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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第十九節.美里宿での逗留

 思わぬ足止めを食ってしまった一行は急な峠道を急ぎ足で下っていたが、日が落ち始める頃になっても四人と一匹の姿は依然として函嶺の山中に捕らわれたままだった。暗く寂寞(せきばく)とした森に得体のしれない生物の鳴き声が聞こえ始める。一行は焦燥感を抱えながらも薄暮(はくぼ)の残光を頼りにひたすら山路を下り、夜の闇から逃げるように人里を目指して歩き続けた。


 そんな一行がどうにか美里宿に到着したのは(いぬ)の刻を過ぎてのことだった。


 幸いにも今夜の宿はすぐに見つかり、一行は明かりのともった箱看板に賽川屋(さいかわや)と書かれた旅籠の一室へと通されていた。


「あー焦ったぁ! もう、今日は野宿かと思いましたよ」


 背中の荷物を部屋の隅に放り投げるなり鷹丸は畳の上に勢いよく腰を下ろした。すると茜が呼吸を荒げながら「まぁ、無事に到着できたのだ……良しとしよう」と言って部屋の中央で大の字になる。あとから部屋に入ってきた富士重が「しかし一時はどうなるかと思いましたよ。我々はいいとしても、まさか翠扇様に野宿をさせるわけにはいきませんし」と荷物をおろしながら漏らすと、茜は「私は野宿でも構わんぞ」と荒い呼吸の合間に言い放つ。「やっぱり姫さんは肝が据わってるなぁ」茄蔵は茜を見ながら笑っていた。


 全員が部屋の中に落ち着くと慈螺は茄蔵の膝の上で丸くなった。当初は猫の宿泊に対して旅籠の番頭も難色を示していたが、他の宿泊客に迷惑をかけないことと追加料金を支払うことを条件になんとか折り合いをつけることができた。


「翠扇様がさらわれた時点で屋敷を出て三日ほど過ぎていたようだから、恐らく次の宿場で一泊したら翌日にはお屋敷へ到着できるだろう」


 富士重は一同に向かって言った。


「もうひとふんばりだな。でも、翠扇様を屋敷にお連れしたら俺達は瀬川村まで戻らなきゃなんねぇんだろ? 兄貴、やっぱり帰りは野宿かな?」


「そうだな、銭は節約したいからな。なに、だいぶ暖かくなってきたんだ凍死することはないだろう」


「ふん、つまらぬ心配をするな鷹丸。お前達は中州国の至宝を屋敷まで護衛しておるのだぞ。帰りぐらいは最上級の旅籠に泊まりながらゆったりと帰郷できるよう手配してやるわ」


「ほ、本当ですか、翠扇様?!」


 鷹丸が思わず身を乗り出すと茜は不敵な笑みを浮かべた。


「もちろん、無事に送り届けられたらの話だぞ」


「そりゃ任せといてくださいよ! やったな兄貴、茄蔵! 帰りは俺達お大尽様だぜ!」


「ご馳走も食えるかな? 楽しみだなぁ」


「お前達、翠扇様の前だぞ……もう少し慎みをだな……」


「なぁに、良い良い」


 浮かれる鷹丸を横目に見ながら慈螺は呆れたように「にゃー」と小さく鳴いた。


「ちょっとお邪魔しますよ」


 そう言うと年増の女中がずけずけと部屋に上がり込み、茶色の染みが付いた虎の屏風で部屋を分け始めた。


「随分賑やかそうで、お客さん達も小糸宿のほうからいらっしゃったんですか?」


「ええ、先程函嶺峠を越えてきました」


 テキパキと働く女中を見ながら富士重は笑顔で答えた。


「それは大変だったでしょう。せっかく険しい山道を越えてきたってのにツイてませんでしたね」


「ツイてない、とは?」


「え?」


 女中は仕事の手を止めると驚いたように富士重を見つめた。


「おや、ご存じないんですか?」


「何がですか?」


「いえ、この先にある大蛇川(おろちがわ)の橋が昨日あった鉄砲水のせいで橋脚ごと流されちゃいましてね、北へ向かうお客さんはみんなこの宿場で足止めなんですよ」


「足止めだと?」


 茜は慌てて上体を起こすと顔を曇らせながら女中に問いかけた。


「ええ、大蛇川は毎年この時期になると山の雪解け水が流れ込んで徐々に増水するんですけどね、今年はそれが一気に来ちまったみたいで……あれは川っていうより横倒しにした滝のようでしたよ。あー、思い出しただけで肝が冷えますよ、怖い怖い」


