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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第二十二節.善行の押し売り

 誠実そうな円海がウソをついているようには思えない。かといって千代が復活を企む大怨霊にも見えない。鷹丸は円海と千代のどちらを信用してよいものか、いよいよ分からなくなってしまった。


「……お千代さん、お経の声を我慢するわけにはいかないんですか?」


「え~、それは厳しいですよ~。あのですね~相手を絞って~上げるお経というのはですね~聞かされる側にとっては~音としてではなく~霊魂に直接~響いてくるんですよ~。だから音を遮断したところで~~防ぐことはできないんです~。鷹丸さんだって~耳をふさげない状態で~朝から晩まで~耳元で話しかけられ続けたら~それがどれだけ~有難い話であっても~嫌じゃないですか~?」


 なるほど、それは確かに嫌だな。かといって円海の様子を考えるとしばらくはお経をやめたりはしないだろう。


「それに~あのお坊さんのお経って~妙に気に障るんですよね~」


「気に障る?」


「本人は一所懸命に~やってるんでしょうけど~呼びかける思念に~どこかトゲがあるというか~、成仏というよりも~何か挑発されてるような~気分になるんですよね~。あんな調子で~お経を上げていたら~せっかく安眠していた霊魂も~怒って襲ってくると思いますよ~。……あ~、もちろん私は~いきなり襲ったり~しませんけどね~」


「そうなんですか、随分真剣にお経を上げていたようでしたけど」


「志は立派だと思うんですけど~まだまだ修業が~足りてないようですね~」


 聞き惚れてしまいそうな円海の誦経からは修行の未熟さは感じ取れなかったが、当事者である千代がそう言うのだからきっとそういうものなのだろう。鷹丸は漠然と納得するしかなかった。


「一時的にこの場所を離れるというのは?」


「それは意味無いんですよ~。さっき言ったように~お経に込められた想いというのは~対象の霊魂に~直接届くものなんですね~。そこに物理的な距離とかは~関係ないんです~」


 千代の言っていることはもっともらしいが、それでも鷹丸の疑念が払拭されることはなかった。いよいよ判断に困った鷹丸は半ばヤケクソ気味に覚悟を決めると、抱えていた疑問を勢い任せにぶつけてみた。


「お経をやめてもらいたい理由は本当にそれだけですか?」


「どういうことですか~?」


「……お千代さん、何か俺に隠してませんよね?」


「隠す~? いえ~、何も隠すようなことは~ありませんが~」


 前髪が邪魔で表情の変化こそ読み取れなかったが、千代の様子を見る限り隠し事をしているようには見受けられなかった。となると千代は本当にお経がうるさいだけであり、円海が独り相撲をしているだけなのか?


「……もしかして~、私を疑ってるんですか~?」


「あの坊さんは言っていました。この地に眠る怨霊はまだ本調子ではないと。だから完全に目覚める前に自分が鎮めるのだと」


「なんですか~そのおとぎ話みたいな言いぐさは~」


 千代は口元を押さえながらケラケラと笑い出した。


「私は~寝ぼけてもいませんし~いつでも元気ですよ~。幽霊ですけど~」


「でもその寝ぼけたような喋り方は……」


「喋り方~? ……この喋り方は~生前からです~」


 千代が不機嫌そうに答える。心なしか部屋の気温が低下し、何か得体の知れないモノが心身に圧し掛かってくる感覚を鷹丸は覚えた。


「じゃ、じゃあ……お経を止めても悪さをするつもりはないんですね? 信じますよ?」


「確かに昔は~色々やらかしましたけど~今は怨霊をやめたので~暴れるつもりはないです~。信じてください~」


「……本当に本当ですか?」


 その言葉を機に室温がさらに低下する。


「……そんなに疑うなら~もういいです~。自分で何とかします~」


「それは、どういう……」


「あのお坊さんを祟ります~。祟ってやっつけます~」


「やっぱり怨霊じゃないですか!」


「違います~。鷹丸さんが~助けてくれないので~止むに止まれず~実力行使です~」


「だからって祟っちゃダメですよ! わ、分かりました! 何か良い方法を考えますから祟るのはやめてください!」


「む~、それじゃ~もうちょっとだけ~我慢しますので~なるべく早めに~お願いしますね~」


 そう言うと千代は完全に姿を消してしまった。同時に妙な重圧と肌寒さもおさまっていく。鷹丸は大きく息を吐きだすと、いつの間にかしていた正座を崩して足を伸ばした。どちらの言い分が本当に正しいのかは分からないが、とりあえずはお経を止めないと円海が祟られてしまいそうだ。もう一度円海と話してみよう。そう思って立ち上がろうとした矢先に、茜たちが部屋へと戻ってきた。


