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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第二十五節.天狗の仕業

 茜の話では次の桜見宿(おうみじゅく)を越えればいよいよ中州守の屋敷がある蔵園(くらぞの)という町に到着するらしい。見知った場所に到着した嬉しさからか、茜は軽快な鼻歌を歌いながら街道を歩いていく。


「随分とご機嫌ですね」


 富士重は隣を歩く茜に声をかけた。


「そうか? まぁ、今まで山道が続いたからな。やはり平坦な道は歩きやすくて良いな」


「桜見宿はどんな場所なんでしょうか」


「どうといこともないわ、取り立てて特色も無い普通の宿場町だ」


「そうですか。しかし、これでようやくお屋敷に戻れそうですね。一時はどうなるかと心配しましたが、なんとか無事に翠扇様をお届けできそうで胸を撫で下ろしております」


「……そうだな」


 一瞬だが茜の顔に暗い影が落ちたことを富士重は見逃さなかった。気丈に振る舞ってはいてもやはり導鏡や円海のことが気にかかるのだろうか。富士重は茜から目を離すと先程から延々と続いている桜並木を見上げた。


「しかし、もう少し早く来ることができれば満開の桜を堪能できたでしょうに……。来年は弟達を連れて桜見物にでもやって来ましょうかね」


「おお、来い来い。満開を迎えたここの桜並木は死ぬまでに一度は見ておいたほうがいいぞ。なんなら来年は一緒に花見でもするか?」


「いえ、さすがにそれは……」


 道の両脇には桜山街道一の名所と名高い桜並木、通称万本桜が五里(約20キロメートル)にも渡る長さで立ち並んでいたが、その壮観な風景も少々見頃を逃してしまったようで、枝に僅かな桜色を残しつつも万本桜は緑の映える葉桜並木へと成り果てていた。そんな新緑の桜に不満を漏らすこともなく、茜は再びフンフンと鼻歌も朗らかに葉桜の回廊を北へ北へと向かっていく。



 好天にも恵まれ足取りも軽やかな一行は道中大きな問題に遭遇することなく、日暮れ時に至る前には今夜の宿である桜見宿へと到着していた。最後の贅沢とばかりに茜は随分と立派な旅籠を選ぶと、慈螺に難色を示す番頭を例によって銭で黙らせつつ店構えに圧倒されている兄弟達を尻目に店の奥へと入っていった。


 階段を上がり十畳ほどの大部屋に案内されると、茜は女中に屏風の手配を指示した。他にも部屋は空いていそうだがどうやら今日も相部屋にするようだ。


 富士重が障子戸を開けて眼下を行き交う人の姿に目を向けていると、鷹丸と茄蔵がこの旅籠には風呂が備え付けられているとか何とかうれしそうに話している。慈螺は部屋の中を物珍しそうに歩き回り、茜は屏風の柄が気に入らぬと女中に文句を言っているようだ。


 各々好きな場所に腰を下ろすと、さて、これからどうやって時間を潰そうかという話になった。まずは町中を散策してみようかという声が茜から上がり、周囲はそれに同調する。ところが話がまとまったにもかかわらず誰一人としてその場を立ち上がる者はなく、皆一様にくつろぎながらここ数日の出来事をまるで昔話のように語り合い始める。旅の思い出話に咲いた花は時を忘れるほどに一同を捉え続けていた。


 しばらくすると茄蔵の膝の上で丸く収まっていた慈螺が弾かれるように立ち上がり、何かを威嚇するような目付きで部屋の入り口を睨み始めた。驚いた茄蔵が声をかけようとしたそのとき、黄褐色の鈴懸(すずかけ)の上に金色の刺繡が施された梵天袈裟(ぼんてんげさ)を掛けた山伏風の大男が茜達の部屋へと入り込んできた。


 慈螺は飛び退くように茄蔵の脇に隠れると、全身の毛を逆立てながらも小さく震え始める。


「ど、どうしただ慈螺?」


 その異様な振る舞いに茄蔵は困惑気味に声をかけるが、慈螺は身を伏せたまま山伏のほうを凝視するばかりである。


「どちら様でしょうか?」


 富士重はゆっくりと立ち上がると、少しも動じる様子を見せることなく静かに問いかけた。


「茜の帰郷まで傍観しているつもりだったが、ちと事情が変わったのでな」


 山伏の口から茜の名が語られ一同の表情に警戒の色が浮かぶ。


「……仰っている意味が分かりかねますが。ひょっとして法師様は人違いをされているのでは?」


(とぼ)けずとも良い。お前も薄々感づいていたのではないか? 茜」


 山伏の鋭い視線が茜に向けられる。茜はその視線を両目で受け止めると口元に冷笑を浮かべた。


「ふん、やはりお前の仕業だったか陶尽坊(とうじんぼう)


 山伏も小さくにやけながら「いかにも」と答える。


「翠扇様、お知り合いですか?」


 富士重は不思議そうな顔で茜に聞いた。


「――小さな頃からの顔なじみだ」


「小さな頃からの?……」


 守護大名の姫君と山伏。今一つ調和に欠ける奇妙な組み合わせに一同は困惑した。


「言っておくがこいつは人間ではないぞ。うまく化けてはいるが天狗だからな」


「て、天狗?!」


 坊主頭の筋骨たくましい山伏を見ながら鷹丸は思わず声を上げる。陶尽坊は横目に鷹丸を見ながら「騒ぐな小童(こわっぱ)」と制した。


 小さな頃からよく屋敷を抜け出しては麓の森で遊んでいた茜は、ある日森の中で双六遊びをしていた陶尽坊とその配下の烏天狗たちと出会うこととなる。生来(せいらい)物怖じしない性格の茜は何の警戒も無く天狗達に近寄ると、彼らが興じている盤双六(ばんすごろく)の様子を興味津々に見物していた。


