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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第十四節.山奥の毘沙門天

「野郎ぉ!」


 後方にいた汚い長髪の男が手斧を振り上げ襲いかかった。茄蔵は巨体に似合わぬ身軽さで相手の斧をかわすと、村相撲仕込みの強烈な体当たりと同時に相手の両手首を掴み上げる。


 万力のような力で手首を締め上げられた長髪は苦痛の声を上げながら手にしていた手斧を地面に落とした。(わめく)く相手を引き寄せ顔面に頭突きを一発。拘束を解かれた長髪は顔を押さえながら呻き声を漏らしつつヨロヨロと後退した。その直後、


「バーカ!」


 慈螺が罵声と同時に長髪の股間を蹴り上げ、声にならない叫びが函嶺の山中にこだまする。長髪は勝ち誇る慈螺に反撃することもできず、悶絶したままズルズルと倒れ込んだ。


「慈螺、危ねぇから下がっとけって」


「はーい」


 腕を組み満足そうに長髪を見下ろしていた慈螺は茄蔵の言葉に従い富士重のもとへと駆け戻った。


 残った山賊二人は目の前の出来事に動揺を隠せない様子だった。カシラは油断するなと言っていたが相手はどう見ても百姓風情。少し痛めつけてやれば女を置いて逃げ出すだろうと踏んでいただけに今の状況はあまりにも想定外だ。


「な、何者だテメェら!」


 ちぢれ毛の男が鷹丸に吠えかかる。


「何者でもねぇよ。ただのお百姓様だ」


 鷹丸と茄蔵はそれぞれの敵に睨みを効かせた。


「ぅあぁーーっ!」


 ボサボサ髪を一つ結びにした男が感極まったように茄蔵へと斬りかかる。茄蔵は(はす)に走る一閃(いっせん)を上半身を反らして難無くよけると、返す相手の手首を片手で止め無防備な横っ面を「ふんっ!」と一発殴り飛ばした。一つ結びは勢いよく尻もちをつき、慈螺が歓喜の声を上げる。


 一つ結びは立ち上がることもできず尻を地面に擦りつけながらズリズリと後退した。茄蔵は一つ結びの胸ぐらを掴み強引に引き上げると、「ふんっ」という掛け声とともに乱暴に背負い投げる。受け身もとれないまま地面へと衝突した一つ結びはそのまま気を失ってしまった。


 残る山賊はあと一人。鷹丸は無遠慮にちぢれ毛との間合いを詰めていった。仲間の惨敗を目の当たりにしたちぢれ毛は刀こそどうにか構えてはいるものの腰は大きく引け、深酔いした酔人のごとく刀の切っ先に落ち着きがない。鷹丸の勝利は誰の目にも明らかだった。


「よーし、お前ら動くんじゃねぇ!」


 突如山側の茂みから野太い声が響く。まだ仲間がいたのかと一行は声のしたほうに意識を向けた。


「カシラぁ助けてくれっ! こいつらただ者じゃねぇ!」茂みに向かってちぢれ毛が叫ぶ。


「情けねぇ声出してんじゃねぇよアホが! ったく、お前らそれでも函嶺無頼衆(はこみねぶらいしゅう)の人間か?!」


「ガサガサ」と草木を分ける音が聞こえたかと思うと小高い茂みの中から突然大きな影が飛び出し、それはちぢれ毛のそばへと着地する。


 その姿は茄蔵よりもやや大き目といった体格のしっかりした男であり、針金のようなクセ毛を肩まで伸ばし乱雑に切られた(ひげ)が顔半分を覆っていた。他の山賊同様に括袴を穿()いていたが、上半身には野生動物の毛皮で粗雑に作られた上着のようなものを羽織っている。その容貌は右手に握る大きな(なた)のような段平同様にこの男の豪快さを物語っているようだった。


