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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第三十二節.邂逅

「鬼との戦を前に皆気が立っているのだ、どうか気を悪くしないでくれ」


 寺内は鷹丸の方を向くと心苦しそうに言った。


「いえ、そんな」


「それにしても早々にこれだけの人間を集めておいて中々次の指示が下らんな……志願してもらって申し訳ないが今しばらく屋敷のそばで待機していてくれ」


「そんなに急ぎの話だったんですか?」


「ああ。奥方様と守護代様の連名で招集命令が発布されたのが昨日の昼過ぎだ。蔵園に住む者や近隣の領主達が慌てて屋敷へと馳せ参じたところ未だに待機を命じられたまま……このまま今の状態が続けばせっかく集まった者たちの士気に影響が出るばかりか東光寺家の不信にも繋がりかねない。何とも歯痒(はがゆ)いばかりだ」


「そうだったんですか。それでは遠方の方々には?」


「知らせていないようだ。山の鬼退治にそこまでの大軍を率いる必要も無いという判断なのだろう。もちろん近隣諸国への体裁上の理由も大きいだろうがな」


「ですが、聞いた話では中州守様のご先祖様が百重山の鬼に随分と苦戦をされたとか」


 その言葉を聞いた寺内は苦い顔で目を背けながら腕組みをした。


「よく知っているな。正直なところ私もそこを憂慮しておるのだ……聞くところによれば“鬼”という連中は有象無象の妖怪共とは比較にならぬほど危険な相手であり、その頭領ともなれば扱う力も広大無辺だという。それほど強大な化け物が相手ならば体裁など気にせず国中の戦力を集結して戦いに挑むべきだと思うのだが、お屋形様の病状を鑑みるにあまり悠長なことも言っておれんということなのだろうか……」


 鷹丸は寺内の言葉に同調するように無言のままうなずいていたが、あるいはこの男から茜に繋がるような情報を引き出せるのではないかと思い立つと、それとなく話を振ってみることにした。


「寺内様は姫様のことについてはご存じですか?」


「姫様? なぜそんなことを聞く?」


「少し前に病を患った姫様が療養のために屋敷を出られたらしいと風のうわさに聞いたもので、少々心配をしておりました」


「そうだったか。お前は本当に見上げた領民だな。――左様、確かに姫様は今屋敷にはいらっしゃらない。だが心配には及ばんぞ。寛叡寺の和尚様に除病の護摩祈祷をしていただき、今は遠方の地で療養をなさっているはずだ」


 寺内は茜が蔵園に戻ったことを知らないようだった。やはり導鏡の手によって秘密裏に捕らえられてしまったのだろうか? 鷹丸があれこれと思案を重ねていると、突然寺内が「少し歩くか」と言い門の方へと歩き始めた。慌てて鷹丸が後を追うと寺内は思い出したように話題を転じた。


「姫様といえば、昨日面白いことがあったな」


 反射的に鷹丸の目が寺内の表情を追う。寺内は口元を綻ばせながら話を続けた。


「あれは夕暮れ時だったな。所用で屋敷を出ようとすると橋の前で騒動が起こっていてな。何事かと思って様子を窺っていると、何やら手足を縛られた娘が家中の者二人に担がれて暴れておるではないか」


「それは穏やかじゃないですね」


「麻袋を被せられていたので顔は見えなかったが、きっと猿ぐつわでも()まされていたのだろうな。獣のような唸り声で何かを騒ぎ立てながらそのまま寺へと連れていかれてしまった。あれは滑稽だったな」


 そう言うと寺内は声を潜めて笑った。鷹丸が足を止めて「それが姫様とどういった関係が?」と尋ねると寺内は振り返り答える。


「うん、あとでその場にいた間宮殿に聞いたのだが、どうもその娘というのが気の触れた可哀そうな娘らしくてな。自分のことを東光寺家の息女と思い込んでいたらしく、“屋敷に入れろ! 母上に会わせろ!”と大騒ぎだったそうだ」


「自分のことを……間宮様はその様子を見てたんですか?」


「あぁ。そもそもその娘が橋を渡ろうとしていたのを止めたのが間宮殿だったらしいからな。さも当然のようにズカズカと橋を渡り始めたときはさすがの間宮殿も唖然としたそうだ。慌てて呼び止めはしたものの、それでも次から次へと妄言をまくしたてて無理矢理にでも屋敷に入ろうとする始末。フフフ、これには間宮殿もほとほと手を焼いたそうだ」


 寺内は再び歩き始める。鷹丸もそれに従った。


「それは滑稽な話ですね。しかしその娘、よほど姫様に似ていたのでしょうか? 娘の容姿について間宮様は何か言ってませんでしたか?」


「いや、背格好こそ似通ってはいたものの、薄汚れたあの姿は姫様とは似ても似つかぬ別人だったと言っていたな」


 ――別人……いや、状況から察するにそれは姫様に間違いない。やはり姫様は寺に捕らわれているのか? ……それにしてもいくら百姓の姿をしていたとはいえ家中の人間が姫様を見間違えたりするかな? ……まさか、間宮様も導鏡側の人間?