 屋敷の裏山に住む天狗と中州守の間には不可侵の協定が結ばれていたため、天狗たちは茜に危害を及ぼすことも無く、まるでうるさい虫でも追い払うようにおざなりな態度を示していた。ところが「私にもやらせろ」としつこく迫る茜に最後は天狗側が根負けしたようで、それ以来陶尽坊と茜との間には双六を通じた奇妙な交流が続いていた。


「陶尽坊、なぜ私をさらって山に捨てていった? 返答次第ではいかにお前といえども容赦はせぬぞ」


「フフフ、相変わらず勇ましいことだ」


 陶尽坊はからかうように茜を笑うと無遠慮にその場で腰を下ろし、事の経緯を淡々と語り始めた。




 その日、以前より茜から頼まれていた木彫りの双六道具を完成させた陶尽坊は早速それを届けてやろうと姿を隠して中州守の屋敷へと出かけていった。ところが屋敷の中に茜の姿は見当たらず、部屋の前で合図を出しても顔を出してくる様子もない。遠出でもしておるのだろうかと家人の会話を盗み聞きしていると、どうやら二日ほど前に母親の実家である三野国へと旅立っていることが分かった。


 退魔後の療養のためらしいが、心中に魔物が巣食っていたとは穏やかではない。しかも退魔の祈祷を行った僧侶というのが茜が度々愚痴を漏らしていた導鏡という者だそうではないか。何か引っかかるものを感じた陶尽坊はその導鏡とやらがどんな人物か見てやろうと思い、屋敷のそばにある寛叡寺へと向かった。


 ところが寺に着いてみると金堂はおろか庫裡(くり)にも人の気配が感じられない。無駄足だったかと軽い苛立ちを覚えた陶尽坊だったが、それでもと思い再び注意深く辺りを観察していると、やや離れた場所にある護摩堂らしき建物から妙な力の流れを微かながら感じ取った。それは御仏の加護を願う祈りというよりも、どこか陰湿で攻撃的な禍々しさを放っているように思えた。


 気配を殺しながら護摩堂へと近づくと中から護摩焚きの声が聞こえてくる。更に近づき耳を澄ましていると、それは降三世明王(ごうざんぜみょうおう)の真言を誦える声であることが分かった。しかもその真言は相手に疫病をもたらす調伏の呪法のようであり、詠唱の節々に織り込まれた“東光寺義景”の名から察するにこれは中州守に向けられた呪いに違いなかった。


 しかし中にいる人物が導鏡ならばなぜ自分の庇護者でもある中州守を呪う必要があるのだろうか? 何にしてもこれはただごとではないと感じた陶尽坊は、もしや茜の身に起きた霊障とやらもこいつの仕業ではなかろうかと考え、すぐに配下の烏天狗を呼び寄せると三野国がある南へと飛び立った。


 翌日、街道上で茜を乗せた駕籠を見つけた陶尽坊は烏天狗達に茜をさらってくるよう指示を出した。荒っぽいやり方とは分かっていたが、突然空から下りてきた天狗が“導鏡は信用ならんので茜をこちらに渡せ”と言ったところで従者達が素直に納得するとは思えない。何より説明が面倒だ。


 こうして憐れな従者たちは“最終的に茜が無事ならば何も問題はなかろう”という強引な理屈によって烏天狗達の襲撃を甘受することになる。その結果沙雪達の善戦も虚しく茜はまんまと連れ去られてしまうこととなった。


 ところがそれだけの騒ぎの中にあって茜は深く眠ったままであった。茜の並外れた胆力については陶尽坊も知る所ではあったが、この状況下でまだ目を覚まさないというのは異常である。実際に茜を診て呪術的な力による影響を感じ取った陶尽坊は、烏天狗達に屋敷へ戻って中州守と導鏡の動向を探るよう指示を出すと、自身は茜を抱いて東の空へと飛び立った。


 陶尽坊の見立てでは茜は本来の意識を精神の奥底に封じられている状態であり、そこに仮初(かりそめ)の意識を植え付けられているように感じられた。言ってみれば催眠術にかかったような状態なのだが、厄介なことにそれは陶尽坊の知らない性質を持った呪術であり、力技でどうにかなるような単純な呪いではなさそうだった。


 解呪するには相応の知識が必要となるが、好都合なことにこの辺りは様々な呪法に長けている三降権化こと源五郎狸(げんごろうだぬき)の縄張りである。きっとあの古狸なら何か知っているに違いないと考えた陶尽坊は源五郎狸に助力を求めるべくその住処に向かうこととした。しかし人間嫌いの源五郎狸のこと、突然人間と一緒に出向いたところで門前払いを食らうのは目に見えている。


 三降山の麓に下り立った陶尽坊は安全そうな場所を見つけ茜を横たえると、単身、源五郎狸の元へと飛び立った。

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