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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第二十一節.鎮橋会

 鷹丸は僧侶に近づいた。しかし男は目を閉じたまま有難くも意味不明な言葉を延々と誦え続けている。鷹丸は話しかけるきっかけを掴めないまま僧侶のそばで呆然と立ち尽くしていた。すると突然誦経(ずきょう)の声が途絶え、僧侶はゆっくりと目を開けた。


「そこの人、私に何か御用ですか?」


 僧侶は優しそうな笑みを浮かべながら鷹丸のほうに顔を向ける。


「え? あ、……いや、な、何をしてるのかなぁと思って」


 誰がどう見ても坊主が経を上げているだけである。突然声をかけられ咄嗟に口から出た言葉は、発した本人すら呆れるような取って付けたものだった。それでも僧侶は不審な表情一つせず鷹丸の質問に笑顔のまま答えた。


「この地にさまよう死者の魂を浄土へと導くためお経を上げているのです。未だ未熟者ゆえ力が及ばず難儀しておりますが」


 そう言うと僧侶は恥ずかしそうに笑った。さまよう死者の魂とは千代のことだろうか? 鷹丸は男のすぐそばまで歩み寄った。


「あんたのような優しそうなお坊様にお経を上げてもらえれば、どんなヤツでもすぐに成仏できそうですけど――何をそんなに苦労してるんですか?」


「魂とは人そのもの、したがって皆一様ではありません。非業の死を遂げた者や強い怨念を残して死んだ者の中には、現世への執着が断ち切れず浮遊霊となってこの世をさまよい続ける者も存在します。そういった者たちを慰め説得し、浄土への道を指し示すことは中々容易なことではありません」


「この辺りにも成仏したがらないヤツがいるってことですか?」


「ええ、まぁ、そういったところです」


 僧侶は苦笑いを浮かべた。鷹丸はここで質問の切り口を変えてみた。


「見たところ旅のお坊さんのようですけど、やはり俺と同じく橋が流されて足止めを食ったクチですか?」


「いえ、私はこの大蛇川を目指して旅をして参りました」


「この川を目指して? 何かこの川に特別な思い入れでも?」


 すると僧侶はためらいがちに目を伏せると川のほうへと顔を向けた。それから「――あなたはこの土地の方ではないご様子。それにこれも何かのご縁かもしれませんね」とつぶやくと、再び鷹丸のほうに顔を向けた。




 僧侶は円海(えんかい)と名乗り、南方にある寺からやってきたという。円海が言うには一月(ひとつき)ほど前に寺の蔵書を整理していたところ、僧の一人が書庫にある古い引き出しの奥に隠された空間を見つけ、中から百三十年ほど前に書かれた奇妙な書物が出てきたとのことだった。


 それによると当時から更に二十年前、北方の大蛇川沿いにある美里村という場所に突如凶悪な怨霊が出現し、村とその地域一帯に住む者たちを根絶やしにしてしまったことが記されていたという。怨霊はその後も美里村に近づく者や除霊に向かった者たちさえもことごとく祟り殺し、いつしか美里村の周辺は霊瘴渦巻く禁忌の地として恐れられていたそうだ。


 当時美里村のそばには大蛇川の南北を繋ぐ交通上重要な橋が建設されたばかりであったが、怨霊騒ぎのおかげでその橋も利用できず、移動するためには美里村から東か西に大きく迂回しながら川を渡るより方法がなかった。そんなある時、書物の著者である寺の住持が美里村にある橋を利用できるようにするため、何とか荒ぶる怨霊を鎮めてみようと思い立ったそうだ。当然寺の者は住持に思いとどまるよう懇願したようだが、住持の意思は固く、数日後には供を連れるこもとなく一人で北へと旅立ってしまったらしい。


 残された僧侶たちは住持の無事を祈りつつ連日連夜神仏に祈りを捧げ続けたが、五日ほど経ったある日住持は無事な姿で寺へと戻り「怨霊は深い眠りについた。もう彼の地は呪われた土地にあらず」と寺の者たちに告げたそうだ。話を聞きつけたその地の領主は早速美里村へと人を送ったが、住持の言葉通りもう祟りが降りかかることは無かったという。それからもその寺では十年おきに時の住持が美里村へと赴き、封じられた怨霊を鎮めるために経を上げる“鎮橋会(ちんきょうえ)”が慣例となっていたようだ。


 見つかった書物には十年ごとに行われた鎮橋会の様子が当時の住持によって書き足されていたのだが、不思議なことに四十年前を最後に記録は途絶えてしまっていたそうだ。円海は現在の住持に書物の存在と鎮橋会について聞いてみたが、住持もそんな話は初耳だと驚いていたようだ。その後寺では書物についての調査と途絶えていた鎮橋会を再び行うべきか否かの議論がおこったが、四十年も放置していた霊魂に一刻も早く経を上げてやらねばならないという使命感に駆られた円海は、寺の結論を待つことなく美里宿へやってきたとのことだった。




「そういう訳で長らく疎かとなっていたお勤めを果たすべく、微力ながら朝な夕なにお経を上げている次第です」


 そう言うと円海は再び優しく微笑んだ。昔の僧が千代を鎮めたというのは初耳だったが、鷹丸は「なるほど」と言葉少なく答えた。とはいえお経を上げられている当人からやめさせろと頼まれている以上、なるほどだけでは済まされない。


「でも、もう十分じゃないでしょうか。きっとその怨霊も円海さんの有難いお経を聞けて満足していると思いますよ。あとは一度お寺に戻って住持様の判断を仰いだ方がいいんじゃないですか?」