「……その娘、どうして寺に連れていかれたんでしょう? それだけの痴れ者ならば斬り捨てられるか獄舎に送られてもよさそうですが」


「普通ならばそうかもしれんが何せ相手は年若い娘、しかも自分のことも分からぬ狂人だ。優しい間宮殿は娘に“奥方様に確認していただくのでそこで待っていろ”とウソをついて、丁度屋敷に来ていた寛叡寺の和尚様に娘をどう扱うべきか相談したそうだ」


「寛叡寺の? 間宮様は和尚様と懇意なのですか?」


「どういった経緯(いきさつ)かは知らぬが、和尚様が屋敷に顔を出し始めた頃から付き合いがあるらしい。それに間宮殿が今の役職に就けたのも和尚様のお力添えが大きかったそうだ。そういったわけで間宮殿は和尚様を随分と敬愛しているらしく、今でも事あるごとに相談を持ち掛けているようだ」


「そうなんですね。それで和尚様は何と?」


「寺へ連れ帰って仏の教えを説くと言っていたそうだ。御仏の心に触れることで憐れな娘の心も正気に戻るやもしれんとの考えらしいが、さすがはお屋形様が一目置かれるお方だ。狂人にすら慈悲を持って接するその優しい人柄が多くの人に敬意の念を抱かせるのであろうな」


 その後二人はとりとめもない会話を交わしながらいつしか表門へと到着する。寺内は立ち止まって鷹丸を振り返ると「私は屋敷に用事があるのでこれで失礼する。軍場(いくさば)でのお前の働きに期待しているぞ」と笑顔で告げ、板塀で囲まれた屋敷の母屋へと向かって行った。


 鷹丸は去っていく寺内に頭を下げながら先程聞いた話を何度も思い返していた。恐らく間宮は導鏡の手先で間違いないだろう。その間宮が突然帰郷してきた茜を発見して導鏡に通報した……。茜を連れていった男達も家中の人間だとすると、屋敷内には導鏡の息が掛かった連中が相当数いるのかもしれない。そうなると例え茜や沙雪が屋敷に到着したとしてもそう易々とは千鶴のもとへと辿り着けないのではないか?


 ――どうする、一旦戻って兄貴たちに報告しておくべきか?


 依然として門の周辺には大勢の武士達がたむろしていたが血気に逸る堀の外の喧騒とは裏腹に、皆出発の号令を待ち疲れたのか意気込みにかけた表情でダラダラと雑談を交わしている様子が窺える。鷹丸は下げていた頭をゆっくりと上げながら小さくなった寺内の後姿をぼんやりと眺めた。


 その時、寺内と入れ替わりにこちらへと歩いてくる一人の僧侶が目に映る。僧侶のほうも鷹丸の姿を認めると少し驚いたような素振りを見せながらやがて足を止めた。


「……鷹丸さん、でしたか? 妙な場所でお会いしますね」


 そこには美里宿で見た墨染めの道服からは一変し、若葉のような萌黄色の法衣に牡丹(ぼたん)の紋白五条袈裟を身に付けた円海が薄笑いを浮かべながら立っていた。


「円海……?」


「あの宿場町からうまく逃げ出せたようですね。ご無事で何よりです」


「――何が“ご無事で何より”だ、白々しい!……あれだけのことをしといて、まさかタダで済むとは思ってねぇよな?」


「ははは、これは恐ろしい。ですが今あなたの相手をしている暇は無いのですよ。あなた自身のためにもここでは大人しくしていてくださいね」


「お前の都合なんざどうでもいいんだよ。大方、失敗の弁解に奔走中ってところだろうが? 違うか?」


 鷹丸は皮肉るような笑みを浮かべながら言った。


「……どういう意味ですか? 私が何を失敗したと言うのです」


 円海の眉間に深いシワが刻まれる。不快感を伴った視線が鷹丸に向けられるも、当人は一向に気にかける様子も無い。


「なんだ、知らねぇのか? お前も案外間抜けなんだな。あの後美里宿がどうなったかきっちり確認してねぇのか?」


「あまり偉そうな口を利かないでください。――あのとき古の怨霊は確かに目を覚ました。それはあなたも知っているはずですよ」


「もちろん知ってるさ。怨霊が目覚めたことも、祟りを恐れたお前が一目散に逃げたことも、そして、あの怨霊がお前の思い通りになるのは面白くねえって言って再び眠りについちまったことも全部知ってるぜ」


「何だと?」


「残念だったな円海。怨霊はお前が思っていたようには働いてくれなかったみたいだな」


 揶揄するような鷹丸の忍び笑いに円海は怒りをあらわにする。


「何がおかしい! ……くそっ! たかが怨霊の分際で、人が折角目覚めさせてやったものを……!」


「目覚めさえすれば勝手に暴れてくれるとでも思ってたのか? とんだ見込み違いだったなインチキ坊主。――年貢の納め時だ円海! 今から俺がしょっぴいてお役人様に全部報告してやるよ」


「バカ者め、鬼の首でも取ったように何を勝ち誇っている? お前のような賤民の世迷言など一体誰が信じるというのだ」


「バカはお前だ円海! お前の悪事は全部姫様に報告済みなんだよ! さすがのお前でも東光寺の姫様相手じゃ言い逃れはできねぇぜ!」


 その直後円海の顔から怒りの色が薄れると、驚きと同時に何かを警戒するような目が鷹丸に向けられる。


「姫様? ……姫様とはどういうことですか?」


 ――しまった!


 澄まし面の円海に一泡吹かせてやったと増長していた鷹丸は自分の不用意な発言に絶句した。


「姫様は奥方様のご実家で休養中のはず。それなのに“報告済み”とはどういう意味ですか? そもそもあなたは姫様と何か繋がりでもあるんですか?」


 落ち着きを取り戻した円海は言葉の真意を探るように蛇のような執拗(しつよう)さで鷹丸を問い詰める。口は災いの元、覆水盆に返らず。滑ってしまった口をどれほど悔もうとも今となっては後の祭りだ。何とか発言をごまかさなければならないが悪知恵だけは達者そうなこの男を騙すことなどできるのか? 鷹丸は返答もおぼつかないまま激しく動揺していた。

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