表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
19/83

第十八節.追放縁起

 朝を迎え、茜を乗せた駕籠は屋敷を出立することとなった。


 前日の夜間に退魔の祈祷が滞りなく終了した旨を導鏡から受けていた千鶴は一刻も早い出立を希望する。しかし、こんな時間に出歩いて野盗や妖怪共にでも襲われては元も子もないと義景に諭され、千鶴は焦燥感に耐えながら長い夜を過ごすこととなった。やがて日が昇り再び屋敷内が活気づく中、千鶴は準備に追われる沙雪を呼び寄せ「くれぐれも茜のことを頼みましたよ」と強く念を押した。


 降って湧いた旅先での世話係という大任に千鶴から直々の懇請(こんせい)という重圧が加わり、紗雪にとっては言い知れない不安を抱えての旅立ちとなってしまう。しかしいざ屋敷を離れてみると沙雪の不安を嘲笑(あざわら)うかのように旅は思いのほか順調に進んでいった。一つ二つと宿場を越え、最も懸念されていた函嶺の峠も無事に通過し、この分なら何事も無く三野国の屋敷まで到着できそうだと一行の心には楽観的な気の緩みが生まれ始めていた。


 その日小糸宿を発った駕籠は、朝日を受けて萌木色に映える(かし)の林道を進んでいた。するとにわかに上空から鳥の羽音が降り注ぎ沙雪達は慌てて空を見上げた。


「て、天狗だ!」


 荷物持ちの男が声を上げる。黒い鳥の顔を持ち山伏のような出で立ちをした二匹の烏天狗(からすてんぐ)は、驚く一行に構うこともなくあっという間に駕籠のそばへと下り立った。


 咄嗟に護衛役の二人が刀を抜き放つも、烏天狗達が振るう八角棒の前に為す術もなく打ち倒されてしまう。それを見た駕籠者と荷物持ちは脱兎(だっと)の勢いで逃げ去ってしまい、あとに残されたのは沙雪と駕籠の中の茜だけとなってしまった。


 沙雪は得意の薙刀が手元に無いことを嘆きつつも、倒された護衛役の刀を拾おうと果敢に駆け出した。立ち塞がる烏天狗の攻撃を搔い潜りつつ刀を手にした瞬間、背後に強烈な衝撃と痛みを感じた沙雪はその場で気を失ってしまう。


 護衛役の男に起こされたときには茜の姿は駕籠の中から消えていた。沙雪は己の不甲斐なさを呪いつつ半狂乱になりながら姿の見えない茜を呼び続けたが、やがて護衛役の男達に止められ、自分達は消えた茜を探しに向かうと告げられる。そしてここであったことをすぐにでも屋敷に伝えて欲しいと頼まれた。


 沙雪は自分も茜を探したいと頼み込んだが、もしここにいる三人が全員命を落とすようなことになれば事件の詳細を説明できる者がいなくなる。そうなっては茜の捜索も絶望的になってしまうと説き伏せられ、沙雪は後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも来た道に向かって走り出した。


 間もなく小糸宿に到着すると沙雪はすぐに飛脚の継ぎ所を訪れた。ところが運の悪いことに控えの飛脚たちはみんな出払っており、先程戻ってきたばかりの飛脚も足を痛めてとても走れる状態ではないことを告げられた。夕方まで待てば一人二人は戻ってくるはずなので明日の朝には出発できるだろうと受け付けの男は言ったが、そんなに待ってはいられないと沙雪は継ぎ所を飛び出した。


 裾をたくし上げ人目も気にせずに沙雪は鬼気迫る勢いで走り続けた。しかし無理はいつまでも続かない。休息を求める肉体にひたすらムチを打ち、亡者のような足取りで松木坂を上っている最中、沙雪は不意に意識が遠のくとそのまま石段から転げ落ちてしまったそうだ。


 幸いにも石段脇に生えていた松の木に体が引っ掛かり谷底まで転がり落ちることだけは免れたが、沙雪は打ち捨てられた人形のように松の根本で気を失っていた。山賊達が倒れている沙雪に気付いたのはそれからすぐのことだった。