「ありがとうございます。……実は私もお経を上げたらすぐに寺へ戻る予定だったのですが……」


 そう言うとこれまで穏やかだった円海の顔が憂いの色を帯びつつ暗く濁った。


「何かあったんですか?」


「先日そこの橋が流されてしまったことはご承知でしょう。見つかった書物には怨霊の正体が橋を架ける際に人柱となった女性だという下りがあります。私がお経を上げてすぐにその橋が流されてしまった……偶然とは思えません」


「どういうことですか?」


「目を覚ましかけていた怨霊が再び封じられまいと御仏の力に抗っているのかもしれません……だとすれば、何としても怨霊を鎮めなくてはなりません」


「……ただの偶然じゃないですかね?」


「いえ、この辺りからは確かに強い霊魂の気配を感じます。恐らく今はまだ半分眠っているような状態なのでしょう……この霊魂が本格的に活動を始めてしまえばこの地は再び大変な災厄に見舞われてしまいます。それだけは何としても阻止しなければ……」


 真剣な面持ちで語る円海を前にして鷹丸の心に言いようのない不安が圧しかかる。円海の言うことが正しければ……もしかして、俺は鎮められまいとする怨霊に利用されているのか?  


「そんな訳で私はここで一心にお経を上げ怨霊の鎮魂を御仏に願っております。……未熟者ゆえ、事の重圧に耐えかねて無関係なあなたにこんな話をしてしまいましたが、宿場に無用な混乱を招かぬよう、このことはご内密に願います」


 すると円海は再び川のほうを向きお経を誦え始めた。円海の(たえ)なる声明(しょうみょう)()は濁流の咆哮(ほうこう)にかき消されることなく鷹丸の心を揺り動かし続ける。寄る辺の無い猜疑心(さいぎしん)に悩まされながらも鷹丸は無言のまま誦経の声に耳を傾け続けていた。




 結局その後は円海と言葉を交わすことも無く鷹丸は旅籠へと戻っていた。どうやら茜たちはまだ帰ってきていないようだが、さて、これからどうしたものか……鷹丸は畳にゴロリと横になりながら黒く汚れた杉板の天井を見上げていた。


「こんにちは~」


 突然耳元で声が聞こえ、鷹丸は慌てて飛び起きた。すぐに部屋の中を見回すも人の姿は見当たらない。


「……お、お千代さん?」


 鷹丸は咄嗟に幽霊の名を呼んだ。


「そうです~。ここですよ~」


 そう言われて再び声のするほうに目を向けると、見えるか見えないかほどにうっすらと浮かぶ千代の姿がそこにあった。


「おどろかせてしまって~ごめんなさい~。どうも昼間は~はっきりと姿を~出せないんですよ~」


「あ、いや……昼間でも出てこれるんですね……てっきり夜しか出てこれないのかと」


「そりゃ~出れますよ~。なんで夜だけなんですか~? それより~お願いした件は~どうなりましたか~?」


「それなんですけど、俺もお千代さんに聞きたいことがあって……っていうか、橋の所にいたんじゃないんですか?」


「いえ~、今日はちょっと~寄り合いがあったもので~そちらに顔を出していました~。ちょうど今~戻ってきたところなんですよ~」


 “そちら”とはどちらだろうか? そう思いながらも「そうでしたか」と鷹丸は無難な相槌を打つと、早速、先程円海から聞いた話を千代にも聞かせてみた。


「それはおかしいですよ~。だって私~誰かにお願いされて~大人しくなったわけじゃ~ないですから~。……あ~、でも~、確かに昔は~たまに偉そうなお坊さんが~川でお経を上げていたような~覚えがあります~。最近は全然なかったので~すっかり忘れていました~」


「円海さんの話では四十年前から途絶えてしまっていたらしいですが、どうしてお経を上げるのをやめてしまったんでしょう?」


「さ~? ちょっと分からないですね~」


「それでは橋が流されてしまったという話は?」


「単純に~橋の寿命じゃないですか~? だって私は~何もしてませんよ~。確かに今年は~大量に積もっていた雪のせいで~例年よりも多めに~川の水を流していますけど~、別に橋を壊そうとして~やってるつもりはないですよ~」


「水を流してる?」


「はい~。私~、大蛇川の水神様を~勢いでやっつけちゃったって~言ったじゃないですか~」


「あー……そういえばそんな怖いこと言ってましたね……」


「そうしたら当然~川を管理する神様が~いなくなっちゃって~、大蛇川が~すごいことになっちゃってたんですよ~」


「すごいこと、ですか?」


「まず~川での事故者が~一気に増えました~。今までは水神様が~溺れた人をそれとなく~助けていたんでしょうね~。それから水量を管理せず~自然に任せて水を流していた結果~、下流の村では大規模な水害が~頻発してしまいました~。中には村ごと~流されてしまった場所も~ありましたよ~。それに誰かが見張っていないと~川ってすぐに~澱んでいくんですよ~。その結果~川にできた澱みを温床にして~魑魅魍魎(ちみもうりょう)が~湧き出す事態にまでなってしまって~」


 千代は薄ら笑いを浮かべながら話していたが、とても笑いごとには思えなかった。


「それで私も~これはいけないなと思って~、土地の神様たちに相談したら~、「じゃあ~新しい水神を迎えるまで~君が川を管理してよ~」みたいな流れに~なっちゃったんですね~。もちろん最初は嫌だったんですけど~、現に水神様を~やっつけてしまった負い目もありましたし~、それじゃあ新しい水神様が決るまでの~代役ということで~って、お受けしたんですよ~」


「……それってひょっとして、今はお千代さんが大蛇川の管理をしてるってことですか?」


「そういうことに~なるんでしょうか~?」


 不思議そうに首をかしげる千代。人間の娘なら可愛いと思える仕草も幽霊がするといちいち怖いなと鷹丸は思った。

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