第三十節.猫なのにネズミ
「それで、その不届き者は今どこにいるんですか?」
「――庫裡に閉じ込めてあります」
「庫裡……入り口の鍵はどなたがお持ちなんでしょう?」
「――鍵は私が預かっています」
「え、本当に?」
慈螺の心は小躍りした。転禍為福とは正にこのこと。このまま首尾よく茜を救出できれば茄蔵も大喜びで褒めてくれるに違いない。それから慈螺は茜が捕らわれている場所を聞きそこを開けるための鍵も受け取ると、平八郎にこのあとの段取りを事細かに説明して猫の姿へと戻った。
「では、くれぐれも怪しまれないようにお願いしますね」
そう言うと慈螺は二、三度深呼吸をしたのちに勢いよく庫裡の方へと走り出す。虚ろな目で走り去る慈螺を見送りながらやや間を置いて平八郎があとを追い始める。平八郎が金堂の前まで差しかかると、門のそばで塀にもたれていた男が一人と一匹の追跡劇に気が付いた。
「おーい、まだ捕まらないのか? だらしねぇなあ」
男は笑いながら平八郎を揶揄した。
「――こいつは大した猫だ。俺が必ず捕まえてやるからお前は手を出すなよ」
走りながら答える平八郎の言葉に男は再び笑い声を上げた。
そうこうしているうちに慈螺は庫裡の奥へと走り去っていく。平八郎はわざとらしく肩で息をしながら庫裡の前で立ち止まると、“もう降参”とばかりに頭上で大きく手を振った。門前の男はその様子を冷笑しながら見ていたが、ややあって平八郎は入り口の戸に寄り掛かるとそのままの姿勢で動かなくなってしまった。
しばらくすると門前の男は外にいる男から声をかけられたようで、門から顔を覗かせながら何かを話し始めた。その様子を見た平八郎は懐から鍵束を取り出し手早く錠を外して僅かに戸を開ける。そして近くに隠れていた慈螺が建物の中に入るのを確認すると後ろ手で静かに戸を閉めた。
まんまと侵入に成功した慈螺は土間から暗い屋内を見回した。頭上から僅かに漏れこむ明りのお陰でどうにか周囲の様子は確認できるものの、内装は意外なほど質素であり、人間の生活感こそ感じられるものの華美な装飾や調度品の品々はここからでは見つけることができなかった。さっそく中を歩き回ってはみたものの、平八郎に聞いた話と実際の構造が慈螺の頭の中で今一つかみ合わない。慈螺はそれほど広くは無い建物内を四方八方に歩き回り、ようやく客殿の先に隠されていた座敷牢らしきものを発見することができた。
牢の奥には誰かが倒れているようだったが暗くて姿が分からない。慈螺は分厚い木の格子を難無くすり抜けると、息を殺しながら倒れている人影へと近寄った。
「姫様!」
慈螺が声を上げる。倒れていたのは茜だった。
「姫様!」
再び慈螺が呼びかける。するとそれに呼応するように茜の目がゆっくりと開いていく。
「……その声、慈螺か?」
「そうです、慈螺です。ご無事ですか?」
「あぁ……私は平気だが、」
茜は気だるそうに体を起こすと、今一つハッキリとしない意識のままワシワシと慈螺の体をいじり回した。
「……ここで何をしている?」
「姫様をお救いに上がりました。茄蔵様と富士重様も寺の外でお待ちです、すぐにここを抜け出しましょう」
「寺? 茄蔵と富士重も? そうか……そうか! でかしたぞ慈螺!」
夢の世界に片足を置きつつも徐々に明瞭となる茜の意識。状況を把握した茜は慈螺の頭を荒々しく撫で回した。
「おのれあのクソ坊主! 一度ならず二度までもこの私を辱めるとは……晒し首にしても飽き足らぬ!」
「姫様、これで牢を開けてください」
慈螺は足元に一本の鍵を置いた。茜は鍵を拾い上げるとすぐさま格子戸に張り付き、外側に掛けてあった錠を「カチリ」と外す。
「よし! 行くぞ慈螺!」
「はい」
茜は勢いよく戸を押し開けると先を走る慈螺を追って座敷牢をあとにした。
このとき、戸を開いた拍子に貼られていた小さな呪い札を引きちぎっていたことに茜たちが気付くはずもなかった。