 そう言うと女中は自分の体を抱きながら大げさにブルブルと震えて見せた。


「幸い宿場に被害は無かったんですが長年洪水に耐えてきたあの橋もついに流されちまいましてね、人づてに聞いた話では近隣の橋もみんな流されちまったようですよ」


 一同は言葉も無いまま女中を見つめていた。女中は視線を気にすることもなく「お気の毒様なことで」と言って一礼するとそのまま部屋をあとにした。




 一夜明け、一行は川幅が一町(約108メートル)ほどはあろうかという大蛇川を見下ろしながら呆然としていた。宿の女中が言っていた通り川のどこを見渡しても橋らしいものは見当たらず、街道の先に残された“お千代橋”と彫られた太い親柱だけがつい先日までここに橋が存在していたことを暗黙のうちに物語っていた。川辺には茜達の他にも多数の人々が散見され、腕組みをしながら思案している者や集まって何事か騒ぎ立てている者達、川に向かってお経を上げている道服姿の僧や苦々しい表情で頭を掻く飛脚風の男など皆様々だった。


「どうしたものでしょうかね、水かさが下がらないことには工事の目途も立たないでしょうし……川沿いに歩いていけば渡れる場所もあるんじゃないかという話ですが、それも確証は無いそうで……」


 対岸に目を向けながら富士重は独り言のように話した。向こう岸でも何人かの人影が川を眺めながら途方に暮れているようである。


「鷹兄ぃ、何とか泳いで渡れねぇかなぁ?」


「気合でいけるかもしれねぇが、正直無理だろ。そもそも翠扇様は――」


 言いかけながら鷹丸が目を向けると、茜は「言っておくが私は泳げないぞ」と冷たく言い放った。そして後を追うように慈螺が「私も泳げませんよ」と茄蔵の胸元から付け加える。


「お前には聞いてねぇよ……」


「渡し舟は無いのか?」


 諦めきれない様子で茜が問いかけるも富士重は首を横に振った。


「この流れでは到底無理でしょう。それに普段は歩いて渡れるほど浅い川だそうで渡し船自体が無いそうです」


「八方塞がりか……」茜は無念そうにつぶやいた。


「とりあえずは水が収まるまで待つしかなさそうですね。流れが落ち着けば橋は無くとも渡りようは有るでしょう」


「……やむを得ん、一旦旅籠に戻るぞ」


 茜はいかにも不機嫌そうに宿場のほうへと歩き出した。



 夕食を終えると鷹丸は足を投げ出したまま壁を背にもたれかかった。退屈だ、早々と寝てしまおうか? そう思いながら脇に目をやると茜は屏風の向こう側で何かをしているようである。流石に覗き込むのはマズイだろうなと考えながらボンヤリと正面に目を移すと、向かい合ってじゃれ合う茄蔵と慈螺の姿が映る。せわしなく手を出したり引っ込めたりと、何が面白いのかさっぱり分からないが本人たちは大変楽しそうだ。左を見ると富士重が宿の者から借りたと思われる小汚い書物を読みふけっている。勤勉な兄だ。……もしかして退屈しているのは俺だけか? そう考えると自分だけが何か損をしているようで面白くない。


「ほっと!」鷹丸は勢いよく立ち上がった。


「どうした鷹兄ぃ、(かわや)か?」


「ちょっと稽古がてら川の水位でもみてくるわ」


 そう言い残すと鷹丸は大折檻を手に部屋を出た。背後から「流されるなよ」と茜の声がした。




 当然ながら夜の川辺に人の姿は無かった。濁流に目を向けると闇に沈む大蛇川が月明りに怪しく踊りながら底気味の悪い音を響かせている。心なしか昼間よりも水位が落ちたのではないかと感じながら鷹丸は大折檻を振り上げ一人素振りを始めた。




 ひとしきり素振りを続けた後、鷹丸は血振るいのように勢いよく大折檻を振り下げ橋の名残りである親柱のそばへと腰を落とした。夜空を見上げると満天に散らされた星々の中で十五夜の満月が異物のような存在感を誇示している。


 ――強くなってください。もう二度とこんな別れを迎えないためにも。


 函嶺での慈螺の言葉が脳裏をよぎり、意図せず声が漏れかかる。もっと強く、誰よりも強く。命令するように念じながら鷹丸は異物の月を見つめ続けた。


「お一人ですか~?」


 背後から小さな声が聞こえ鷹丸は飛び退くように後ろを振り返った。いつの間に近寄ったのだろうか、そこには一人の娘が立っていた。背丈こそ自分と同じ位に見えるが、それにしても……。


 娘の容姿は明らかに異様だった。長い黒髪を無造作に流すその娘はうつむきがちに鷹丸に向き合うも、明かりの乏しさと垂れ落ちる前髪によって今一つ面立ちが確認できない。死装束のような白い小袖につつまれた全身はうっすらと透け上がっており、足元に至っては完全に消えて見えなくなっている。これではまるで――


 強烈な冷気が脊髄を駆け上がり鷹丸は再度その場を飛び退いた。湧き上がる恐怖心を抑えながら大折檻を両手に構えると、引きこもったまま出ようとしない声を喉の奥から絞り上げる。


「な、なんっ……?!」


「あ~、そういうのじゃないんで~、大丈夫ですよ~」


 娘はゆっくりと手を横に振ると、妙に間延びした声で語りながら口元に笑みを浮かべた。

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