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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第二十七節.神隠し

 早朝、前日の内に旅籠で用意してもらっていた握り飯を包みに収めると、一行は他の宿泊客に迷惑をかけないようにと盗人のような忍び足で建物内を移動していた。ミシミシと音をたてる階段に気を遣いながらどうにか一階まで辿り着いた矢先、炊事場のほうから何やら良い匂いが漂ってくる。朝早くからの出発を念頭に朝食は辞退していたのだが、せめて匂いだけでも腹いっぱい食らってやろうと鷹丸と茄蔵はせわしなく鼻を動かした。


「せっかく高い旅籠に泊まったのに、もったいねぇなぁ……」


 草履を履きながら未練がましく炊事場のほうへと目を向ける鷹丸に茄蔵も「そうだなぁ」と同調する。


「今は中州守様のお屋敷に向かうのが先だ。気持ちは分かるが我慢してくれ」


「でもよ兄貴、今更俺達が向かったところで何もできねぇだろ。もう少しゆっくりしてってもいいんじゃねぇか?」


「確かにな。だが万が一問題が発生した場合、居ない人間に助力は乞えんが居さえすれば何かしら力になれるやもしれんだろ。早く着くに越したことはないさ」


「そりゃぁ、まぁ、そうだなぁ」


 茄蔵が諦めとも納得ともとれるような声を漏らすと慈螺が茄蔵の足に擦り寄ってくる。茄蔵はいつものように慈螺を抱き上げた。


「でもよぉ……」諦めきれない鷹丸が尚もつぶやく。


「贅沢は帰り道までとっておけ。それに、お前は可愛い妹のことが心配ではないのか?」


 意味ありげに富士重が笑いかける。鷹丸は意図せず吹きだした。


「あの妹様が何かに困るとは思えないが、まぁ確かに、“来るのが遅い!”と怒られても困るしな」


 吹っ切れたようにそう言うと、鷹丸はその場で膝の屈伸を始めた。


 宿を出た富士重達は外で掃き掃除をしていた女中に謝意を述べると、まだ薄暗い街道を蔵園へと向かって歩き出した。



 正午を過ぎ太陽が西の空に傾き始めた頃、桜見宿を出てから休憩らしい休憩も取らずに歩き詰めだった茄蔵は街道脇に見える一里塚を指しながら兄達に声をかけた。


「富士兄ぃ、あそこで少し休憩してかねぇか?」


「なんだよだらしねぇな茄蔵。もう疲れたのか?」


 前を歩く鷹丸がからかうような調子で言う。一行は桜見宿を出てから休憩らしい休憩も取らずにずっと歩き詰めだった。


「そんなこと言ったってよぉ、鷹兄ぃたちの早足に休みなく付き合わされたんじゃ、俺ぁ、持たねぇよ……」


「全く、体力のねぇ野郎だな」


「いや、茄蔵のいう通りだ。気ばかり焦って少し急ぎすぎていたかもしれない。到着後の体力も考えて少し休んでいこう」


 富士重の言葉に茄蔵は安堵の笑みを浮かべながら塚のほうへと向かった。


「まぁ兄貴がそう言うなら俺はかまわねぇけど……おい、慈螺! お前を抱えて歩いてるから茄蔵が余計に疲れるんだぞ。ちったぁ自分の足で歩け!」


「え? そうなんですか茄蔵さん?」


 慈螺は驚いたような顔で茄蔵を見上げる。


「いんや、慈螺は軽いから苦になんねぇよ。俺がただ疲れちまっただけだぁ」


「違うって言ってますよ!」


 慈螺は不快そうに鷹丸を睨んだ。鷹丸はいつの間にか取り出した竹の水筒をあおると、塚の上に生える松の根元へと座り込んだ。


「アホか、そんなもん茄蔵が気を遣って言ってるだけだろうが。そんなことも分からねぇのか?」


「鷹兄ぃ、俺ぁ本当に平気だって。慈螺も気にしなくていいからな」


 茄蔵は汗まみれの顔で優しく笑いかけたが、慈螺はピョイっと茄蔵の膝から飛び降りると、黒い煙のようなものに包まれながら椿姫の姿へと変化した。


「……私も自分で歩きます」


 慈螺はしょげたような顔で茄蔵の横に腰をおろした。


「慈螺ぁ気にするなって。ほらぁ鷹兄ぃ、慈螺が()ねちまっただねぇか」


「へっ……」


 鷹丸は悪びれた様子も無く再び水筒をあおった。


「ん?」


 見上げる空に大きな鳥の影が一つ。孤高に碧空(へきくう)を舞うあれはトンビか鷹か? いや、それにしては随分大きいような……


 鷹丸が目を凝らして観察していると、それは一直線にこちらを目指して近付いてくるようだ。


「……あれは」


 見覚えのある影に鷹丸が呆然と空を仰いでいると、頭上に飛来した影はそのままゆっくりと下降してくる。


「見つけたぞ小童共」

 

