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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第二十六節.信頼と呪詛

 「何とか古狸を説得して住処から連れ出したまでは良かったが、戻ってみると茜がおらんではないか。あの時はさすがのワシも肝を冷やしたぞ」


 そう言って豪快に笑う陶尽坊に対して、茜は不快そうに目を細めながら怒気を湛えた低い声で迫る。


「お前、我が家の家臣たちに手を出しておいてタダで済むと思っているのか?」


 しかし陶尽坊はそんなことなど耳に入らぬといった様子で、怒る茜を放置したまま自分の話しを続けた。


「そこから先はここにいる百姓どもの知っている通りだ。悪人ではなさそうだったので隠れて様子を見ていたが、お前が天女様天女様ともてはやされている様はなかなか愉快だったぞ」


「……なぜすぐに呪いを解かなかった?」


「いいか、物事には段取りというものがあるのだ。まずはそこの背の高いのが外で洗濯をしている隙に古狸が家に忍び込んで呪いの正体とその解呪方法を見破った」


「さ、三降権化様が家にいらっしゃったんですか?!」


 富士重が驚いたように声を上げた。


「あの古狸を人里に連れてくるのは実際大変だったぞ。おかげで面倒な借りができてしまったわ」


 陶尽坊はやれやれといった表情を浮かべる。茜は仏頂面のままだ。


「呪いを解くには呪われた本人を外界から区切られた屋根のある空間に閉じ込め、その四方に呪符を配した結界を張る必要があったのだが、おあつらえ向きにお前は誰もいない家の中にいた。あとは結界内で呪気を霧散させるための呪文を唱えてから、心身を覚醒させるような刺激を与えてやる必要があった」


「おい、まさか……」


「以前梅干しが大嫌いだと言っておったな?」


「あー、ひょっとしてあの行商さんが天狗様だったのかぁ?」


 驚く茄蔵に陶尽坊は笑みを浮かべた。


「でも天狗様、姫様が元に戻ったのならなぜすぐに連れていかなかったんですか?」


 鷹丸が問いかけると陶尽坊は目だけを向けながら忌々しそうに口を開いた。


「ワシは古狸の頼みを解決してやらねばならんかったからな。“ぎぶあんどていく”だとか訳の分からん異国の言葉を使いおって……全く割に合わない仕事だったわ。よくよく感謝しろよ、茜」


「沙雪に手を上げて私に梅干しを食わた挙句に感謝しろだと? お前……」


 怒りの表情を浮かべる茜の目元が小刻みに震える。ところが何かを言いかけながらも茜は突然ため息を吐きながら肩を落とすと、何やら萎縮した様子で目を伏せた。


「……私を助けようと色々奔走してくれていたのだな。感謝するぞ陶尽坊」


 殊勝な茜の姿に陶尽坊のニヤケ面は一変し、瞬時に顔を強張らせたかと思うと口をへの字に押し曲げる。


「勘違いするなよ、別にお前のためにやったのではない。退屈凌ぎの相手が居なくなってはワシが困るから仕方なく動いていたまでだ。そもそもワシは恩を着せたくてこんな場所まで来たわけではない、重要な話はこれからだ」


「何かあったのか?」


「まず中州守が先日病で倒れた」


「父上が?!」


 不意に心臓を刺し貫かれたかのような衝撃が茜を襲う。おおよそ病とは縁遠い存在と思っていた父が? 予想だにしなかった知らせを受けた茜は陶尽坊に掴みかからん勢いで身を乗り出した。


