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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
32/83

第三十一節.百姓義勇兵

 時は遡り慈螺が寺に忍び込む少し前のこと。


 屋敷へ向かう道すがら寛叡寺と屋敷とを分ける四つ辻に到着した鷹丸は愛刀を両肩に渡しながら足元の慈螺に目を落とした。


「慈螺、うまくやれよ」


「ご心配には及びません。鷹丸こそ失敗しないでくださいね」


「では頼んだぞ鷹丸」


「おう、兄貴たちも気を付けてな」


「じゃぁな鷹兄ぃ」


 兄たちと別れた鷹丸は高鳴る鼓動を抑えながら屋敷へと続く石畳の道を歩いていった。……鬼討伐の兵士として志願する。これはいつかの浪人によって喚起された鷹丸の冒険心を刺激するのに十分すぎる状況であった。もちろん志願の目的はあくまでも情報収集であり、鬼との抗争はむしろ避けなければならない事柄である。それは分かっているのだが心地よい高揚感に酔いしれていた鷹丸の頭は、気がつけばまだ見ぬ大妖怪にどう立ち向かうべきかとそんなことばかりを考えていた。


 ほろ酔い状態のまま想像の世界に浸っていた鷹丸だったが、見慣れない武家造りの建物に囲まれるにしたがってその意識は自然と外へと向けられていく。見れば雑然とした街道付近の町屋とは異なり、塀や垣根で区切られのっぺりと整列する武士達の邸宅には絢爛(けんらん)とした華やかさこそ無いものの、重々しく落ち着いた身の引き締まるような美しさがあった。それにしても同じ武家屋敷であっても街道に近い地区では少し裕福な町民の家と同程度だったモノが、先に進むほどに門や塀の造りは重厚となり、屋敷自体の規模も随分と大きくなっているようである。やはり同じ武家同士でも上下の差はあるんだなぁと妙に納得しつつ鷹丸は先を急いだ。




 やがて鷹丸は中州守の屋敷へと到着する。そこは広大な敷地を深い堀と石垣積みの漆喰塀に守られており、他の武家屋敷とは比較にならない程の規模を誇っている。


 ――さすがは中州守様のお屋敷だな。言っちゃなんだがウチの塩田様のお屋敷とは比較にならねぇや。


 鷹丸は高揚する心を落ち着かせると堀の周りに集う戦装束の男たちを避けながら屋敷へと続く橋のほうへと近づいた。見ると橋の先にある黒塗りの表門は大きく開け放たれており、門の内側でも多数の者たちがせわしなく動き回っている様が見て取れる。


 ――あそこか。


 鷹丸は橋の手前に「義勇兵受付所」の立て札を見つけると、札の前で他者との会話に興じている男に声をかけた。


「あの、義勇兵に志願したいんですけど」


「……あ?」


 侍烏帽子(さむらいえぼし)に小豆色の直垂ひたたれを着た男は、珍獣でも見るような目で鷹丸を観察した。


「お前、……志願したいのか?」


「はい」


「名前は?」


「鷹丸と言います。瀬川村で百姓をやっていますが、剣術には少し自信があります」


「自信ねぇ……まだ若そうだが、義勇兵の意味が分かってるのか?」


「分かってます」


「……あのなぁ、田畑を耕すのとは訳が違うぞ。山に入って鬼や化け物共と斬り合うことになるんだ……間違いなく、死ぬぞ?」


「覚悟の上です」


「ほう……それは見上げた心構えだが――」



「我ら百姓があらゆる脅威に怯えることなく農作業に専念できるのも、全ては中州守様のご威光による賜物でございます。私は農作業に限らず何か中州守様のお役に立てることはないかと常々思い悩んでおりました」


 腕組みをしながら訝しげに見つめる受付の男。鷹丸は言葉を続けた。


「そんな折、今日たまたま蔵園に立ち寄ってみますと町中に義勇兵募集の立て札が立っているではありませんか。私はさっそく町人をつかまえて、“立て札に書かれている百重山の鬼退治とは一体どういうことなのだ”と問いただしてみました。すると、するとでございますよ、驚いたことに中州守様は鬼の呪いによって病床に臥しておられるそうではありませんか! つまりこの戦は憎き鬼の呪いを断ち切り、中州守様のご健康を奪い返すためのものであると、こう言うのです!」


「うむ、その通りだ」


 熱気を帯びた懸河之弁(けんがのべん)に受付男の関心も次第に高まっていく。


「私は直感いたしました。今こそ領民の一人として中州守様の大恩に報いるときなのだと! 戦も知らぬ百姓育ちではありますが、中州守様のお力になりたいという思いは武家の方々にも引けを取らないつもりです。もしも憎き鬼を討つ退魔の一刃に加えていただけるのであれば、たとえ相手と刺し違えてでも立派にお役目を果たしてみせましょう!」


 富士重に教えられた言葉をここぞとばかりにまくし立てる鷹丸。受付男は瞳に光を湛えながら感極まった表情で鷹丸を見つめていた。


「よくぞ言った! 百姓の身でありながら命を投げ打ってでもお屋形様に報いようとするその高潔なる志、誠に見事なり!」


 受付男が絶賛する中、先程まで言葉を交わしていた鎧姿の男が鷹丸の方へと歩み寄る。


「お前のように殊勝な者が討伐隊に加わってくれれば心強い。どれ、私が腕前のほどを見てやろう。ちょっと待っておれ」


 そう言い残すと鎧姿の男は屋敷の方へと歩いていった。


「お前は運がいいな。寺内(てらうち)殿は家中でも指折りの実力者、もしお眼鏡にかなうことがあれば色々と目を掛けてもらえるかもしれんぞ」


 受付男は自分のことのように喜びながら鷹丸の背中を二度三度と叩く。そして登録のためだと言いながら鷹丸の名前やら年齢やらを紙に書き留め始めた。




 しばらくすると橋の向こうから寺内の使いを名乗る男が鷹丸を呼びにやってきた。鷹丸は男に言われるまま屋敷の門を潜り抜けると、すぐ先にある厩の方へと案内される。厩の傍らでは木刀を携えた寺内が鷹丸たちを待っていた。


