第二十四節.大団円?
千代は何も答えなかった。鷹丸も絶句していた。予想だにしない円海の言葉を受け混乱する鷹丸の耳元に千代のささやくような声が聞こえてくる。
「あの~、こんな反応は~想定外すぎますよ~。どうしましょ~?」
「ど、どうって言われても……とりあえずアイツが何を考えているのか聞いてみましょう」
「う~、やってみます~」
千代の声が消えると鷹丸は再び円海の動向を注視した。間を置いて千代の恐ろしげな声が静かに響き渡る。
「――どういうつもりだ? 私を封じ込めに来たのではないのか?」
「封じる? まさか。――あなたには届いていたはずです、いくら誦経を繰り返したところで私の本意があなたの鎮魂にはなかったことを。それとも私の呼び声が子守歌にでも聞こえていたのですか?」
「……なるほどな。妙に耳障りであったのはそのためか……ではなぜ私を呼び覚ました? 一体何が目的だ」
千代の問いに円海は不敵な笑みを浮かべる。
「私の目的はあなたを眠りから呼び覚まし、この地に混乱をもたらすこと。それ以外の目的などありません」
「……言っている意味が分からぬ」
「意味が必要ですか? 必要無いでしょうそんなものは。あなたは再び目を覚ました。あとはあなたが望むままに厄災を振り撒けば良いのです」
――黙って聞いてりゃ、この坊主!
騙されていた怒りも重なってか、気が付けば鷹丸は大木の陰から駆け出していた。
「円海!」鷹丸が叫ぶ。
「あなたは……確か、鷹丸さん? でしたね。どうしてここに?」
振り返った円海は少し驚いたように言った。
「これはどういうことだ?!」
「……申し訳ありません、私の力が及ばないばかりに怨霊が本格的に目を覚ましてしまったようです」
「力が及ばない? 何言ってやがる、あんたが叩き起こしたんだろうが!」
鷹丸を見る円海の両目が険しく引き締まる。
「あんた俺に言ってたよな、この地を怨霊から守るため一心にお経を上げてるって! あれはウソだったのか?」
「何をおっしゃっているのかよく分かりませんが?」
「とぼけんなよ、お前が話してたことは全部聞こえてんだ! どういうつもりか知らねぇが、この宿場町に祟りを撒き散らそうとしたのは勘弁ならねぇ! とっ捕まえて自営団に突き出してやる!」
鷹丸は大折檻を片手に構えたままジリジリと円海に詰め寄った。
「…………やれやれ、盗み聞きとはあまり感心しませんが知られてしまっては仕方ありません……美里村の怨霊よ、手始めにこの男を祟り殺してしまいなさい」
「図に乗るな坊主、お前の指図など受けぬ」
千代の言葉に円海は忌々しそうに舌打ちをした。
「目覚めさせてやった恩も分からぬとは……所詮は端女の成れの果てといったところか。やはり畜生にも劣る」
「私を愚弄するとはいい度胸だな。手始めにお前から祟り殺してやろうか?」
「無駄なことだ、私には神仏のご加護がある」
「ふん、人間を祟れとけしかける奴が何をぬかす。神仏が聞いて呆れるわ」
「……まったく、守護霊として橋を守るという大任を投げ出したばかりか、逆恨みの果てに怨霊にまで成り下がった賤民の分際で何を知ったような口を……自分勝手な怒りでこの地に災禍を撒き散らしたお前が仏の信徒である私に道理を説こうなどとは片腹痛い。少しは恥を知るがいい!」
「言わせておけば――」
怒りの声をあらわにする千代。同時に激昂した鷹丸が声を荒げる。
「黙って聞いてりゃ好き勝手に吠えやがって! お千代さんが畜生にも劣るだと? なら、その魂を利用して宿場に祟りを撒き散らそうとしてるテメェは何だ? 畜生以下のそのまた下か? そもそも人柱だかなんだか知らねぇが、嫌がる娘を寄ってたかって生き埋めにすりゃぁ恨んで化けて出るのも道理じゃねぇか! それを無視して恥を知れたぁどういう言いぐさだ?!」
「理解できませんか? 橋のために人柱になることは大変誉れ高いことです。しかしこの怨霊は私怨でその役目を放棄したばかりか村人たちに災いすらもたらしたのですよ。そんな者を恥知らずと言わずして何といいましょうか」
「それなら今度新しい橋を架けるときにはテメェが埋められてみろよ。そうすりゃお前にもお千代さんの気持ちが少しは分かると思うぜ」