 不愛想な声と共に下り立ったのは昨日見た大入道、人間に化けた陶尽坊だった。慌てて茄蔵の背後に隠れる慈螺を尻目に富士重は陶尽坊のそばへと歩み寄った。


「たしか陶尽坊殿、でしたか? 我らに何か用事でも?」


「うむ、ちと面倒なことになってな」


 陶尽坊の言葉に胸騒ぎを感じた富士重は顔色を曇らせた。


「面倒なこと……まさか、姫君の身に何か?」


 陶尽坊は無言のまま首を縦に振った。


「姫君はお屋敷に戻られたはずでは?」


「そのはずだったのだが、どうも屋敷に戻る前にどこかへ消えてしまったようなのだ」


 陶尽坊の話では日暮れ前に蔵園に到着した茜は人目に付かない場所に下りるなり「母上に話しを付けてくる!」と言い残し、屋敷のほうへと駆けていったそうだ。陶尽坊は町の中に消えていく茜を見送ると、ようやく肩の荷が下りたとばかりに住処に戻ってそのまま寝入ってしまったらしい。


 ところが今朝になって茜の様子を見に行くと、屋敷は近隣の領主や武装した家臣達に埋めつくされ、高揚した男達の熱気と喧噪の中、百重山に向けた討伐隊の準備が着々と進行しているようではないか。茜は母親の説得に失敗したのか? この様子では遠からず鬼どもとの全面衝突は避けられない。


 何とか茜から話を聞きたいところだが、いかんせん屋敷には潜り込めそうにない。というのも配下の者に中州守と導鏡の調査を任せていた際に寺への侵入を感づかれてしまったようで、それ以来、屋敷と寛叡寺には天狗除けの呪術結界が張られていたからだ。


 その後人間に扮した陶尽坊は方々で情報を拾い集めてみたが、茜が屋敷に戻ったというような話はどこからも聞くことができなかったようだ。


「どういうことなんでしょう?……」


 陶尽坊の話を聞き終わると富士重は神妙な面持ちでつぶやいた。


「ワシは屋敷に到着する前に導鏡の息のかかった者によって捕らえられてしまったのではないかと思っておる」


 陶尽坊の言葉に富士重は少しも驚く様子を見せず、静かにうなずいた。


「茜がワシにさらわれたことを導鏡が知っているかどうかは分からぬ。しかし、ヤツとしては折角遠ざけておいたじゃじゃ馬娘が正気になって戻ってきた上、成そうとしていた計画まで混ぜ返されてしまっては決して愉快とは思わぬはずだ」


「それは……確かにそうですね」


「ワシは引き続き茜の所在を探ってみるつもりだが、お前達にも頼みがある」


「我々にできることでしたら何なりと」


「導鏡が茜をさらったとすると、監禁先として真っ先に浮かぶのがヤツの寺だ。しかし先程言った通りワシでは寺に潜り込むことができん」


「なるほど。寺の中に姫君が捕らえられていないか調べてみてほしいと、そういうことですね」


「そうだ」


「承知しました。蔵園に到着したらすぐに寺へ向かうとしましょう。……とは言え、このままでは百重山への侵攻も始まりかねない様子。姫君のご意思を尊重するためにもそちらのほうも何か手を打たねばなりませんね……」


「そうは言っても今の屋敷の状態では余人が何を訴えたところで門前払いを食うだけだぞ。下手をしたら導鏡の息のかかった者に捕らえられて投獄される恐れまである」


「……そうですね」


 それから富士重は拳で唇を隠すようにしたまま黙り込んでしまった。早く蔵園へ行って茜を探そうと急かす鷹丸や茄蔵。それでも富士重は何事かを思案しているようで二人の声に答えることは無かった。やがて富士重は陶尽坊に視線を戻すと妙にかしこまった様子で問いかけた。


「陶尽坊殿の手の者を函嶺峠に飛ばすことはできませんか?」


「函嶺に? ……理由は?」


「函嶺峠にある洞窟で姫君の侍女を務める沙雪様という方が足を痛めて休んでおられます。我々はその方と面識がございますので、彼女を通じて今の状況を奥方様にお伝えいただくのです。そうすれば万が一姫様の発見が遅れたとしても、(ある)いは討伐隊の出発だけは阻止できるやもしれません」


「……なるほど、茜の侍女ならば屋敷に入り千鶴に直接話しをすることも容易か。しかし人間を長距離運ぶとなると一名では時間がかかるな……よし、二名の烏天狗を迎えに飛ばすとしよう。その洞窟とやらはどこにある?」


 富士重は函嶺無頼衆の根城と沙雪について知りうる限りの情報を陶尽坊に伝えた。


「時間はどの位かかるでしょうか?」


「そうだな、……ここから函嶺までならば急がせて往復で一刻(約二時間)といったところか。しかし、その侍女とやらに抵抗されることはないか? 茜の駕籠を襲った烏天狗が今度は自分をさらいに来たと思われては厄介だぞ」


「私が書状をしたためれば一番良いのですがその時間も道具もありません。その場にいる首領の毘沙門という方に“姫様とお屋敷のことで緊急の用件があるため至急沙雪様にご同行を願いたい。傷の癒えない沙雪様にはご負担を強いて申し訳ありませんが、とにかく事は急を要します。委細については後日富士重が直接ご説明いたしますので、どうか毘沙門殿のお力添えをお願いしたい”と、そうお伝えください。きっと力になってくれるはずです」


「分かった。すぐに手配しよう」


 そう言うと陶尽坊は白い翼を大きく羽ばたかせながら北の空へと飛び去っていった。


「我らも急ごう」


 彼方に消えていく陶尽坊を見つめながら富士重は独り言のようにつぶやいた。冴え渡る春空の下、得体の知れぬ不安を胸に抱きながら一行は再び蔵園を目指して歩き始めた。

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