「では始めるか。遠慮はいらん、好きに打ち込んでくるがいい」


 寺内は木刀を構えることもなく余裕の笑みを浮かべながら鷹丸に言った。


「では……」


 鷹丸は落ち着き払った様子で大折檻を中段に構えた。その淀みない所作に寺内は妙な違和感を覚える。そしてその違和感は間もなく理解できない緊張感へ変異していった。大折檻を構える鷹丸に動きは無い。寺内は無意識のうちに木刀を構えていた。


 ――この者、百姓と言っていたか? しかしこの威圧感……


 周囲の雑音を押し退け無音の圧が寺内に迫る。寺内は相手を軽く見ていた心を改めると、目の前の相手を打倒すべき好敵手と見定め鋭い眼光を鷹丸に向けた。


「……驚いたぞ。お前、本当に百姓か?」


「はい、生まれついての百姓です」


「ウソを言うな。その胆力、とても百姓には見えんぞ」


「お褒めにあずかり光栄です。寺内様」


「……誰に剣を教わった?」


 その言葉を受け鷹丸は目尻を僅かに歪ませる。


「基礎は父に……。後は独学です」


「独学か、大したものだ。ほんの小手調べのつもりだったが……これは本気でいかねば後れを取りかねんな」


「ご冗談を」


 穏やかに言葉を交わしながらも二人の顔に余裕の色は見えなかった。そして徐々に間合いを詰める寺内。鷹丸は僅かに後退しながら寺内を見据え続ける。二人の境界線が間もなく交わらんとするそのとき、思わぬところから勝負に水を差す声が上がった。


「おぉ、居た居た!」


 突然門の向こうから先程の受付男が鷹丸のそばへと駆け寄ってきた。


「寺内殿、取り込み中申し訳ない。少々その者と話しをしたいのだが、よろしいか?」


 寺内はようやく空気を得たかのように大きく息を吸い込むと、それを勢いよく口から吐き出す。それから構えていた木刀を下ろし受付男に笑いかけた。


「構わんさ、お陰で恥をかかずに済んだわ。――鷹丸といったか? 間宮(まみや)殿の用事が済んだらまた話しを聞かせてくれ」


 そう言い残すと寺内は塀沿いに連なる平長屋の方へと歩いていった。鷹丸は大折檻を下げ、その後ろ姿に軽く頭を下げた。


「随分と寺内殿に気に入られたようだが、何かしたのか?」


「いえ、少しばかり稽古をつけてもらっただけです」


「そうか、余程筋がよかったんじゃないのか? やはり俺が見込んだだけのことはある」


 間宮はしたり顔で一人うなずいた。


「それで間宮様、俺に話しというのは?」


「ん? ……あぁ! いやなに、先程聞き忘れていたことがあってな――」


 書類作成に必要だからと言う間宮に家族構成やら作付面積やらの細々としたことを話し終えると、鷹丸は寺内を追って長屋のほうへと向かった。東光寺家の家臣達が住んでいると思われるその長屋は小さな蔵を思わせる風合いがあったが、物珍しげに眺め歩いていた鷹丸はこれならば安普請(やすぶしん)でも町人長屋の方が俺には合っているななどと考えていた。


「おい、お前! こんな場所で何をしている!」


 正面から歩いてきた直垂姿の男に声をかけられ、鷹丸は少し面食らいながらも慌てて頭を下げた。


「義勇兵に志願した者ですが、人探しをしていました」


「この場所をどこだと心得ている、義勇兵が歩き回ってよい場所ではないぞ!」


「……申し訳ありません」


 ――せっかく屋敷に入り込めたってのに、厄介そうなのに見つかっちまった……


 (こうべ)を垂れながらも鷹丸は心の中で毒づいた。


「どうも怪しい奴だな。まさか鬼共の密偵ではあるまいな?」


 まるで町にいるゴロツキのような挙動で男は鷹丸ににじり寄る。


 ――相手にするのも面倒だ……ここは大人しく謝って屋敷の外へ退避するか。


 そう思っていた矢先、近くの長屋の戸が開くと中から寺内が姿を現す。寺内を見た男は海老のように後ずさると慌てて頭を下げた。


「騒々しいな、何事だ?」


「これは寺内様! 敷地内を歩き回る不届き者がおりましたゆえ、問い質していたところでございます!」


「不届き者?」


 寺内は頭を下げる鷹丸に目を向けた。


「私の目にはお前とお屋形様のために義勇兵に志願した殊勝な若者以外誰もいないように見受けられるのだが?」


「え……あ、はっ! し、しかしながら、義勇兵風情が屋敷の敷地内をうろついているというのは――」


「この者は用があって私が呼び寄せたのだ。お前には要らぬ心配をかけてしまったようだな。許してくれ」


「え? いえいえいえ! 滅相もございません! 知らぬこととはいえ、とんだご無礼をいたしました!」


 そう言うと男は逃げるようにその場を立ち去っていった。

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