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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第十五節.猫の恩返し

 茜と富士重を睨みつけながら毘沙門は湧き上がる怒りを懸命に抑え込んでいた。歳の半分にも満たないような小僧共に揚げ足を取られた上、あろうことか侮るような目で見下されている。こんな屈辱が今まであっただろうか?


「カ、カシラ……」


 事情を知るちぢれ毛が心配そうに毘沙門の顔色を(うかが)った。ただでさえ厳つい顔が鬼の形相へと変貌している。ちぢれ毛は慌てて目を背けた。

 

 ところが、直後に発した毘沙門の言葉は一同の予想に反した穏やかなものだった。


「――なるほど、確かにお前の言うことには一理ある! 物陰から一斉に矢を射掛けるのは卑怯者のすることかもしれねぇな。よし、分かった!」


 そう言うと毘沙門は両腕を頭上で交差し、大きなバツの字を作った。


「お前ら! 射撃は中止だ。そこで待機してやがれ!」


 思いがけない毘沙門の発言に茜と富士重は戸惑った。


「……おい富士重、なんだアイツは? まだ芝居を続けるようだぞ」


「以外でしたね。てっきり癇癪を起して襲いかかってくると思ったのですが……」


 茜達の密談を気にも留めず毘沙門は得意そうに口を開いた。


「これでお前らは弓で狙われる心配が無くなったわけだ! 危うく俺も卑怯者と罵られちまうところだったぜ、危ねぇ、危ねぇ」


「……はぁ」


 富士重は「ですから姿を見せて矢を射るなり、呼び寄せて戦わせたら良いのでは?」とも言いかけたがこの残念な首領に妙な哀れみを抱いてしまい、結局言葉ではなく気のない返事を返すに留めた。


 茶番劇にしびれを切らした鷹丸は大折檻を肩に担ぐと、得意そうに富士重を見つめている毘沙門に声をかける。


「――何でもいいけどよ、話が終わったんなら俺達は行かせてもらうぜ」


「そうはいかねぇ」


 毘沙門は険しい視線を鷹丸に返した。


「最初の約束通りお前らの妹は見逃してやる。だが、そっちの娘は置いていってもらうぜ」


「いや、そうしたいのは山々なんだけどよ……本人がどうしても嫌だって言うんだよ」


「そんな事情は知らん! 置いて行かんならここを通すわけにはいかねぇ!」


「はぁ……聞き分けのねぇオッサンだな。俺、あんたのこと嫌いじゃねぇんだけど……仕方ねぇか」


 直後に鷹丸は上半身を沈ませると一陣の風のように毘沙門の懐へと飛び込んだ。脇腹を右に払う大折檻が毘沙門に命中し、「ガン!」と鈍い音を発したあたりで一同は鷹丸が仕掛けていたことにようやく気付く。勝敗は既に決していたかに思えた。


 鷹丸は驚いたように毘沙門を見上げた。大折檻は段平の背に阻まれ毘沙門の腹へは届いていなかった。


 ――このオッサン……

 ――鷹兄ぃの攻撃が……

 ――鷹丸の一撃を、止めた?


 目の前の光景に三兄弟は目を疑った。


 鷹丸の卓越した剣術の腕前は他の誰よりも兄弟達が理解していた。その才能を知るからこそ刀一本で身を立てたいという鷹丸の希望を二人はそれほど反対することもなく了承したのだ。――鷹丸ほどの腕前ならばどこにいっても通用するに違いない。それが富士重と茄蔵の偽らざる本心であった。


「いきなり襲いかかってくるたぁ、随分と手癖の悪ぃ小僧だな?」


 毘沙門は熊のような顔をにやけさせながら鷹丸を見ている。鷹丸は反射的に背後へと飛び退いた。その表情からは余裕の色が消え、困惑する心を押し殺しながらも両手に握り直した大折檻の切っ先越しに毘沙門の顔を見据える。当の毘沙門は段平を逆手に握ったまま薄ら笑いを浮かべるばかりだった。


 ――勘違いじゃねぇ、確かに横っ腹に打ち込めるはずだった……しかも防がれるまで段平の動きに気づけなかったなんて……このオッサン、ただ図体がでかいだけのゴロツキじゃねぇのか……?


 弛緩(しかん)していた空気は急に重苦しいものへと変わり、鷹丸の背筋に冷ややかなモノが走り抜けた。


「鷹兄ぃ!」


 異変を察した茄蔵が鷹丸に駆け寄る。鷹丸の反応は無かった。


「なんだなんだ、今度は力比べか? ぃよしっ! かかってきやがれ!」


 駆け寄る茄蔵を丸腰と見るなり毘沙門は刀を地面に突き刺すと、やや前屈姿勢に身構えるなり「パンッ」と両手を打って相手を誘った。鷹丸に動く気配はない。茄蔵は誘われるままに毘沙門へと突進した。


 茄蔵の強烈な体当たりを毘沙門は正面から受け止めると、二人は激しい掴み合いの末に手四つの体勢へと移行していた。


「うぐっ! こりゃぁ……見た目通りの怪力小僧だなオイ!」


「ぐぐぐ……」


 両者の力は拮抗していた。茄蔵と毘沙門は顔を真っ赤に染め上げ、丸太のような四本の腕は前にも後ろにも動くことなく硬直状態を保っている。純粋な力と力のぶつかり合いを周囲の人間が固唾を呑んで見守る中、勝負は突然の幕切れを見せた。