「何にせよ生きていてくれて何よりだ。……苦労をかけたな沙雪」


 茜は擦り傷が散見される沙雪の手に触れると、衣の内に覗く湿布薬らしきものを見つめながら悲しそうにつぶやいた。


「そんな、滅相もありません……姫様……姫様、本当によくご無事で……申し訳ありません、私がそばに付いておりながら、申し訳ありません……」


 沙雪は再び泣き崩れながら謝罪を繰り返した。茜はその度に「よいのだ」「気に病む必要は無い」と労わったが沙雪の口から謝罪の言葉が途切れることはなかった。


「……おう、話に水を差すようで悪いんだが」


 不意に毘沙門から声を掛けられ、茜は二人の世界から急に引き戻された。


「……何だ?」


「オメェ、その女の知り合いなのか? それに姫様だの、三野の討鬼様がどうのと……一体何の話をしてんだ?」


「なんだ、聞いておったのか」


 そう言うと茜は深いため息をついた。そして「他言は無用だぞ」と言いながら懐から黒塗りの短刀を取り出すと、それを毘沙門に見えるように突き出した。毘沙門と山賊達は訝しげに短刀を見つめる。短刀の鞘には水紋の上を飛ぶ一匹のトンボが金の蒔絵(まきえ)で描かれており、柄の部分には九曜にツタの紋所が浮かんでいる。


「それは確か……中州守、東光寺様の紋じゃねぇか! なんでオメェがそんなモンを持ってる?」


「ふん、今は訳あって百姓兄弟の妹に扮しておるが、私は中州守の長女、茜だ」


「……あ?」


「毘沙門とやら、侍女の沙雪を助けてくれたこと心より感謝するぞ」


 茜は短刀を懐に戻すと恭しく頭を下げた。毘沙門は呆然としながらも説明を乞うように鷹丸のほうに顔を向ける。鷹丸は静かにうなずくだけだった。信じがたい状況に山賊一味は呆けたように立ち尽くしていたが、やがて現状に理解が追いついたのか、見る見るうちに全員の顔から血の気が引いていった。


「し、知らぬこととはいえ、大変なご無礼を!」


 毘沙門の声に合わせて山賊達は一斉に地面へ平伏した。茜は沙雪から離れると山賊達のそばへと近寄っていく。


「本来、山賊であるお前達を捨て置くわけにはいかんのだが、お前達は何というか……うーん、……ヌケているというか、変に気が小さいというか……その、なんだ……元々南条様に仕えていただけあって根は悪いヤツでは無さそうだ。それに沙雪を介抱してくれた恩もある」


 毘沙門は動けぬ体に難儀しながらも額だけは地面に押し付け恐縮していた。


「……ゆえに、今後一切山賊稼業からは足を洗うとこの茜に約束できるなら、お前達のことは不問に付そうと思うが――どうだ、約束できるか?」


「へ、へい! 姫様の仰る通りに!」


「そうか。ではこれまで被害に遭った者達には申し訳ないがお前達を処罰するのはやめておこう。――それと、」


 そこまで喋って茜は何かを考えるような素振りを見せたが、すぐに毘沙門の前にしゃがみ込むと話しを続けた。


「実はお前を見込んで頼みがあるのだが、聞いてもらえるか?」


「へ、へぇ?」


「私は急いで屋敷に戻らねばならぬが今の沙雪はとても動かせる状況ではない。……毘沙門、引き続き沙雪の看病を頼めんだろうか?」


「え? ……いえ、そんなことでよけりゃぁ喜んで!」


「よし。私が屋敷に戻ったらすぐに迎えの者をよこすゆえ、それまでよろしく頼んだぞ」


 それから茜は毘沙門に巻き付けたツタを鷹丸と茄蔵に解かせると、富士重から砂金の入った巾着袋を受け取った。


「これは手間賃代わりだ」茜は何粒かの大きな砂金を取り出し毘沙門に渡した。


「は?――き、金?! こりゃぁ金じゃねぇですか?!」


「いいから取っておけ。ただし、もし動けぬ沙雪に狼藉(ろうぜき)を働けば……その時は分かっておろうな?」


「狼藉……」そうつぶやくと毘沙門はすぐに頬を染めた。


「姫様、ウチのカシラはこんなツラしてますが女子(おなご)にめっぽう弱いんでさぁ。だからそんな心配なんざ無用でごぜぇます! そこの女に薬を付けてやってるときだって意識の無い相手に真っ赤になりながら“すまねぇ! すまねぇ!”って――」