「おお、鷹丸ようやく起きたか。随分熟睡しておったが――どこか具合でも悪いのか?」


 茜は大して心配する素振りも見せずに言った。


「いえ、珍しく寝過ごしてしまいました。翠扇様たちは朝からどちらに?」


「川を見に行っていた。あの様子では今日も渡れそうにないな……全く忌々しい」


 怒る茜をなだめながら富士重は少しでも話題を変えようと鷹丸に話しかけた。


「ついでに皆で町中を散歩してきたんだが、色々な店があってなかなか面白かったぞ。鷹丸も気晴らしにちょっと歩いてきたらどうだ?」


 鷹丸は少し考えるような様子を見せながらも、「そうするか」と答えて腰を上げた。


「あぁ、そうそう。川のそばにいる坊主には関わらないように注意しろよ」


 茜の言葉に鷹丸は動きを止めた。


「それは……なぜですか?」


「私も驚いたのだが、あの坊主、導鏡の弟子の円海というヤツだ。導鏡に付き添っている姿を屋敷でも見かけたことがある。……なんであいつがこんな場所で念仏を唱えているのか知らんが、導鏡の息がかかった輩に私がここにいることを知られたくないからな」


 円海が導鏡の弟子? まさか茜が烏天狗にさらわれたのを知って探しに来たのか? いや、そんな素振りは全く無かった……。困惑した鷹丸が妙な体勢のまま固まっていると茜が不審そうに声をかけた。


「どうかしたのか?」


「あ、いえ。なるほど。注意します」


 取り繕うように返事をしていると今度は慈螺が鷹丸に声をかける。


「……鷹丸、この部屋で何かありませんでしたか?」


 鷹丸が顔を向けると慈螺は部屋の真ん中辺りで四つ足に立ち、小さな頭を持ち上げながら周囲の匂いを探るように鼻をヒクヒクとさせている。


「なぜか変な感じがするんですよね……生き物ではない何か……」


「いや、変わったことは何もなかったぞ。……幽霊でもいるってのか?」


「幽霊? そうですね、そうかもしれません……もうここには居ないようですが……」


「こんな昼間に幽霊だと?」茜は怪訝な表情で慈螺を見た。


「分かりません。でも、ただの幽霊とは質が違うような……」


「何だか良く分かんねぇけど、大丈夫なのかぁ?」茄蔵も心配そうに慈螺を見る。


「ええ、害は無いと思います。でも、」


「……俺はもう行くぞ」


 鷹丸はしつこく匂いを嗅ぎまわる慈螺から目を背けると、逃げるように部屋をあとにした。




「何だか本っ当にややこしいことになっちまったな……」


 街道を歩きながら鷹丸は一人つぶやいた。何とか円海の誦経を止めたいが、茜にあんなことを言われてしまってはおいそれと近寄りがたい。かといってこのまま放置しておいてはしびれを切らした千代が何をしでかすか分かったものではない。


 ――まさか本当に祟ったりはしないよな……


 そう思いながらも鷹丸の心は焦っていた。何とか解決策を見出そうと考えてみるが全く妙案が浮かんでこない。鷹丸は悶々とした心持ちのまま当ても無く宿の近辺を歩き回っていた。


 そんな時、不意に自分の名を呼ぶ声が聞こえ鷹丸は後ろを振り返った。そこには心配そうに立つ富士重の姿があった。


「兄貴か……」


「鷹丸何かあったのか? 様子がおかしいぞ」


「……心配して追いかけてきてくれたのか?」


「まぁ、一応お前の兄だからな」


 そう言うと富士重は控えめにほほ笑んだ。このまま一人で思い悩んでいても解決策は見出せそうにない。鷹丸は思い切って昨晩からの出来事を富士重に打ち明けてみた。




「――百五十年前の怨霊か……とんでもないモノに声をかけられたものだな。慈螺が不思議そうにしていたのはそいつの仕業か」


 富士重は苦笑いを浮かべながら言った。当ても無く語り歩いていた二人は気が付けば町外れに広がる麦畑へと辿り着いていた。


「立派な麦畑だな。家の麦はどうなっているかな」


 富士重は土手の脇に腰を下ろした。


「皆を余計な面倒ごとに巻き込みたくなかったから黙ってたけど、どうにもいい方法が浮かばねぇんだ。兄貴、何かいい知恵は無いかな?」

 

「……お千代さんの鎮魂が円海殿の目的なら当人が満足するまでお経を上げさせるしかないだろう。翠扇様は円海殿に気付かれたくはないご様子だし、こちらからはできるだけ干渉を避けないとな」


「それじゃぁお千代さんが癇癪をおこして円海さんが祟られちまうよ。まぁ、本当に祟るとは思えないんだけどさ……人が苦手だって言ってたお千代さんが俺に頼んでくる位だからさ、やっぱ、よっぽど辛いとは思うんだよ。何とかしてやれねぇかなぁ?」


「そうだなぁ……」


 富士重はその場で大きく天を仰ぐと、物憂げな表情を浮かべたまま黙り込んでしまった。横に座る鷹丸は兄とは対照的に(こうべ)を垂れながら土手に生える雑草を手あたり次第にむしっている。大麦の海原を背にしたまま兄弟は言葉を交わすことも無く、ただ時間だけが静かに流れていった。




「……成仏してもらうしかないか」


 富士重は言葉少なにつぶやいた。

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