 毘沙門は不意に両腕を脱力すると大きく身をそらした。馬鹿正直に押し続けていた茄蔵はたまらず前方によろめいてしまう。そこへ足を引っ掛けられ平衡(へいこう)を失った茄蔵は、襟首を掴まれながら押さえ付けられるように地べたへと倒れ込んだ。


「アホが! 痛ぇ……ったく、なんて馬鹿力だ!……」


 毘沙門は両手をブラつかせながら追撃を加える様子も見せず、立ち上がろうとする茄蔵を無為に見下ろしていた。それから急に視線を鷹丸に向けると不審そうに問いかける。


「おい、なんでお前斬りつけてこなかった? 俺の強さに見惚(みほ)れちまってたのか?」


「――へっ、オッサンと一緒だよ。俺も卑怯者じゃねぇからな」


 毘沙門は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐに先程までのにやけ面を顔に描き出す。


「そうかい。それじゃぁ改めてかかってくるか?」


「茄蔵、危ねぇから下がってろ!」


 鷹丸が声を上げながら木刀を構えなおすと毘沙門は地面に突き刺した刀を引き抜いた。その場を離れた茄蔵に慈螺が駆け寄り、誰もが渦中の二人の動静に注意を向ける。息苦しいほどの沈黙が周囲を支配する中、強風に揺れる山の木々だけが無遠慮にざわめきの声を上げていた。


 鷹丸は動かない。石像のように直立したまま毘沙門の一挙手一投足に神経を尖らせていた。やがて射すような視線は外面的な光景を越えて相手の心中にまで達し、鷹丸の精神は視線の先に浮かび上がる毘沙門の幻影に向かって際限なく大折檻を浴びせかける。静かな戦いは鷹丸の中で始まっていた。


 数多(あまた)の打ち合いの中に勝敗を重ね、それでも鷹丸は確信めいたものを得られずにいる。どれだけ相手の心中を掬い上げたつもりでも幻影の心はやはり鷹丸の心でしかない。答えを得られない苛立ちから鷹丸は無意識に舌を打った。


「どうした? 動かねぇのか?」


 毘沙門は鷹丸のことなどお構いなしにジリジリと距離を詰め始めた。鷹丸は押されるように後退するも、すぐにその足を止める。


 ――逃げるんじゃねぇ! 気圧されるな、勝てる!


 緊張で擦り切れそうな精神を鼓舞しながら鷹丸は機を窺い続けた。やがて毘沙門の足が大折檻の間合いに踏み込むと、ついに鷹丸は地を蹴った。


 振り上げた大折檻を右上段から斜に振り下ろす。しかし空を裂くような渾身の一撃も見透かされたように段平の背で受け流されてしまう。鷹丸は勢いを殺すことなく流れるような二の太刀を左から振るった。水平に走る大折檻の刀身が毘沙門の脇腹を捉える。だが、またしても現れた段平によって大願は成就することなく(つい)えてしまった。それでも三の太刀、四の太刀と休むことなく鷹丸の連撃は続く。いつしか周囲の木々さえも声を潜め二人の勝負の行方を見守っていた。


 止まることなく鷹丸の猛攻は続く。しかし不思議なことに毘沙門は受けに回るばかりで反撃に転じるそぶりを一切見せようとしない。一見すると鷹丸の猛烈な攻めに毘沙門が防戦一方と捉えられなくもないが、息を上げながら焦りの表情を見せる鷹丸と、相も変わらず薄笑いを浮かべている毘沙門を見比べるに、どちらが苦境に立たされているかは明白であった。


 それからしばらくして毘沙門は当然のように大折檻を受け流したあと、突然その段平を目にも止まらぬ速さで鷹丸の頭上へと振り下ろした。咄嗟に鷹丸が後ろに跳ね避ける。密接していた二人の距離は自然と大きく離れた。


「太刀筋からいって独学か? だが悪くねぇ、実際見事なもんだ!」


 毘沙門は心底感心したように言い放った。


「お前、このまま腕を磨き続けりゃきっと大物になれるぜ。こんな場所で無駄死にするもんじゃねぇ」


「……俺は死ぬつもりなんてねぇよ」


 口では強がりながらも鷹丸の心は揺れていた。これだけ打ち込みながらただの一撃すら有効打を入れることができない。気が付けば飛んだり跳ねたりしているのは鷹丸ばかりで、毘沙門は大きく動くこともなく苔むした岩のように泰然自若(たいぜんじじゃく)としている。鷹丸には勝利の糸口すら見えていなかった。


「今は諦めろ。さっきも言ったように娘を一人置いていけば命までは取らん! 俺もお前のような前途ある小僧を手にかけたくはねぇ!」


「もう俺に勝ったつもりかよ、おっさん」


「……そいつは自分の心に聞いてみろ」


 鷹丸は息を荒げながらも噛みつくような視線を毘沙門に向ける。その時だった。


「待ってください! 私はここに残ります」


 そう言って鷹丸に歩み寄ったのは慈螺だった。

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