「怨霊の肩を持つとは……正気ですか鷹丸さん?」
円海が呆れ顔を鷹丸へと向ける。
「気が狂ってるのはお前のほうだ、円海! 眠っていた怨霊を叩き起こして無意味に宿場を襲わせようなんざ正気の沙汰じゃねぇ!」
「ふぅ……私の行為はこの怨霊のような低俗な理由で行っているのではありません。あなたたち愚昧な者には到底理解できないような崇高な理念に依って行っているのですよ」
「罪もない人たちを襲うのに低俗も崇高もあるかよ! これ以上その屁理屈が言えないようにぶん殴って縛り上げてやる!」
「やれやれ、知恵に乏しい者ほどすぐに力で解決しようとする。……相手をするだけ時間の無駄ですね。目的を果たした以上、私はこれで失礼させていただきますよ。あなた方と仲良く祟り殺されるのは御免ですからね」
「逃がすかクソ坊主!」
飛びかかる鷹丸を前に円海は素早く手印を結ぶと、口早に何かをつぶやいた。大折檻の斬撃は空を斬り、円海の体は大蛇川の対岸に向かって飛び去って行く。
「飛んだ?! お千代さん!」
「無駄なこと、え?……あ~、もう~!」
「ど、どうした?」
「駄目です~……あのお坊さん~、何か強力な力に守られていて~簡単には掴めません~」
その場に響く千代の声を聞きながら鷹丸は呆然と立ち尽くした。やがて飛翔する小さな影は大蛇川を飛び越え、そのまま街道の先へと消えてしまった。
鷹丸はその場に腰を下ろすと円海を捕まえそこなったことを悔やんだ。何にせよあんな話を聞いた以上は茜にも報告せねばなるまい。鷹丸が高揚した心を落ち着かせていると目の前に千代が姿を現す。
「ごめんなさい~、逃げられちゃいました~」
「いえ、お千代さんのせいじゃありませんよ。俺の行動が遅かっただけです」
「……何だか~おかしな人でしたね~。まさか眠ってもいない私を~起こそうとしていたなんて~。それであんな~トゲのあるお経の上げ方を~してたんですね~」
「とんでもない坊主もいたんもんですよ。俺もまんまと騙されていました……あの野郎、一体どういうつもりでこんなことを……」
「でも~、これでようやく~静かに過ごせるようになりました~。良く分からないことも~ありましたけど~、とりあえず~ありがとうございました~」
千代はゆっくりと頭を下げた。
「え? あ、いえ、俺は何にも……」
「……鷹丸さん~、さっきは~私が恨んで化けるのも当然だ~って本気で怒って~くれましたよね~。……私~自分のことを~あんな風に思ってもらったことがなくて~、ちょっと~うれしかったです~」
「あぁ、あれは……」
「でも~、あのお坊さんの言ってたことは~間違っていないと思うんですよ~。役目を果たせず~、私怨で皆に~迷惑をかけてしまったのは~事実ですから~」
そう言うと千代は口元に寂しそうな笑みを浮かべた。
「……辛かったですよね」
「え?」
「いくら橋のためとはいえ、拒むことも許されないまま生き埋めにされるなんて……俺には耐えられないです」
鷹丸は小石を拾い上げると大蛇川に向かって放り投げた。小さな石は瞬く間に濁流に飲み込まれ、着水の音も聞こえぬまま姿を消していった。
「確かに、……お千代さんがやったことは許されるものではないと思います。っていうかやりすぎです」
「分かってます~……」
千代は小さな声で答えると申し訳なさそうに頭を垂れた。
「――お千代さん、なぜ成仏しないんですか?」
鷹丸の問いに千代は何も答えなかった。
「あの世の事情は知りませんが、憎しみの念から解放された以上、もう人の世に留まる理由はないはずです。……大蛇川の件だってそうです。お千代さんはなし崩し的に水神様の代理をやらされていると言ってましたけど、次の水神様ってのはそんなに見つからないものなんでしょうか」
沈黙を続ける千代を前に鷹丸は尚も言葉を続ける。
「昨日の夜、まだ成仏する気は無いって言ってましたよね? 俺、思ったんですけど……大蛇川の管理ってのは嫌々やってるんじゃなくてお千代さんが自分から買って出てるんじゃないんですか? 殺めてしまった水神の仕事を引き継ぐことで川を安定化し、その流域に住む人達を守り続けていく。……怨霊としての過去を悔いながら人知れず川の管理者として存在し続けること、それこそが自分にできるせめてもの罪滅ぼしと考えて――」