「カシラ!」


 すかさずちぢれ毛が男に近寄る。カシラと呼ばれた男は手に持つ段平の柄でちぢれ毛の腹を軽く突いた。ちぢれ毛は妙な声を上げ腹を押さえる。


「だから油断すんなって言ったろうが、このアホが! ちったぁ人の話を聞けよお前らは」


「す、すいませんカシラ」


「――あんたが山賊共のカシラか?」


 鷹丸は大折檻を右手に握り身構えた。


「おお、そうだとも! 俺こそが泣く子も黙る函嶺無頼衆の頭領こと毘沙門(びしゃもん)様よ!」


 男は自信に満ち満ちた顔で鷹丸に答える。「び、毘沙門?」鷹丸は予想外の名前にたじろいだ。


「毘沙門とは大きく出たな。……恥ずかしくないのかアイツ?」


「そうですね……」


 茜と富士重が呆れるように見つめる中、当の毘沙門は気にも留めず言葉を続けた。


「俺の手下共を打ち負かしたその実力は褒めてやろう。だがしかしだっ! 今! お前らは! 上の茂みから弓で狙われていることに全く気付いていない! 奴らは歴戦の名手だ。狙いを外すことなど期待せんことだな!」


 茜達の視線が茂みに走ると毘沙門は自信満々に腕を組みながら一同を見渡した。そしてこれまでとは違った随分と優しげな口調で語りだした。


「俺はこう見えて慈悲深い男だ。見たところ金目のモノは持ってなさそうだから、女を置いて大人しく立ち去るってんなら命まで取ろうとは言わねぇ。――なぁに心配するこたぁねぇ、女共は責任を持って可愛がってやるから野郎共は安心して旅を続けるといい」


 話を終えた毘沙門は一人満足そうに何度もうなずいている。


「……誰かが隠れている気配は感じられませんが」


 慈螺が小さくささやくと、茜はさもありなんといった様子でささやき返す。


「まぁハッタリだろうな。……しかしお前、人の気配が読めるのか?」


「はい。あまり遠くの気配までは分かりませんが」


「……流石は妖怪といったところか。便利なものだ」


 そんな毘沙門に鷹丸は大折檻を下げて語りかけた。


「なぁ、毘沙門さんとやら」


「あん?」


「その、置いていくのは一人だけにまけてもらえねぇかな?」


 予想外の申し出に一同の視線は鷹丸に集中した。


「どういうことだそりゃ?」


「小さいほうは俺達の大切な妹なんだ。母親の今際の際(いまわのきわ)に“お前がこの子をしっかり守ってやっておくれ”と涙ながらに頼まれちまった以上、どうしても置いていくわけにはいかねぇ……。だから大きいほうの女をくれてやるから妹だけは見逃してくれ。どうせそいつは下の宿場町から勝手についてきた夜鷹(よだか)だ、煮るなり焼くなりあんた達の好きにしてくれ」


「はぁ?!」


 慈螺が血相を変えて鷹丸に詰め寄る。


「何を勝手なこと言ってるんですか?! 私を犠牲にして自分達だけ逃げようなんてあんまりじゃないですか! そもそも私を遊女扱いしないでください!」


「鷹兄ぃ、いくらなんでもそれはねぇよ」


「駄目か? 結構名案だと思ったんだけどなぁ……」


 鷹丸は詰め寄る慈螺を無視したまま茄蔵のほうに困ったような顔を見せた。


「……よし分かった! 小さいほうは見逃してやる。そっちの娘だけ置いてさっさと行きな」


「カ、カシラ?!」


 毘沙門の言葉にちぢれ毛は耳を疑った。


「いいんですかい? 小さいほうもナリはきたねぇが磨けば光りそうなタマですぜ?……」


「このアホが! ただの生意気そうな小僧だと思ってたが、なかなかどうして妹思いのいい兄貴じゃねぇか……。こんな兄妹(きょうだい)を無理に引き離しちまったら死んじまった親御さんに申し訳が立たねぇだろうが! 人情ってもんが無ぇのかお前は!」