「それで鷹丸はどうした? あいつは来ていないのか?」
「鷹丸は情報収集のために義勇兵に扮して屋敷に行っています」
「そうか、義勇兵とはなんとも鷹丸らしいな。ハハハ……えーい、それにしても腹立たしい! ろくな食事も出さずあんな場所に閉じ込めおって。絶対に許さんからな!」
慈螺のあとを追いながら茜は思い出したように導鏡への憎悪を吐き出した。
「救出が遅れて申し訳ありません。酷い目にあわされませんでしたか?」
「大事ないぞ。しかし私ともあろう者が不覚を取った」
「一体何があったのですか?」
「陶尽坊と別れてから勇んで屋敷まで帰り着いたのはよかったが、門の前でなんやかんやと足止めを食らってしまってな……その後訳も分からず家臣たちに縛り上げられて抵抗虚しくあそこに放り込まれてしまった。まさかあいつらまでクソ坊主の手先だったとはな……」
茜は顔をしかめながら苦々しげに語った。
「しかしここなら屋敷も近い。寺を出たら富士重達と合流してすぐに屋敷へ駆け込むぞ! 不忠義者共に目にものみせてくれるわ」
「はい!」
いつも通りの茜の姿に慈螺は嬉しそうに返事を返した。
「それで、外に見張りはいるのか?」
「四人います。しかし一人は私の術で操っていますので、実際には門に二人と裏手に一人の三人です」
「三人か。よし。それで、どうする?」
「え?」
「だから、どうやって見張りを出し抜いて寺を出るつもりだ?」
出口の間際で慈螺は急に足を止めた。
「どうした慈螺?」
茜は不審そうに慈螺の顔を覗き込んだ。その顔は引きつったまま硬直し、体全身が小刻みに揺れている様子が窺える。
「お前……もしかして無策、なのか?」
「あの……ひ、姫様を探すことだけを、考えていたもので……す、すいません」
茜は天井を見上げながら小さなため息を漏らしたが、すぐに腰を曲げると震える慈螺の背中を優しくさすった。
「いや、牢から助け出してもらっただけで御の字だ。よし。二人で何かいい方法を考えよう」
「はい!」
慈螺は振り返るとうれしそうに二本の尻尾を揺らした。
「……お前が操っている一人は完全にこちらの味方と考えてよいのだな?」
「そうです。今はその戸の外で待機させています」
慈螺は閉ざされた戸の方に顔を向けた。
「門に二人、裏に一人か……それで富士重達は?」
「寺の西側にある雑木林で待っています」
「あぁ、あそこか。……門に二人……ふん、ひょっとしたら簡単に出られるかもしれんぞ」
「本当ですか?」
茜の作戦はこうだった。まず平八郎に門番二人の話し相手をさせ、三人が話している隙に慈螺が寺の外へと抜け出る。そして待機している富士重たちに通行人のフリをして門に向かうように伝え、指示通りに富士重と茄蔵が門前に到着した段階で平八郎と共に門番への奇襲攻撃を仕掛ける。当然騒ぎを聞きつけて裏手にいる男も駆けつけてくるだろうが金堂の裏から門まではかなりの距離がある。裏手の男が到着するまでに門番を倒してしまえば数の有利を常に維持できるだろう。
「良い案だと思いますが……」
茜の話を聞く中で茄蔵達が争いに巻き込まれることに不安を覚えた慈螺は言葉を濁した。
「確かに寺にいる者達の力量が分からぬという不安は残るが、鍵の管理を任されているところを考えるとその平八郎という男はかなりの手練れと見ていいだろう。それにこれまでの道中で分かったことだが、鷹丸と茄蔵の腕もかなりのものだぞ。あれならば並みの武芸者程度ならば互角以上に渡り合えよう。まぁ、富士重だけは体よりも頭を使う方が性に合っているようだがな……何にせよ、数の上でのハッタリぐらいには使えるだろう」
「そう、ですよね。分かりました! いざとなったら私も加勢します!」
「いや……お前はやめておいた方がいいと思うぞ……どれ、外の様子も見ておくか」
そう言うと茜は出口の戸を少し開き、隙間から境内の様子を覗き見た。