「何でも突然高熱に襲われて意識を失ったようだが、未だ医師にも原因が掴めんらしい」


「原因が分からない病……おい、お前さっき!」


 食いつくような茜の視線に陶尽坊は深くうなずいた。


「断定はできんが、恐らく導鏡が行っていた呪術による影響だろう」


「あのクソ坊主、そこまでして母上に手を出すつもりか? おい! 母上は無事なのか?!」


「報告では導鏡がお前の母親に危害を加えた様子は無いようだ。それに夫の看病に付きっきりでそれどころではないだろう。だが、」


「だが、なんだ?」


「お前の母親は百重山(ももえやま)の鬼どもと一戦交えるつもりらしいぞ」


「なに?! なぜ母上がそんなことを!」


「導鏡が中州守を(むしば)んでいる病の正体は百重山に住む鬼の呪いによるものだと吹き込んだようだ。お前の母親は妄信的にそれを信じたらしいな」


「そんな、なぜ……」


 茜は絶句した。導鏡の目的は母上に手を出そうなどという単純なことではなかったのか? 私は大きな思い違いをしていたのかもしれない……茜の脳裏に様々な思いが交錯する。


 ――東光寺家への接近、両親からの信頼、母上の懐柔、私の排斥……父上の名を(しょう)した呪詛、父上の急病、進言を受けての母上の決断……なるほど、理由はどうあれ不審な目を向けてチョロチョロと探り回る私はヤツから見れば目の上のたんこぶだな。無思慮に始末してしまっては後々面倒そうだと判断して遠方に追いやったわけか……もし父上が倒れれば(まつりごと)に疎い母上には国の統治など不可能。そうなれば重臣の誰かが代理として家の指揮を取ることになろうが、それでも母上の意向は無視できまい。独断で事を推し進めようとしたところで他の忠臣達が黙っているわけがないからな……自らは陰に隠れ母上を傀儡(くぐつ)のように操り中州国の実権を握る……それが奴の狙いか? ……しかし、なぜ今になって百重山の鬼と争う必要がある? 悪くすれば蔵園の民にまで被害が及んでしまうではないか……


「あの、姫様、百重山の鬼というのは一体?」


 富士重は黙り込んでしまった茜へ遠慮がちに声をかけた。


「うん? あぁ、……屋敷から少し離れた場所にある百重山という山に住んでいる鬼どものことだ。曾祖父の時代に一度百重山を制圧しようとして反対にこっぴどくやられたらしい。それからというもの我が家と鬼どもとは停戦協定を結んでおり、東光寺家としては奴らの領内である百重山へは手を出さない決まりになっておるのだ」


「停戦協定ですか……よく鬼がそんな申し入れを受け入れてくれましたね」


「頭領の穿壌童子(せんじょうどうじ)というのが話しの分かるヤツらしくてな。曾祖父が大量の酒を手土産に自らの非を詫びたことで何とか戦が収まったそうだ。……いくらあの坊主に騙されているとはいえ、百重山に攻め入るなどあってはならぬことだ……何としても止めねばならん」


 茜は居ても立ってもいられないといった様子で立ち上がると、陶尽坊を見ながら語気を強めて喋りだす。


「陶尽坊、今すぐ屋敷まで運んでくれ! 私が母上に直接話しをしてみる」


「それは構わんが何を話すつもりだ? お前の母親は完全に導鏡を信じきっているぞ。それよりも今のまま身分を偽ってどこか遠方に身を隠していたほうが賢明だと思うが」


「家や領民を放っておいてそんな真似ができるか! とにかく頼む!」


「……全く、言い出したら聞かんヤツだな」


 陶尽坊はヤレヤレといった様子で腰を上げると「ここでは人目に付きすぎる、一度町の外へ出るぞ」と言い、ゆっくりと部屋を出ていった。


「富士重、鷹丸、茄蔵、慈螺、聞いての通り私は一足先に屋敷へ戻る。お前達は明日になったら屋敷まで来てくれ。ここまで供をしてくれた礼をきっちりとしたいからな」


 一同を見回しながら落ち着いた声で茜が告げる。全員が言葉を失ったまま見上げる中、最後に「世話になった」と言い残すと、茜は突風のような勢いでその場をあとにした。


 残された富士重達は誰一人声を出すことも無く、皆呆けたように開け放たれた出入り口を見つめていた。気が付けば日も陰り始め、燭のともらぬ室内には早々に夕暮れの気配が近づいていた。


「夜道を追いかけるのはさすがに危険だな。姫様の言葉通り今日のところはここに泊まって明日早くに追いかけるとしよう」


 富士重の言葉に誰も異論はなかった。


「……しっかし、何だかとんでもないことになったもんだな。姫様、大丈夫かな?」


「天狗様がついてるならきっと大丈夫だよ。でも、まさか姫さんが天狗様の知り合いだったなんて、俺ぁビックリだよ」


「私も、心臓が潰れるかと思いました……」


 茄蔵の陰で怯えていた慈螺が恐る恐る姿を現す。


「お前は怯えすぎなんだよ」


 鷹丸は意地の悪そうな笑みを浮かべながら慈螺を見た。


「鷹丸は天狗の怖さを知らないからそんなことが言えるんです。……はぁ、でも未だに信じられません。人間に友好的な天狗なんて……」


「お前だって化け猫のクセに茄蔵には随分友好的じゃねぇか」


「それはそれ、これはこれです! あと、私は化け猫じゃなくて猫又ですから!」


 慈螺は前足を揃えて座りながら不機嫌そうに顔を背けた。

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