「いや、え?……あの、……す、すいやせん……」


「ったく……よし、話は決まったな小僧。その娘を早くこっちによこしな」


 毘沙門は大真面目な顔で慈螺に手招きをした。当の慈螺は今にも噛みつきそうな形相で鷹丸を睨んでいる。鷹丸はバツが悪そうに頭を()いた。


「あぁ、俺もそのつもりだったんだけどさ……どうもすんなりいかねぇらしい。悪ぃが二人とも諦めてくれねぇかな?」


「そりゃぁ駄目だ。タダで通しちまったら山賊の沽券(こけん)にかかわるからな」


「それじゃぁしょうがねぇ。アンタを倒して通してもらうしかなさそうだな」


「おい、忘れたのか小僧? 今のお前らは俺の部下共に狙われてるんだぜ。一度(ひとたび)俺が合図を送ればあっと言う間にお前ら全員あの世行きだ――」 


「いえ、そうはならないでしょう」


 落ち着きはらった顔で富士重は口を開いた。


「もし本当に射手がいるならば、なぜあなた方はわざわざ我々の前に姿を現したのですか?」


「あん?」


「金品の強奪を目的とする場合、まずは相手の不意を狙って射殺してしまうのが定石でしょう。狙い通り相手を始末できれば余計な抵抗も無く万々歳ですからね。仮にうまくいかなかったとしても少なからず相手に損害を与えられるはずです。その後交渉なり皆殺しに持ち込むにしてもそういった優位性を取ってからのほうが良いのではないですか?」


「ふん、アホが! そんなことをしたら流れ矢が娘共に当たっちまうかもしれねぇだろうが!」


「あなたは先程“歴戦の名手”と仰いました。“狙いを外すことなど期待せんことだ”とも。それほど優秀な射手なら娘達を避けて狙った相手だけを射殺すことなど造作も無いことでは?」


「あん?! そ、そりゃ当たりめぇよ! そんなもん、造作もねぇことだ! そうじゃなくてよ……なんだ……オメェ、アレよ! ……その、ひ、卑怯じゃねぇか!」


「卑怯――ですか?」


「そうだ、卑怯だ! 卑怯者だ! 俺達は山賊に身を落としちゃいるが、隠れて射殺すなんて卑怯なことは大嫌いでな! だからこそ不意打ちなんぞせずに正々堂々と部下たちに襲わせたのよ!」


「なるほど、こそこそ隠れて相手を射殺すのは卑怯ということですね?」


「当然だ!」


「そしてあなたはそんな卑怯なことをする人間ではないと?」


「言うまでもねぇ!」


「分かりました。あなたは山賊にもかかわらず武士のような高潔な精神をお持ちのようですね」


「……っへ、おだてたところで何も出やしねぇぞ」


「つまりあなたは我々に矢を射かけるつもりは無いと、そういうことですね?」


「はぁ? お前何を言って――」


「こそこそと隠れて相手を射殺すのは卑怯なのですよね? そしてあなたは卑怯なことはしない人間だと仰いました。それはつまり、あなたは茂みに隠れている部下に対して射撃の合図を行わないことを意味しませんか?」


「は? ア、アホが! それはあくまで不意打ちの話で――」


「待て富士重。それはつまり手下共が正々堂々と茂みから姿を現せば、ヤツも矢を射かける指示が出せるということではないのか?」


 茜の言葉に富士重は驚いたように顔を向ける。


「――翠扇様、それには私も考えが及びませんでした。全く仰る通りです。そうなってしまっては“そもそも矢を射かけるつもりは無い”などと高を括ってはおれません。これは困りました……」


 茜と富士重は申し合わせたように毘沙門を見つめた。二人の顔に表情は無く、それはまるで「ほれ、さっさとやれよ」と言わんばかりに相手の行動を催促するような無言の圧力を伴っていた。毘沙門は何かを言い返そうと僅かに口を動かしていたが、やがて髭だらけの顔を激しく歪めながら「ギリギリ」と奥歯を鳴らし始めた。

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