「テメェは余計なこと言ってんじゃねぇ!」毘沙門はちぢれ毛の頭を殴りつけた。


「――まぁ良い。とにかく頼んだぞ」


 茜は再び沙雪のそばへと向かった。

 

「聞いての通りだ。今は怪我を治すことに専念するのだぞ」


「しかし姫様……」


「私の心配ならいらぬ。それなりに頼れる護衛がついておるからな。屋敷に戻り次第すぐに迎えの者をよこすからそれまでは養生しておれ。――分かったな?」


「……承知しました」


 沙雪は今の自分では茜の役に立てないどころか足手まといにさえなりかねないことを悟り、忸怩(じくじ)たる思いに身を震わせながらも茜の意に従った。


 その後茜は自分を探している家臣二人に会うことがあれば屋敷に戻るよう伝えて欲しいことと、働く場所が無いなら沙雪と共に自分の元を訪ねて来いと毘沙門達に告げた。


「では、沙雪のことくれぐれも頼んだぞ」


「任せといてくだせぇ! 姫様も道中お気をつけて!」


 丸太の階段を上がると下で手を振る山賊達をあとに茜達は再び街道へと向かった。


「それにしても、翠扇様が烏天狗にさらわれていたとは驚きでしたね。しかしなぜ烏天狗どもは翠扇様を三降山に下ろしていったんでしょう?」


「うむ……」


 富士重の疑問に答えることなく茜は何事かを思案しているようだった。「バカ者、そんなことが私に分かるか!」そう返されると思っていた富士重はなんだか肩透かしを食ったような気分になった。


「俺が見たあの影は翠扇様を抱えた烏天狗だったんだな。もし出くわしてたらさすがに危なかったかもしれねぇな」


「そうだなぁ。烏天狗っつったら剣術の達人だっていうし、そんなのが二匹もいたんじゃいくら鷹兄ぃでもやられちまうかもしんねぇな」


「バカ野郎、俺がやられるわけねぇだろが。あくまでも“危ないかもしれない”って話だ」


 鷹丸は茄蔵の尻を軽く蹴り上げた。


「ふん、強がっちゃって。あの熊オヤジに手も足も出なかったくせに」


 茄蔵に抱かれていた慈螺が主人に代わってやり返す。


「何だと、この化け猫!」


「化け猫じゃないです。猫又ですぅ」


「そんなもんどっちも同じようなモンだろうが!」


「こら慈螺、あんまり鷹兄ぃをからかっちゃなんねぇぞ。鷹兄ぃもそんなにムキにならねぇで」


 鷹丸達の不毛な口論は続いた。しかし普段ならば騒ぎを治めるはずの茜と富士重は申し合わせたように黙々と野道を進んでいく。


 富士重は考える。沙雪の話から察するに、導鏡は邪魔な存在である茜を中州守のそばから引き離すため母の実家である三野国へと体よく追放しようとした。ところがその道中で不幸にも烏天狗達にさらわれてしまった、ということだろうか? ……確かにそれならば茜の言う導鏡元凶論と鷹丸が見たという“茜が空から下りてきた”という話にも辻褄(つじつま)が合いそうだ。しかし、そうなると烏天狗の目的は何だ? 彼らは本来山奥に住み、人里に下りてくることなどほぼ無いはずだ。ましてや理由も無く徒党を組んで人間を襲うなど考えられない……茜をさらい三降山まで運んだ理由とは……?


「……なぁ、富士兄ぃも何とか言ってくれよ」


 茄蔵の呼ぶ声に富士重はふと我に返った。


「ん? あぁ、すまない考え事をしていてな」


 富士重は慌てて笑顔を作ると、いがみ合う鷹丸と慈螺を仲裁するため数々の疑問を頭の隅へと追いやった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