手練れの兵が十名以上詰めています。姫君を救出している間に更なる援軍が駆けつけてくることも……」


「かつて家臣共を守りながら数多の追手を斬り伏せてきたこの俺だ。今更十人、二十人の相手など恐れるに足らんわ」


「毘沙門さんが手ぇ貸してくれるならこんな心強いこたぁねぇよ。なぁ、鷹兄ぃ?」


「そりゃぁ、まぁ、な」


 毘沙門の振り下ろした段平はつむじ風を呼び、足元の落ち葉を宙へと舞い上げる。思いがけない強力な助っ人の登場に一同の士気も高揚していった。


「なぁに、全て俺に任せておけ。下郎共を手あたり次第に斬り殺して見事姫様を助け出してやらぁ!」


「あ、いえ、斬り殺すのはダメですよ」


「何だと?」


「今は敵とはいえ彼らも東光寺家の家臣です。いよいよとなればやむを得ないかもしれませんが、無用な遺恨を残さないためにも殺生は極力控えたいのです」


「……っち、面倒な注文を付けやがるな」


 再び後頭部を掻きながら不貞腐(ふてくさ)れたようにつぶやく毘沙門。


「とは言え、あなたほどの方ならば造作もないことでは?」


 毘沙門は富士重から目をそらすと、取り澄ました顔で「そりゃオメェ、――当然よ」と答える。その様子に僅かに含み笑いをする陶尽坊だったが思い立ったように富士重を見据えると、厳然とした、しかし木々のざわめきに溶け込むような静かな声で語りかけた。


「富士重、有難い結界のお陰でワシは寺には入れん……。茜のこと、くれぐれも頼んだぞ」


「お任せください。必ずや姫君を助け出してまいります」


 富士重の返事に弟二人も静かにうなずいた。気が付けば日も随分と山際へと傾き、薄暮の陰が近づき始めている。富士重はその場にしゃがみ込み慈螺の顔を覗き込むと、再び塀の上から境内の様子を探ってくるように頼んだ。




 慈螺の報告を受けた富士重達は周囲に気を配りながら通りに出ると、塀に張り付くようにして寺の山門へと向かっていった。門の内側に二人、庫裡の正面に六人、裏手に二人。それが慈螺に確認できた兵士の人数だった。姿を確認できない三人と円海は恐らく庫裡の中に居るのだろう。


 一行は一列になって門のそばまで忍び寄ると、先頭に立つ富士重の合図を息を殺しながら待った。とは言え、合図といっても綿密な計略があるわけではない。


 “慈螺の案内で茜のいる座敷牢まで突っ走り、目に付く敵は打ち倒す”。


 なんとも乱暴で行き当たりばったりな作戦ではあったが、所詮は雑兵十数人と坊主が一人。いたずらに策を弄して時間を消費する必要もなかろうという毘沙門の言葉に鷹丸が賛同し、慎重派である富士重と慈螺の心配は二人の根拠の無い勢いに丸め込まれていた。


 富士重が無言でうなずくと足元の慈螺が気取った様子で前へと歩き始めた。そのまま門前を横切りながらそっと境内を覗き込むと、富士重を振り返り静かにうなずく。


 富士重が門を指し示した瞬間、毘沙門を先頭に鷹丸、茄蔵の三名が寺の境内へと一気呵成(いっきかせい)になだれ込んだ。門の両脇で無駄話に興じていた男たちは完全に虚を突かれたようで、太刀を構える間もなく毘沙門と鷹丸によって打ち伏せられる。


「油断しすぎだな。鍛錬が足りねぇぞ!」


 鎖骨を折られ苦悶の声を上げる男を毘沙門は構うことなく蹴り倒した。それを見ていた鷹丸が呆れたようにつぶやく。


「おっさん、容赦ねぇな……」


「斬ってねぇだけ十分容赦してるだろうが」


「……そういうもんか?」


「鷹兄ぃ、来るぞ」


 茄蔵が見据える先では門前の異変に気付いた兵士達が驚いたように何やら喚きたてており、一人が庫裡の中に消えたかと思うと残りは太刀を抜き放ちながら一斉にこちらに向かって駆け寄ってくる。


「斬られるなよ、茄蔵」


 若木の幹のような太い木の棒を握る茄蔵を見ながら鷹丸が言う。


「なぁに、鷹兄ぃがついてりゃ平気だぁ」


 屈託のない笑顔を浮かべながら茄蔵は答えた。

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