「鷹丸さん考えすぎですよ~。私は~怨霊上がりの~ただの浮遊霊です~。罪悪感なんか~ほとんど持ち合わせていませんし~、成仏しないのは~本当になんとなくです~。後任者についても~なかなかなり手が~見つからないだけですよ~」
千代は鷹丸のほうに顔を向けると再び笑みを浮かべた。
「……そうですか……すいません、勘違いなことを言っちゃって」
二人はそれ以上の言葉を交わすこともなく黙り込んでしまった。薄暮の明かりも次第に薄れ、物寂しげな川辺に佇む鷹丸と千代の姿は夜の帳に溶け込んでゆく。春宵にもの想う二つの影を横目に眺めながら大蛇川の奔流は猛々しく流れ続けていた。
「そうだ~! 助けてもらった~お礼をしないと~いけませんね~。何か希望は~ありませんか~?」
突然の千代の言葉に鷹丸は困惑した。
「え? いやそんな、お礼なんて別に……」
「だめです~、それでは私の~気が収まりません~。何かないですか~?」
「いや、そんな急に言われ……あれ? ……お千代さんって、この川を管理者してるんですよね?」
「はい~?」
◇
宿に戻った鷹丸はこの地の怨霊を呼び起こそうとしていた円海の企みと、川の水神の協力でそれを未然に防ぐことができた話を茜たちに伝えた。ただし千代のことに関しては、余計な誤解を避けるためと人との関わりを好まない本人の意向に配慮してその存在を伏せたままにしておいた。
茜は災いを引き起こそうとしていた円海に対して怒り心頭の様子であったが、なぜ円海がそのような凶行に及んだかまでは見当がつかないとのことだった。ただ、「あの色情坊主の弟子ならば師匠同様人道に反する行為など屁とも思っていないのだろう」と憎々しげに吐き捨て、屋敷に戻ったら導鏡もろとも自分の手で締め上げてやると息巻いていた。
そして翌朝、茜達一行は早々に旅籠をあとにすると、“水神様に頼んでおいたから”と張り切って先を進む鷹丸に続きながら大蛇川へと向かっていった。
川に近付くと、流されたお千代橋のそばに人だかりができていることに気付いた。さらに近付き川の流れに目を向けると、なるほど、昨日までの増水はウソのように収まっており、激流によって洗われた低地を子蛇のような大蛇川が滔々と流れている様子が見える。集まった人々は次々と斜面を下り、泥にまみれた河原をこちらからむこうへ、むこうからこちらへと絶え間なく往来しているようだ。
「鷹兄ぃの言った通りだなぁ……本当に水が干上がっちまってらぁ」
茄蔵は驚いたような感心したような面持ちで行き交う人々を見下ろした。
昨晩、鷹丸は中州守の屋敷に向かうために短い間だけでも川の水を止められないかと千代に頼んでいた。千代は朝の間だけならお安い御用だと二つ返事で引き受けてくれたが、こうして水の収まった大蛇川を目前にした今、川の管理者ってのは本当だったのだなと鷹丸は今更ながらに感心していた。
一行は早速河原に下りると、大蛇の置き土産である岩やら流木やらを避けながら対岸に向かって歩き始めた。
「翠扇様、滑りやすいから気を付けてくださいよ」
先陣を切って川に進入した鷹丸が後進の茜を気遣い振り返ろうとする。その直後、注意を促した本人が軸足を滑らせてしまい、何かを蹴り上げるような格好で大きく後ろへと倒れ込んだ。
――やっちまった……!
そう思った瞬間鷹丸の背中は見えない何かに支えられ、不思議なことにそれ以上倒れ込むことはなかった。鷹丸はすぐに体勢を整えると慌てて後ろを確認した。少し離れた場所から茜が不審そうな顔で見つめている。
「――お前の足腰が丈夫なのは分かったから、妙な踊りなどしてないでさっさと行かんか」
「えっと、……すいません」
鷹丸は再び川を渡り始めた。身を切るような雪解け水に体を強張らせながら一歩また一歩と慎重に足を進めてゆく。
「……ありがとな」
鷹丸は僅かに振り返ると、控えめな笑みを浮かべながら小さくつぶやいた。