「それでは平八郎さんに指示を出してから私は門のそばで隠れていますね」
慈螺の声に反応することもなく茜は戸にへばりついたままだった。声が聞こえなかったのだろうか? 慈螺は再び声をかけた。
「姫様?」
「あいつら……」
食い入るように境内を窺いながら呻くようにつぶやく茜。慈螺は不審そうに茜のそばへと近寄った。
「まさか牢を出たのがバレたのか? でもどうして?」
茜の様子にただならぬものを感じた慈螺は慌てて戸の隙間に張り付いた。そこに見えたのは胴丸を身に付けた武者風の男達四人が連れ立ってこちらに向かって歩いてくる姿だった。しかも門の前では同じような戦装束の男が門番達と何かを話しているようだ。
「……前を歩く二人、私を捕まえてここに放り込んだ奴らだ。まさか昨日の無礼を詫びに来たわけでもあるまい」
「ひ、姫様、どうしましょう?……」
――まずいな、これでは奇襲もへったくれもない。慈螺だけでも富士重のもとに走らせるか? ……いや、武装した軍人が八人も居てはいくら助っ人が居るとはいえ茄蔵一人では危険すぎる……あいつらを呼ぶわけにはいかない、ならどうする?……
「慈螺、戸の前の男に時間を稼がせろ。裏口から外に出るぞ!」
「はい! ……あ、あ……姫様、二人が裏手のほうへ走っていきました!」
「裏口に向かったか? さすがは腐っても東光寺家の家臣だ、手際がいい……くそっ!」
「門からも二人、こっちに向かってくるみたいです!」
「とにかく時間稼ぎだ! 早く男に伝えろ!」
慈螺は何でもいいから理由を付けて誰も庫裡に入れないよう平八郎に伝えると、茜と共に建物の奥へと後退した。それからすぐに四人の男が戸の前に到着し平八郎に詰め寄る。
「和尚様の命令で囚人をあらために来た。平八郎、そこをどけ」
「――和尚様の命令で誰も中に入れるわけにはまいりません。お引き取りを」
「何をたわけたことを! その和尚様のご命令なのだ!」
「――では、その証をお持ちになって改めてお越しください」
「貴様、我らを侮辱しているのか?!」
茜はどこか隠れられるような場所を探した。しかし、思いのほか質素な造りの屋内は部屋数も少なく隠れられそうな場所も見当たらない。その上、この庫裡には金堂に繋がる渡り廊下さえ据え付けられていないようで、茜達は完全に退路を断たれた袋のネズミとなってしまった。更に追い打ちをかけるように裏口の辺りから「ガタガタ」と戸を開けようとする音まで聞こえてくる。しかし戸には心張り棒が掛けてあるらしく、音は響けど中に誰かが踏み込んでくる様子はなかった。
「……万事休すか」
狭い書院の中で茜は無念そうに呻く。
「一か八か私が飛び出して富士重様達を――」
「ダメだ! 今あいつらを巻き込むのは危険すぎる」
茜は思い詰めたように話す慈螺の言葉をすぐに制した。
「心配するな慈螺。まさか奴らも命まで取ることはないだろう。ここで捕まるのは無念だが生きてさえいればまだ機会はある。……お前は機を見てここを抜け出し、富士重達に“よいか、今度はしっかり助け出せよ!”と、伝えてくれ」
茜がニヤリと笑いかける。慈螺は自分の無力さに耐えきれずその笑顔から目を背けた。
間もなく踏み込んできた男達は牢に囚人の姿が無いことを確認すると慌ただしく建物内を探し回った。しかしそれも束の間、それほど広くない建物の中にあって茜はあっけなく見つけられてしまう。近寄る武者達に「主君の娘である私に縄を向けるとは何事か!」と、威勢よく抵抗してみるも、ハナからそんな言葉に耳を貸す男達ではない。百姓姿に身をやつした茜は姫の名を騙る痴れ者と激しく罵られながら再び座敷牢の中へと押し込まれてしまう。
そんな中、騒ぎのどさくさに紛れて建物を抜け出した慈螺は入り口で捕らえられていた平八郎に心中で詫びながらも、驚きの目を向ける男達に構うことなく一目散に寺から走り去った。




